沢田研二は1960年代後半に日本の音楽界を席巻したグループサウンズの中において、最も人気を博したグループ「ザ・タイガース」のボーカリストとしてデビューし、解散後は同じくグループサウンズ期に人気を博した「ザ・テンプターズ」のボーカリストであった萩原健一らとともに「PYG」を結成し、日本ロックの黎明期を支えました。
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残念ながら「PYG」は大きな評価を得ることはできなかったものの、ソロに転身してからの活躍は周知のとおりです。そのことを示すのがソロアーティストとしてのシングルの総売上ですが、累計1,239万枚を誇り、ザ・タイガース、PYG時代を含めると1,666万枚にも達します。
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一時期はヒット作に恵まれず、また、ライブではヒット曲を演奏しないという時期もありましたが、ここ数年は毎年ミニアルバムを制作するとともに、全国ツアーを敢行しており多くのファンを魅了しています。郷ひろみとは違った意味でグラマラスで、また年齢を重ねるごとに円熟味を増してきたシンガーが沢田研二です。point 217 | 1
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そんな沢田研二のプライベートの話題と言えば、2度の結婚があげられます。1度目は1975年6月4日に、双子のデュオとして一世を風靡したザ・ピーナッツの伊藤エミと比叡山延暦寺で結婚式を挙げています。1979年には伊藤エミとの間は一人息子である澤田一人さんが誕生しています。しかしながら、1987年に沢田研二は伊藤エミとの離婚を決意します。理由は、映画「男はつらいよ」で共演した田中裕子との不倫です。point 274 | 1
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当時、人気絶頂だった沢田研二と人気女優として数々のヒット作に出演していた田中裕子の熱愛は大きな話題となりましたが、1989年1月に伊藤エミとの離婚が成立すると同年12月に田中裕子と再婚します。この時、伊藤エミに支払った慰謝料は18億1,800万円と言われていますから、いかに沢田研二が稼いでいたのかがわかります。
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さて、沢田研二の一人息子である澤田一人さんですが、伊藤エミに育てられましたが、歌手や俳優といった表舞台の仕事には一切関わらなかったようです。一時期、「沢田正人」という芸能人が息子ではないかとの噂もありましたが、こちらは全くのデマだったようです。表舞台の仕事には携わっていないということで、澤田一人さんについては、ネット上でもほとんど情報がありませんが、現在は音楽関係の仕事には携わっていることが伝えられています。point 271 | 1
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スーパースター沢田研二と歌姫伊藤エミの息子ですから、音楽に関する才能に恵まれていることは容易に想像できますから、彼が表舞台で活躍するところを見たかったという人も少なくないことでしょう。