もう若い人たちは知らないかもしれません。昭和の大スター、伝説の歌姫である山口百恵はどんな人物だったのでしょうか。その生い立ちから早すぎる引退までをまとめてみました。
■山口百恵・プロフィール
本名:三浦 百惠
生年月日:1959年1月17日
出身地:神奈川県
血液型:A型
趣味・特技:映画鑑賞 編み物
配偶者:三浦友和
昭和のアイドルとして、すでに伝説と化している山口百恵さん。引退後は全くテレビに姿を見せることもなく、未練も全くないようです。現在は2人の息子さんが芸能界で活躍していますね。
■デビューまでの山口百恵
生まれは東京都渋谷区ですが、神奈川県横浜市瀬谷区で幼少期を過ごし、小学2年からデビューするまでの間は、横須賀市で過ごしています。その横須賀市立不入斗中学校在籍時に、「スター誕生!」に出場しています。結果は優勝ではなく準優勝でした。ですが、20社から指名を受けるほど評価は高かったようです。
しかし、その時の審査員である阿久悠には、「歌手は諦めた方が良い」とも言われています。このオーディションに参加したきっかけとなるのが、同世代である森昌子のテレビでの活躍ということです。point 235 | 1
■芸能界デビュー
1972年12月にオーディション番組である「スター誕生!」に出場し、ホリプロダクションからその翌年にデビューしています。映画「としごろ」への出演に加え、同名の曲で歌手としてもデビューしています。デビュー曲はスタッフの期待通りとはいかず、大きくイメージチェンジを図ることになりました。
第2弾である「青い果実」からは、少し大胆な歌詞を歌わせるようになり、それが1974年の「ひと夏の経験」の大ヒットに繋がっているのです。歌詞の内容としてはセクシー路線の歌手と似てはいるものの、ビジュアルが純朴な少女という点で独特な人気が出たということのようです。これは事務所の戦略が成功したということがいえるのではないでしょうか。当時の山口百恵は、森昌子・桜田淳子と共に「花の中三トリオ」と呼ばれています。point 401 | 1
■三浦友和との出会い
「ひと夏の経験」が大ヒットした年には文芸作品の名作である「伊豆の踊子」に主演し、女優としての評価も得ています。この映画で相手役の三浦友和と共演することになるのですが、実はすでにグリコプリッツのCMで共演しているのです。その三浦友和とはそれ以降もテレビドラマやCMでも共演することとなり、「ゴールデンコンビ」と呼ばれるほどの人気を博しています。テレビドラマと言えば、赤いシリーズに出演しているのですが、三浦友和との共演ではなく、宇津井健との親子役のほうが印象に強く残っています。
その三浦友和とは、1979年に行われた大阪厚生年金会館のリサイタルで「私が好きな人は、三浦友和さんです」と、恋人宣言を突如発表していますし、その翌年に婚約を発表し、日本武道館におけるファイナルコンサートでステージの中央にマイクを置いて静かに去っています。point 425 | 1
■まとめ
デビューから引退までは7年ちょっととそれほど長くはありませんが、引退後はマスコミが押し寄せるも、一貫して芸能界とは一線を引いています。こうした気持ちの強さが芸能界での成功の一因にもなっているのかもしれません。結婚を機に引退ということですが、事務所から独立しようとした際に、阻まれてしまったため引退を選んだという説もあるようです。今後は2人の息子さんの活躍にも期待したいですよね。