シリアで拘束されていたフリージャーナリストの安田純平さんが解放されて、話題になっています。
今回は、安田純平さんの奥さんであるmyuさんについてご紹介いたします。
NNNや各メディアがこのようなニュースを報道しています。
シリアで武装組織に拘束されているフリージャーナリストの安田純平さんが解放され、トルコ当局の入管施設にいるとの情報が伝えられたことを受け、安田さんの妻と両親が取材に答えた。
安田さんの妻・深結(みゅう)さん「まだ実感がわかないです。3年半という日々があっという間でしたけど、みんなからの連絡とかでちょっとずつ実感がわいてきていますけど、でもまだ本人の顔が見られていないので、本人もすごく孤独とかいろんな部分と戦ったと思うので、本当にお疲れさまと言ってあげたいです。かけよりたいですね。かけよって抱きしめたいです」
安田さんの父・英昭さん(78)「とにかく自分で行ったんだから、ちゃんと帰ってきてくれたらいいなと。それだけですね、僕の願いは。人に迷惑かけないように元気に帰ってくればそれが一番だから」
安田さんの母・幸子さん(75)「頑張って頑張ってと毎日声かけて過ごしてきましたので、それだけです」
母親は鶴を一万羽以上折り、安田さんの無事を祈っていたという。
引用:NNN
■安田純平さんのプロフィール
写真:livedoor Blog
名前:安田純平(やすだ じゅんぺい)
生年月日:1974年3月16日(44歳)
学歴:埼玉県立川越高等学校→一橋大学社会学部卒業
職業:フリージャーナリスト
安田純平さんは、フリーのジャーナリストとして活躍しており、2015年6月21日のツイートを最後に、消息が分からなくなった人物です。
こちらは拘束歴と略歴にあります。
1997年
信濃毎日新聞社記者に。松本本社に在籍し、以後、計10町村の行政・経済など市民の暮らし全般を担当。北アルプスの山小屋のし尿処理問題を扱った連載「待ったなし 北アし尿処理」に参加。その後、信州大学を担当し、脳死肝移植などを取材。
2002年
3月:休暇をとってアフガニスタン取材。
4月:文化部に異動。
12月:休暇をとってイラクを取材。
2003年
1月末日:退社してフリージャーナリストに。
2月中旬から:イラクを取材。一時出国するも開戦直後に偽造「人間の盾」ビザで再入国。ホテルに泊まって勝手に取材するつもりがイラク軍に拘束され、観念してバグダッド南部のドーラ浄水場に入る。その後もイラク警察などに数回拘束されるが、フセイン政権崩壊後まで滞在し、中部ナジャフなどを取材して帰国。
10月:イラクを取材。バグダッドを中心にクルド人地域、サマワなどを取材。
2004年
3月から:イラクを取材。主にバグダッドに滞在。
4月14日:バグダッド西方アブグレイブで地元住民の自警団にスパイ容疑で拘束される。
同17日解放。
2005年
1月:スマトラ沖地震・津波で甚大な被害を受けたインドネシア・アチェ州を取材。
2月:アチェ州で、インドネシア軍の軍事作戦に苦しむ津波被害者らを取材。
7月:ヨルダン、シリアでイラク関連取材。
10月:イラク北部を取材。
2007年
2~5月:クウェートでイラク戦争民営化取材のため労働者になるために就職活動。
5~12月:イラク中南部ディワニヤのイラク軍訓練基地建設現場で料理人をしながら取材。
12月~翌年1月:イラクの首都バグダッド・インターナショナルゾーン内の民間軍事会社事務所で料理人をしながら取材。
2008年
10~12月:戦場出稼ぎ労働者の実情でインド、ネパールで取材。
引用:安田純平プロフィール
これまでの拘束経緯
1回目:2003年イラク軍に拘束される
2回目:2003年イラク警察に拘束される
3回目:2004年バクダットで武装勢力に拘束される
4回目:2009年MYUに拘束される
5回目:2015年ヌスラ戦線に拘束される
■嫁のMyuさんのプロフィール
写真:YouTube
本名:安田 由美(やすだ ゆみ)
旧姓:松村 由美(まつむら ゆみ)
別名義:安田深結(やすだ みゅう)
芸名:Myu(ミユ)
生年月日:1969年7月29日(49歳)
職業:スピリチュアル・ヒーリングシンガー、ジャーナリストシンガー、作曲家、島根県親善大使、出雲観光大使
出身地:鹿児島県
Facebook:「Myu」
Myuさんは2009年に安田さんと結婚し、「天皇陛下の誕生の式典」にも呼ばれるほど有名な方のようで、世界各国で歌を披露しているようです。
国交樹立式典やASEAN、地球環境の日、アースディなどの世界を結ぶイベントに多数出演し、世界各国からも注目を集めています。
結婚後の2011年、全日本カラオケグランプリに出場して、準グランプリを獲得し、芸能界にも名前を轟かせた過去があったようです。
また、尾崎亜美さんの秘蔵っ子という立場として、尾崎亜美さんのライブにゲスト出演をしたり、ソロシングルやソロアルバムを発売したりしているようます。
尾崎亜美完全プロデュースの1stシングル『The World Is All Changing』でデビュー。同曲がTBS系テレビ番組『チュ―ボーですよ』のエンディング・ソングに起用され、その温度感ある歌声がお茶の間で話題に。上京してきた17歳の頃からリリックスを書き始め、1stアルバム『as you are』では、5曲の作詞に挑戦。大阪生まれのB型。趣味は人間観察。
引用:myu プロフィール
2009年、渦中のフリージャーナリストの安田純平さんと出会って、結婚をします。
写真:neta7.com
2015年、安田さんはシリアに拘束されているのだが、それから2年後の2017年、myuさんのFacebookには、このような笑顔の写真を投稿しています。
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Posted by Myu on Monday, January 2, 2017
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来年、明治維新150年ということで、大河ドラマなどの、時代考証をされてる原口泉先生を取材。大河ドラマも、西郷どんに決まり、ますます盛り上がりそうです。原口先生のお話は、面白く、話が尽きません。このお話を色々な方に聞いて欲しい思いが、でて…
ADVERTISEMENT Posted by Myu on Tuesday, January 31, 2017
一般的に考えれば、自分の夫がシリアという国に拘束されていたら、気が気でなくてこうした投稿をするところが、SNSなどをやる余裕もないのではないかと考えられます。
また、SNSに助けを求める投稿をしたり、「拡散希望」などの投稿をしたりして世間に情報提供を求めるような投稿をするのが通常ではないかと考えられます。
しかし、そうした投稿は見当たらず、本当に夫の安田純平さんの無事を祈っていたのかと指摘されています。
そこで、安田純平さんの拘束記録をもう一度ご覧下さい。
1回目:2003年イラク軍に拘束される
2回目:2003年イラク警察に拘束される
3回目:2004年バクダットで武装勢力に拘束される
4回目:2009年MYUに拘束される
5回目:2015年ヌスラ戦線に拘束される
安田純平さんのようなフリーのジャーナリストは、武装戦線のテロリストにとっては格好の資金稼ぎの的であり、そのため、何度も何度も拘束されるのです。
このように何度も拘束されている様子を、任天堂の人気ゲームであるスーパーマリオのキャラクターの「ピーチ姫か」と揶揄されているのです。
また、解放に向けて日本政府に多額の身代金を要求し、その何%かをテロリストからキックバックしてもらっているのではないかとのことで、プロ人質であるのではないかと考えられています。
この回数で拘束されても生き残っているだけに、そう思われても仕方がありません。
その奥さんも全く心配をしている様子を見せずにSNSを更新しているところも、プロ人質なのではないかと言われているのです。
そんな安田純平さん。NHKが日本に戻る機内で取材をした際の内容があまりにも酷すぎると話題になっています。
安田純平さんはNHKの記者の「解放された瞬間どの様な気持ちでしたか?」との質問に対して、このように答えました。
荷物をすべて奪われたので、そのことがとにかく頭にきている。3年、40か月全く仕事も何もできなかったうえに、すべての資産であるカメラであったり仕事のための道具それまで奪われたというか、そこまでするかという。解放の瞬間はまずそれですね
引用:NHK
「ホッとしている」とか、「やっと家(日本)に帰られる」などの言葉が出てきておらず、怒りの気持ちだけが出てきています。
さらに、トルコ側に引き渡された段階の気持ちに関しては、
いや、とにかく荷物がないことに腹が立って、ということと、トルコ政府側に引き渡されるとすぐに日本大使館に引き渡されると。そうなると、あたかも日本政府が何か動いて解放されたかのように思う人がおそらくいるんじゃないかと。それだけは避けたかったので、ああいう形の解放のされ方というのは望まない解放のされ方だったということがありまして。
引用:NHK
と、また怒りを表現しています。
解放に尽力した日本政府に感謝したり、安堵することが真っ先に出てくるのが一般的だと思われる中、一番に怒りを表現しているのは、いわゆるプロ人質としての感情なのではないかと言われているのです。
夫婦揃って反省をしている様子がないだけに、これからも話題が絶えそうにないですね。