近藤理彩さん(仮名)は29歳のとき、3歳下で職人をしている拓人さんと結婚しました。一男一女をさずかり、家庭も仕事も順調な生活を送っていた…しかし、3年前、彼女の携帯に突然、夫の不倫相手から「離婚してくれないんですか」という一本の電話がかかってきたのです。
電話が来たその日、近くに住む母に子どもを頼み、理彩さんは仕事が終わってから自らが指定した喫茶店へ赴き、夫には連絡しなかったと言います。店に入るとすぐ、彼女の携帯が鳴り、奥の席にいまーすとのんびりした声が聞こえて。奥へ行くと、若い女性が座っていました。ところがこの彼女がびっくりするほど美人で……。彼女を見るなり、私のコンプレックスが肥大していきました。point 232 | 1
理彩さんが名刺を出すと、受け取った彼女は薄く笑いました。
「こんなときにも名刺を出すんだーと彼女は呆れたように言いました。『学歴や会社名がないと生きていけない女だって、拓人が言っていたけど本当なのね』と。拓人がそんなことを言うはずはないと思いながらも、その言葉に気圧されて黙って座りました。私は妻なんだ、正式な妻は私なんだと自分を励ましていたような気がします」
彼女は「茉莉子と言います」と会釈しました。もっとも理彩さんから見ると、「会釈ではなく、顎をしゃくっただけ」だったといいます。
「次に聞いた彼女の言葉にびっくりしたんです。『私、拓人と6年もつきあってるんですよ』って。その時点で彼女は29歳。夫より一回りも年下です。しかも6年ということは、結婚生活の半分近くを彼女とつきあっていたことになる。混乱しましたね。すると彼女、ヘラヘラと笑って『ね、びっくりしたでしょ』って。なんだこの女と思いました。妻の前で愛人はもうちょっと申し訳なさそうな態度をするものじゃないのと感じていると、『すまなそうな顔をしろって思ってるでしょ』と言い当てられて。とにかく頭に血が上ってどうしようもありませんでした」point 255 | 1
茉莉子さんは「妻が離婚してくれないって拓人が言うんだけど、私は拓人から離婚を切り出してないと思ってるの。そんなこと言える人じゃないもんね」とさも拓人さんの心理をわかっていると言いたげに話した。だがそれがまた図星なのだ。だから理彩さんの怒りは強まるばかり。
「とにかく、婚姻届を出して正式な妻という立場にいるのは私なんですよ。あなた、そのことをわかってないわねと言うのが精一杯。すると彼女、『慰謝料、請求します?』って。『請求されたら、それ、拓人に払ってもらうわ。私、彼にお金貸してるしね』と、もう爆弾発言の連続でした。」
さすがにどう対応したらいいかわからなくなって、『盗人猛々しいってあなたのことね』と言うと、『ステレオタイプだけど、この泥棒猫って言います?』とニヤニヤしている。こんな煮ても焼いても食えない女と、どうして夫がつきあっているのかわからなくて、とりあえず席を立ちました。すると彼女の甘ったるいようなふてぶてしいような声が後ろから、『ねえ、離婚、してよね』と追いかけてきました。point 241 | 1
思わず相手の頬を平手打ちに……
あまりに腹が立っていたので、理彩さんは外に出るとすぐ、夫に電話をかけたがつながらない…理彩さんはしばらくそこにたたずんでいました。自分がどうしたらいいかわからなかったのだという。
「そのとき、茉莉子が喫茶店から出てきたんですよ。体にフィットするワンピースを着てヒールを履いていた。喫茶店で向かい合っているときはわからなかったけど、すらりと背も高くて肌も髪も艶やか。人が振り返るほどの容姿なんです。私を見て、あら、という顔をしたので、近づいて彼女の頬を思い切り平手打ちしました」point 253 | 1
そんなことをするつもりはなかったのだが自分より15歳も年下の、誰が見ても「きれい」だと思うような女に太刀打ちできないと感じたとき、つい手が出てしまったのだそうです。
「彼女は一瞬、頬に手を当てて私をキッと睨みました。でも次の瞬間、何ごともなかったかのように向こうへ歩き出したんです。周りの人たちが立ち止まって見ていました。私も呆然と見送るしかなかった」
どうやら夫の浮気相手は手強い。それが理彩さんの第一印象でした。はたと現実に返った理彩さん、まだ夕飯には間に合うと判断、実家に子どもたちを迎えに行きました。
「うちで食べて行けばいいのにと言う母に、今日は家で食べたいのと言って急いで夕食の支度をしました。その日は夫が早めに帰れると言っていたから。予定通り、夫が何ごともなかったかのように帰宅、料理を手伝ってくれて、珍しく平日に家族が揃って食事をしたんです」
子どもたちが寝静まったころ、理彩さんが寝室で「茉莉子っていう女のことだけど」とつぶやくと、夫は「え、何」と一瞬、目が泳ぎました。
「今日、会ったのよ。茉莉子さんに」
夫はいきなり黙り込んだ。茉莉子さんは夫に「奥さんと会った」と伝えていないのだろうと理彩さんは推測していました。妙な沈黙が続き、耐えられなくなったのは理彩さんでした。さらに言葉を吐こうとしたとき、夫が「わかった」と言い、「変わった女だっただろって。あいつ、オレとつきあっているって言ってなかった?」とも言いました。
つきあってないから、と夫は私を押し倒してきました。ちゃんと話そうと言うと、『よく知らないんだよね、彼女のこと』と言い出して、その日は夫に丸め込まれてしまいました。夫は逃げの一手を打つつもりだと理彩さんは感じたそうで、少なくとも家庭を壊す気はないらしい。それなら彼女と一対一で対決するしかないと思い、弁護士に頼んで内容証明でも送ってもらおうかと思ったんですが、どうも茉莉子という女は、そういう常識が通じないような気がして。まずは彼女がどういう人なのかを探るのが先だと思いました。point 238 | 1
あなたはどっちと一緒にいたいの?
夫が寝入ったあとに携帯を見た。茉莉子さんとのやりとりがほとんど残っていない、危機管理のために削除しているのでしょう。しかたなく探偵事務所を頼んだ。「1週間後にもうわかりました。彼女はある事業の経営者だったんです。あの物言いから、ろくでもない女だと決めつけていたけど、小規模ながらわりとちゃんとした会社だったことにびっくり(笑)。シングルマザーで子どもは3歳と聞いて、拓人の子かもしれないと……。実母と3人暮らしで、拓人は1週間でそこに1度行っていました。自宅とは別に会社の近くにワンルームのマンションもあるらしく、拓人はそこにも1回行っていた。おそらくそこで男女関係を結んでいたんでしょう」point 367 | 1
さてどうしようと、理彩さんは考えました。とにかく夫と別れてもらいたい…脅しが通用しないなら、真摯に頼むしかないのかもしれないと思ったそうです。
「彼女に連絡をして再度会いました。まずは子どものことを尋ねたんです。拓人の子なのかと。すると『私の子よ』って。父親について言うつもりはないと言われました。それならそれでいい。『私と子どもたちから拓人を奪わないでほしい』と頭を下げました。すると彼女、『拓人に聞いてみようよ』と彼と呼び出したんです。私がいると逃げちゃうかもしれないから、私はその喫茶店の別の席にいることにして。何も知らない拓人が、30分後にのこのこやってきて、茉莉子と向き合ったところで私が拓人の横に座りました。ぎょっとしてましたね。『拓人、私と奥さんとどっちと一緒にいたいの? 私だって6年も待ってるんだから』と茉莉子が言うと、黙ってしまって」point 376 | 1
どちらも選べないということなのかと茉莉子さんが尋ねると、拓人さんはうなずいた。離婚して結婚してくれるって言ったじゃん、という茉莉子さんの言葉に、拓人さんは「ごめん」とつぶやいた。
「そんなことじゃないかと思ってはいたけどさ、しょうがないわねと言う茉莉子を見て、私より彼女のほうが拓人をわかっているのかもしれないと思いました。だけど私だって引き下がれない。『あなたは私の夫で、子どもたちの父親なんだから、もっとしっかりしてよ。この人とは別れるって言って』と言うと、茉莉子が『理彩さん、この人はそういう言い方をしても動かないわよ』と鼻先で嗤う。屈辱でしたね。そんな茉莉子を拓人は愛おしそうに見ている。あとからそう言ったら拓人は『普通に見てただけ』と言い訳していましたが」point 332 | 1
膠着状態はいつまで続くのか
その日から、理彩さんと茉莉子さんの「彼を巡る恋の鞘当て」が続いています。ただ、理彩さんは仕事が多忙で、なかなか拓人さんの胃袋をつかむことができないみたいです。意外なことに茉莉子さんは料理が得意で、拓人さんは食べたいものがあると茉莉子さんの家に行くようでした。
「子どもに会いたいときは自宅に帰る。ただ、茉莉子の子はおそらく拓人の子だと思うんです。認知しなくていいのかと聞いたら、『彼女が望んでいない』って。拓人も茉莉子も変人だと思う。茉莉子はときどき私の携帯に電話をかけてきて、『拓人、今、帰ったわよー』って言うんです。『あなた、早く手を引きなさいよ』と私が言うと、『だって来ちゃうんだもの。よほど私の体と料理がおいしいのね』と。そのたびに私はキーッとなるけど、何を言っても茉莉子は変わらない。拓人にも言ってやるんですが、最近、彼は半分開き直っているのか、そういうことを伝えても笑ってるんですよ」point 268 | 1
理彩さんと拓人さんの間にも性的関係は失われていないそうです。それがまた「悔しい」と理彩さんは言うが、奇妙な三角関係は露わになった3年前から微妙なバランスのもとに固定化してしまったようです。
「別れさせようと思って、彼女の会社宛てに、『ここの社長は不倫している』とメールしてやろうとも思ったんですが、彼女自身が社長で、しかも株式公開している会社でもないので、あまり意味がない。社会的ダメージを与えようがないんです。彼も職人だから、不倫なんていうのは彼のプライバシーで、それを私が公表しても何も変えられない。いっそもう二度と子どもには会わせないと告げて離婚することも考えましたが、子どもたちは拓人のことが大好きなんですよ。なす術がない」point 221 | 1
一度、彼女は茉莉子さんに「このままでいいの?」と聞いたことがあるそうです。茉莉子さんの答えは「拓人が決めることだから」でした。
「私はそこまで達観できないんですよ。『夫シェアっていうのもおもしろいじゃない』と茉莉子は言いますが、そこまで変人にもなれない(笑)。拓人のことが大好きな両親にも相談できないし……」
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