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浅野ゆう子が一般男性との結婚発表「人生を歩んでいこうと決めました」


  女優の浅野ゆう子(57)が11日、同世代の一般男性と昨年末に結婚したことを発表した。公式サイトを通じて「お互いこの年齢で…とも思いましたが、この年齢だからこそ、互いの健康に気遣いつつ、寄り添いながら穏やかに、これからの人生を歩んでいこうと決めました」と決意新たにつづっている。

浅野は「新年を迎え、諸事ご多用中のところ、私事で誠に恐縮ではございますが私、浅野ゆう子は昨年末に結婚いたしました」と報告。お相手について「同世代の一般男性です」と紹介し、「今後も仕事に誠心誠意取り組み、ますます精進して参ります所存でございます。皆様には変わらぬご指導、ご鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます」と呼びかけている。

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以下、コメント全文

関係者の皆様

いつも格別なご高配を賜り、厚く御礼申し上げます。

新年を迎え、諸事ご多用中のところ、私事で誠に恐縮ではございますが
私、浅野ゆう子は昨年末に結婚いたしましたことをご報告させていただきます。
突然にこのようなご報告をこの場で致します非礼をお許しください。

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相手は同世代の一般男性です。
お互いこの年齢で…とも思いましたが、この年齢だからこそ、互いの健康に
気遣いつつ、寄り添いながら穏やかに、これからの人生を歩んでいこうと決めました。

今後も仕事に誠心誠意取り組み、ますます精進して参ります所存でございます。
皆様には変わらぬご指導、ご鞭撻を賜りますよう、宜しくお願い申し上げます。

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また、相手の男性は一般の方ですので、関係者の皆様にはこの書面を持って
何卒ご理解いただきますようお願い申し上げます。

末筆となりましたが、寒さ厳しき折、お風邪などお召しになりませぬよう
くれぐれもご自愛下さい。
本年も皆様がご健勝でご多幸でありますよう、心よりお祈り申し上げます。

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2018年1月11日
浅野ゆう子

 

浅野ゆう子の父親がすごい!田宮五郎との結婚反対した母の昔の職業は?

2018年も始まり早くも11日となりました。鏡開きですね。

それより、女優の浅野ゆう子さんがご結婚されたそうです。お相手の旦那さんは、一般の方ということで、お写真や画像などは公開されていません。一般の方と言っても、浅野ゆう子さんに釣り合う方と言うと、弁護士さんとかお医者さんとか、会社社長とか…。そんな職業の方でしょうか。

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何となく浅野ゆう子さんの雰囲気から、お医者様なんて似合いそうです。年齢は、浅野ゆう子さんと同年代とのことなので、57歳前後ですね。

それにしても、57歳になられた現在でも浅野ゆう子さん、とってもお綺麗です。これまでに結婚しない理由が分かりません。そんな浅野ゆう子さんの父親がすごいらしいんです。そして、母親のお仕事は何だったのでしょう。見ていきましょう。

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浅野ゆう子の母親は、神戸の人気芸者さん。

浅野ゆう子さんと田宮五郎さんの結婚を反対していたとされる浅野さんの母親は、現在85歳になられるようです。神戸で暮らしていらっしゃっるそう。以前は、スナック経営されていたとのことですが、現在はどうなのでしょう。

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浅野ゆう子さんの旦那さんとお知り合いになられた若い頃は、神戸の芸者さんだったそうです。

そんな浅野さんのお母さん、とってもお綺麗なのでしょうね。こちらのお写真は、女優の草村礼子さんですが、きっと、浅野ゆう子さんのお母さんなので、女優さんのように美人なのでしょうね。

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浅野ゆう子の父親と言われている政治家の石井 一(はじめ)さん

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浅野ゆう子さんの父親と母親は、浅野さんが小さい頃に離婚されているそうです。3歳くらいの頃に離れ離れになっているようなので、父親の顔を覚えてはいらっしゃらないかもですね。

そんな浅野ゆう子さんの父親と言われているのが、田中角栄さんの秘書として勤めていらっしゃった石井一(はじめ)さんでは、と言われているようです。その後、石井一さんは、政治家も務めていらっしゃいます。

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浅野さんの母親は、神戸で芸者さんをされていたそう。そんな芸者さんの浅野さんの母親をひいきにしていたのが、政治家でDAIGOさんの祖父・竹下登さんだったそう。

竹下登さんのような政治家が訪れる料亭だったら、田中角栄さんも秘書の石井一さんを伴って訪れていたかもしれませんね。そして、石井さんに身請けをさせて、浅野ゆう子さんがお生まれになったようです。

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田宮五郎と結婚と結婚しなかった理由とは?

浅野ゆう子さんが昨年末まで結婚しない理由。それは、かつて彼氏だった田宮五郎さんとの結婚を浅野ゆう子さんは望んでいたものの、母親に反対されていたそうです。

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田宮五郎さんがくも膜下出血になってしまったので、浅野ゆう子さんと結婚することになったら、お世話しなくてはなりません。

女優というお仕事の浅野ゆう子さんには、とても負担の多いことだったかもしれません。とうとう母親の承諾の取れないまま、結婚に至らずに田宮五郎さんはなくなってしまいます。

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結婚歴のない浅野ゆう子さん、初婚での一般人の方とのご結婚、本当におめでとうございます。

 

最後までお読みいただきまして、誠にありがとうございました。

田宮五郎と兄・柴田光太郎の確執と現在!家族と子供の問題が悲しい

兄・柴田光太郎と弟・田宮五郎

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兄の柴田光太郎さん(写真・右)は、1966年1月13日に田宮二郎さんと女優・藤由紀子さんの長男として生まれました。
それからちょうど1年後の1月13日、年子で誕生したのが弟の田宮五郎さんです。

名前が違うのが気になりますが、田宮二郎さんの本名は「柴田吾郎」
兄の光太郎さんはそのまま柴田姓を名乗っていますが、本名は「柴田英光」
弟の五郎さんは、父親の芸名を引き継いで田宮姓を名乗っていますが、本名は「柴田英晃」と言います。

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兄は、学習院の初等科から大学までエスカレータで進み、その後母校で教師をしていましたが、その後レポーター業を皮切りに芸能界入り。
弟は、東京農業大学在学中から、俳優になることを志望していたものの、俳優になるのならいろんな人間を知った方がいいという父親の言葉を守り、大工や造園業、料理人など様々な職業についた後、39歳で俳優デビューをされました。

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誕生日も全く同じで顔もそっくりの二人。

同じ芸能界に進んだ兄弟ではありましたが、兄の光太郎さんは、父親が亡くなった後、執拗なマスコミ攻勢にあったこともあり、一部では芸能界に向いていなかったという話もありますが、高校の英語教師に重きを置いた生活をされています。

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そして、五郎さんは40代なかばにしてくも膜下出血に倒れ、交際していた浅野ゆう子さんの看病の甲斐もなく、47歳にして亡くなられました。

そんな二人の兄弟の間には実は大きな溝があったようなのです。

家族の確執の原因は?

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1歳しか変わらない兄弟の間にあった溝。それを作り出してしまったのは、母親の藤由紀子さんだったと言われています。

43歳という若さで夫が亡くなった後、妻が心の拠り所にしたのは長男の光太郎さんの方でした。

兄の方ばかりを溺愛した理由はわかりませんが、夫の田宮二郎さんの母校である学習院を卒業し、母校で教師をする光太郎さんのことを、愛していた夫と重ねる部分があったのかもしれませんね。

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夫の幻を追いかけてか、長男の芸能界入りを強く望み、息子はそれに従うも、やはりそれほど向いていなかったのか今はまた教師に戻り、東京の進学校・青稜高校で英語を教えているそうです。

弟は、大学を出た後、父の言いつけを守る形で職を転々とし、その途中で一度、中尾彬さんの姪っ子さんとも結婚をされていますが、結果離婚されています。40を目前にやっと役者となりますが、数年で病に倒れ、帰らぬ人となりました。

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弟の五郎さんがくも膜下出血になったときも、母の藤由紀子さんも兄の光太郎さんも、特にサポートをすることはなく、それを見た浅野ゆう子さんは自分が五郎さんを守ると覚悟を決めたと言います。

家族の中の溝が年をおうごとに深くなり、結局埋まることなしに、兄弟は離れ離れになってしまったんですね。

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家族の中の子供という位置

田宮二郎さんの父親は、住友財閥の大番頭でした。そんなを父に持ちこの世に誕生しましたが、生後四日でその父を亡くし、母親も早くに亡くして、親戚の元で育てられたそうです。

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元々外交官を志望していたものの、そのルックスで「ミスターニッポンコンテスト」に優勝し、芸能界への道に進みました。

親戚の元で育ったというと何となく貧しい家庭を想像してしまいがちですが、学習院大学を出たところを見れば、しっかりした教育環境が整っていたのかもしれません。

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それでも両親を早くに亡くし、あまり本当の親の姿を見ずに育ったからか、我が子たちへの愛情のかけ方、家族というものの育み方がうまくできなかったのではないかという気もします。

兄は兄で母の期待にも応えたかっただろうし、父親の背中にも憧れていた。
弟は母親の愛情が兄に注がれるのを痛いほど感じながらも、父親と同じ道を歩んでいくことで、母の愛をいつかは取り戻したいと思っていたんじゃないかと、勝手に想像しています。

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幸せな浅野ゆう子さんのおめでた話で、少し悲しいお話を思い出してしまいました。
皆さんは、どう感じますか?