猿岩石と聞いてすぐピンとくる人は、おそらく以前「進め!電波少年」をテレビで見たことがあるのではないでしょうか?猿岩石とは、今や大人気のお笑い芸人である有吉弘行さんと、その相方である森脇和成さんのお笑い芸人コンビです。2004年に解散し、その後有吉さんは毒舌キャラとして大ヒット、森脇さんはテレビの世界から身を一度はひいたものの、最近再び芸能界に戻ってきました。
ふたりの違いは一体どこから出てきたのでしょうか?
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◼︎ヒッチハイク旅から旅終了まで
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猿岩石のユーラシア大陸ヒッチハイク旅は、1996年4月に香港から出発することから始まりました。当初は金髪に染めた髪の有吉さんが文句の多いキャラで、相方の森脇さんは大人しい落ち着いたキャラという印象でした。二人は途中さまざまな困難を乗り越え、10月にようやくゴールであるイギリスまで到着するのです。
この旅行の間つけていた二人の日記はのちに「猿岩石日記」として出版され、ベストセラーを記録。日本帰国後には人気番組への出演も次々と決まり、さらにCDデビューも果たすなど大活躍。猿岩石フィーバーに日本中が熱狂しました。
このときの有吉さんですが、実は当時からコツコツとお金をためていたとのことです。何故なら、自分たちの人気はいつか廃れてしまうだろうと予想していたのです。もともとの性格がネガティブであるという有吉さんは、売れなくなることを恐れてネタ作りに精を出していました。
森脇さんのほうは、当時かなり有頂天であったことがわかっています。ある番組で博多華丸・大吉さんたちと営業先で一緒になった際には、周囲の人に対して高飛車な態度であったことがわかっています。そして一方で、有吉さんはとにかく周囲のスタッフや当時まだ売れていなかった博多華丸・大吉さんにまで丁寧にあいさつをしたり、気をつかって行動をしていたのです。
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◼︎芸能界で生き残った違いは?
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「とにかくADに気をつかえ」と有吉さんはのちに番組で語っています。この周囲への心遣いができるかどうかで二人の命運は大きく分かれました。
森脇さんは手にした貯金でサパークラブなどのお店の経営に乗り出します。しかし経営状態が悪くなるとそのたびに仕事を変えていき、転職した職業の種類は13種類に及ぶとのちに出版された自伝で告白しています。
2004年、ついに猿岩石は解散してしまいます。有吉さんはその後ピン芸人として着実に力をつけていき、「内村プロデュース」などで実力をあらわしていきます。そしてついにその毒舌を活かした「あだ名の命名」で再び人気者への座に返り咲きました。現在も冠番組を何本も持ち、SNSのツイッターではフォロワー数が日本一を誇るなど、芸能界でも大活躍中です。
これを受けてか、森脇さんはしばし芸能界を引退していたものの、「しくじり先生」という番組で久しぶりにテレビに登場。なんと芸能界への復帰を宣言しました。ところが、周囲からの反応はあまり好ましいものではなく、現在は舞台俳優や動画配信などのお仕事をしています。
森脇さんは有吉さんとの差がついたことを「うまくいかないと逃げ出してしまう自分の性格のせい」と分析しています。今回の芸能界の復帰については今後どうなるのでしょうか。ちなみに、有吉さんとは全く連絡が取れていない状況であると出演したテレビ番組で明かしています。
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◼︎まとめ
猿岩石の二人はもともと幼なじみで、広島県から上京し太田プロダクションに入社するまでずっと一緒のコンビでした。それが最終的にはこうも格差がついてしまうとは、人生はわからないものです。同じ芸能界で頑張る者同士で、いつかまた再結成なんてこともありえるのでしょうか。少なくとも、現状では少し難しいといえるでしょう。
それにしても猿岩石の活躍は、本当に人気のある企画でした。これからのテレビにまた猿岩石のようなコンビが現れるのでしょうか。当時の熱狂を考えると、これからのテレビに期待したいものです。