1938年5月21日深夜に起こった事件は、一人の青年により岡山県と鳥取県の県境にある地区を、一夜にしてほぼ壊滅させるほどの凄惨なものでした。大量殺人事件の嚆矢ともいえるこの事件は、俗に津山30人殺しと呼ばれて現在でも語り継がれているほどです。
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この事件は数本の映画やドラマ、漫画化などもされています。
この事件から有名な作品が多い
この事件にインスパイアされた作家は多く、もっとも有名な作品が八つ墓村です。昭和初期の頃の若者にとって、花型の職業は軍人になることでした。立派な軍人になって国のために尽くすことこそが名誉な時代だったのです。その最初の一歩が徴兵検査に受かることでした。
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後に事件を起こす若者も、お国のために尽くす立派な軍人になることを夢見て徴兵検査を受けたものの、肺結核と診断されて不合格となります。当時の結核は不治の病といわれており、徴兵検査の不合格と不治の病におかされた若者は失意の中で苦しみます。この後の若者は半ば自暴自棄のようになって奇行が目立つようになります。
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女性に対しての執着心が強くなり、夜間に徘徊することもしばしばありました。地区の人々は結核となった若者を、ひたすら奇異な目で見るようになり、露骨な差別が始まります。村八分のような状態の中で女性にも相手にされず、地区からも孤立していく中で、若者は銃器を買いあさり武装を始めます。山奥に入っては訓練を重ね、扱いに慣れていきます。
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このころ一度警察の家宅捜査を受けて重機をすべて没収されますが、その翌日にはすぐに銃器を買い始めています。武装計画を立ててから数か月、ついに若者は計画を実行に移す夜を迎えます。軍服に身を包み様々な武器を抱え、頭には2本の懐中電灯をさらしで巻き付けます。
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映画化された八つ墓村を彷彿とさせる恰好で、寝ている母親を手始めに、地区に飛び出した若者は身の毛もよだつような残酷な行為を繰り広げていきます。
その時代特有の雰囲気が表現されている
昭和初期という時代には、まだまだいわれのない差別や中傷を受ける人はたくさんいました
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。八つ墓村においてもその時代特有の雰囲気は生々しく表現されています。この事件は若者の周到な計画性と実行力が、凶行を最悪なものにしています。大量殺人という凄まじさに焦点が当てられがちになるこの事件ですが、犯人の若者も凶行に及んだ挙句、最後は自害しています。村八分や不治の病に苦しんだ果てに、若者は30人という人々を道連れに自ら命を絶ったのです。
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八つ墓村のモデルとなったこの事件は、いろいろな解釈の中で人々の記憶の中に残り続ける事件なのです。