日本を代表する大女優での吉永小百合さん。そんな吉永小百合さんと言えば、70代になっても尚若くて、美しいですよね、そんな永遠に若い吉永小百合さんの伝説をまとめました。
昭和に大女優・吉永小百合伝説その①『12歳で芸能界デビュー』
写真:hikosaka.blog.so-net.ne.jp
今や国民栄誉賞間違いなしと言われる吉永小百合さん。そんな吉永小百合さんは日本がまだ第二次世界大戦中だった1945年3月13日に東京都渋谷区で生まれました。そして第二次世界大戦が終わってからしばらく経った1957年、吉永小百合さんが渋谷区立西原小学校6年生の時に当時のラジオ東京(現在のTBSラジオ)で放送された連続ラジオドラマ『赤胴鈴之助』で芸能界デビューを飾り、同局制作のテレビドラマ『赤胴鈴之助』でテレビデビューを果たすなど、その女優としての才能は小学生の頃から見出されていたようですね。その後は1959年、吉永小百合さんが14歳と渋谷区立代々木中学校2年生の時に松竹制作の映画『朝を呼ぶ口笛』で銀幕デビューすると、渋谷区立代々木中学校を卒業した1960年に日活撮影所に入社し、本格的に女優の道へとあゆみ出したのです。point 361 | 1
昭和に大女優・吉永小百合伝説その②『10代から国民的スターに』
写真:hikosaka.blog.so-net.ne.jp
1960年に日活撮影所に入社した吉永小百合さんは、1962年私立精華学園女子高校3年生(現・東海大学付属聖洋高校)の時に当時ヒットした映画『キューポラのある街』でヒロインに抜擢され、その年のブルーリボン賞主演女優賞を受賞しました。17歳でのブルーリボン賞主演女優賞受賞は今も破られていない最年少記録となっていますね。またその頃、音楽レーベル・ビクターから『寒い朝』でレコードデビューすると、20万枚の大ヒット、橋幸夫さんとのデュエットソング『いつでも夢を』では30万枚の大ヒットを記録して、『第4回日本レコード大賞』を受賞しました。吉永小百合さんは17歳にして、国民的スターになったのですね。その頃の写真はこちらで、絶世の美女だったことがお分かりいただけるかと思います。当時日本中の男性が吉永小百合さんに惚れていたという伝説があるほど、吉永小百合さんは芸能界史上もっとも美しい女優の1人と言われていますね。point 403 | 1
昭和に大女優・吉永小百合伝説その③『父親の借金を小学生の頃から肩代わりしていた』
写真:hikosaka.blog.so-net.ne.jp
順風満帆な芸能生活を送ってきた吉永小百合さん。父親が会社経営者ということもあって幼少の頃は何一つ不自由のない生活を送っていたようです。しかし吉永小百合さんが小学生の頃に父親の事業が失敗し、セレブな生活から借金取りに追われる生活に転落したそうです。家の米びつに一粒も米がない状態もあったほど困窮し、ついには小学生だった吉永小百合さんも新聞配達をして家計を助けようとしていた時に芸能界デビューが決まり、ラジオ主演などのギャラから借金を返していったそうです。成功の裏にはこのような苦労話があったようですね。point 250 | 1
昭和に大女優・吉永小百合伝説その④『同業者からも憧れの存在』
写真:hikosaka.blog.so-net.ne.jp
吉永小百合さんのファンのことを『サユリスト』なんて言いますが、一般人のみならずサユリストは芸能界にも多く存在します。一番有名なのはタモリさんですね。サユリストを長年、公言して甲斐あって、普段はバラエティ番組に出ない吉永小百合さんがタモリさんが司会を務める『笑っていいとも!』の最終回に特別出演したほどです。現在も活躍する芸能人にも多大な影響を与えているのですね。
昭和に大女優・吉永小百合伝説その⑤『70を超えても変わらぬ美しさ』
写真:barks.jp
現在、吉永小百合さんは70歳を超えていますが、写真のように世代を超越した美しさがありますね。
まとめ
吉永小百合さん伝説はいかいかがでしたでしょうか。今後もご活躍を期待しましょう。