未解決事件
日本には未解決の事件が多くあります。
警察がどれだけ探しても犯人が出てこないのです。
その犯人が普通に生活していると考えただけで怖いですよね・・・。
もしかしたら私たちの近くにいるかもしれません・・・。
今回は奇妙な未解決事件を紹介します。
一家4人殺害後アイスクリームを食べた後が・・・
21世紀を目前に控えた2000年12月30日午後11時頃から翌31日の未明にかけて、東京都世田谷区上祖師谷3丁目の会社員宅で
父親(当時44歳)
母親(当時41歳)
長女(当時8歳)
長男(当時6歳)の4人が殺害された。隣に住む母親の実母が31日の午前10時40分過ぎに発見し、事件が発覚した。
きっと娘や孫に新年の挨拶に行ったのだろう。そんな時に一家の無残な姿を見るなんて・・・。
この事件は、20世紀最後の日に発覚した、大晦日に差し掛かろうとする年の瀬の犯行だったことや、犯人の指紋や血痕など個人を特定可能なもの、靴の跡(足跡)の他、数多くの遺留品を残している点、子供もめった刺しにする残忍な犯行、さらに殺害後に長時間現場に留まった可能性が指摘され、パソコンを触ったりアイスクリームを食べたりするなどの犯人の異常な行動、これらの多くの事柄が明らかになっていながら、犯人の特定に至っていないことでも注目される未解決事件である。
また、年の瀬に発生した殺人事件という時期柄もあって、一年を振り返る区切りとなる年末近くになると、警視庁による情報公開が行われ、マスコミが話題に取り上げることが多い事件である。
犯人の特徴
・犯人は犯行時に手を負傷しており、その時に現場に残された血液から血液型はA型ということが判明している(殺害された一家にA型の人間はいない)。
・血液からは向精神薬や風邪薬、覚せい剤などの薬物反応は出ていない。また、たばこも吸わない人物である。
・被害者宅の冷蔵庫にあったビールには手が付けられていなかった(一方で、犯人は冷蔵庫の麦茶を飲んでいる)。
・被害者の傷跡などから犯人は右利きであることが分かっている。
・犯人の指紋は渦状紋である。指紋は被害者宅から十数個発見されている(過去の犯罪者の指紋データと合致しない)。
・服装などから犯人は身長170センチ前後、胴回り83センチ前後の可能性がある。
・警視庁がまとめた犯人像に1965年から85年生まれ(事件当時15歳から35歳)というものがある。これは、犯人が2階の浴室の窓から侵入する際、公園のフェンスから2階の窓まで上っているなどの身体的理由によるものである。
・警視庁の2,000を越える犯罪者指紋データからこの犯人が特定出来ないことからこの犯人は犯罪歴がない可能性があるとみている。
・犯行時の行動などから、性格は大胆で図太いながらトレーナーを畳むなど几帳面な部分も持ち合わせている。
覗き目的で便槽内に侵入し、狭さで出れなくなって凍死?
村にある教員住宅で事件は起こった。
平成元年2月28日の18時ごろ、村内の小学校に勤める女性教員のAさん(23)が、住まいとしている小学校に隣接した教員住宅に帰宅し、トイレに入って何気なく中を覗くと靴のようなものが見える。(※靴のうち1足が頭部付近にあった。もう一足は自宅付近の土手で発見された)
驚いて外の汲み取り口へ周ると蓋が開いていて、中を覗くと人間の足が見える。Aさんはすぐに教頭先生ほか同僚の教員を呼び、同僚の先生が警察へ通報した。まず近くの駐在から警官が駆け付け、続いて村の消防団員と三春署員が到着した。
署員らは便槽から中の人物を引っ張りだそうとするが狭くて出すことができず、周りを重機で掘り起こし、便槽を壊してどうにか出すことができた(便槽は後にSさんの父親が復元して保存している)
便槽の中の人物はすでに死亡していた。遺体は真冬というのに上半身裸で、着ていた上着を胸に抱えて膝を折り、顔をやや左に傾けた形で固まっていた。
遺体はその場でホースの水で洗われ、さらに運ばれた消防団の詰所で洗われ、医師による検案が行われた。
検案で死因は「凍え兼胸部循環障害」と判定された。狭い場所で圧迫され凍死してしまったという見解である。
体にはヒジ、ヒザにすり傷がある程度で目立った外傷も無かった。争った形跡も無い。死後硬直の状況から26日頃に死亡したものと思われた。
遺体の身元はすぐに判明した。現場から車で10分ほどの村内に住むSさん(26)だったからである。
警察はSさんが覗き目的で便槽内に侵入し、狭さで出れなくなって凍死したものと判断した。
事故死として警察に処理されたこの事件だが、村内では疑問を呈する声が囁かれた。
死亡したSさんは村に両親と祖母の4人暮らし。スポーツと音楽が好きな好青年。
高校時代は仲間とバンドを組んでギターを弾き、自ら作詞もして、自作の詩を書いたノートを何冊も残している。
もうひとつ気になる事実がある。
Sさんと教師のAさんとは、Aさんの恋人男性を通じて知り合いだった。
そして、以前Aさんがイタズラ電話に悩まされていたことがあり、Sさんは恋人男性と一緒にそのイタズラ電話を録音して、警察に届け出ていた。
結局この件で警察は動いてくれなかったが、Sさんの知人によると、Sさんは犯人が誰だかほぼ突き止めた様子だったという…
はたして突き止めたというイタズラ電話の主はどこの誰で、そしてこの件に関係していたのであろうか?
今となっては確かめるすべはない。
2分30秒の間に何が!?八王子スーパー射殺事件
1995年7月30日午後9時15分から17分頃。
八王子市大和田町のスーパー「ナンペイ大和田店」の2階事務所に拳銃を持った何者かに女性従業員3人が射殺された事件。
被害者はパートの女性A(当時47歳)、アルバイトの女子高生B(当時17歳)と女子高生C(当時16歳)の3人(年齢は、いずれも事件当時)で、犯行時間は数分間。犯人は何も奪わずに逃走している。
金庫を開けようとした形跡はなく、その他の貴金属類にも手をつけておらず、金銭目当てではない可能性もある。
女子高生2人は粘着テープで口を塞がれた上で互いの右手と左手を縛られており、至近距離から後頭部に1発ずつ発砲され、即死の状態であった。
また、パートの女性は体を縛られていなかったが、銃把で殴りつけられたのちに金庫の前に突き飛ばされたものとみられており、女子高生の殺害後に左右の額に銃口を押し付けられて殺害された。
17時00分
2人が勤務につく(Aは3号レジ、Bは2号レジ)。
男性従業員が退社(以後、従業員は女性のみ)。
17時30分
買い物客が、「店の前をうろつく、不審な50代の男」を目撃する。白いシャツにグレーのズボン姿だった。
18時30分
北の原公園で、地元自治会の盆踊り大会が始まる。店の周辺は、太鼓と曲で騒がしくなった。
スーパーから公園までは、約100m。盆踊り大会は、毎年行われている。
18時50分
非番の女子高生C(16歳)が、家から自転車で店に向かう。Bに会うためと、勤務予定を確認するため。
19時59分
Cが、「Bの横で、仕事が終わるのを待っている」様子を、買い物客が見ている。「終わったら祭りに行く」と話しているのも聞いている。
20時00分
店にいるのは、Cを含め女性3人のみ。
Aは閉店(21時)より1時間早くレジを閉め、3号レジの売上金を2階の事務所に持って行く。
20時30分
レジ周辺は、女子高生B、Cの2人のみになる。
店内に、「何も買わずにうろつき、あたりの様子を伺う40代から50代の男性」がいたことが、目撃されている。
20時51分
閉店間際、Cが牛乳や卵を購入(レシートから判明)。
21時00分
公園では炭坑節が始まり、盆踊りが佳境に入る。
閉店時間。Bは2号レジの売上金を持ち、2階の事務所へ行く。
売り上げ係だったAが、売上金を受け取る。金庫に入れダイヤルを回し、施錠する。
21時03分
盆踊りの最後を飾る太鼓の演奏が、周囲に大きく響き渡る。
21時06分
Aが店内の戸締り、消灯を行う。
スーパーの横の路地に男の人影があったのを、運転中の住民が目撃。男は車のライトに顔を伏せた。
21時07分
盆踊りが終了。周囲は静かになる。
21時15分
事務所から、Aが知人男性に電話。迎えを頼む(通話記録より判明)。
21時17分
近くの路上で、高校生カップルが、スーパーからの5発の銃声を聞く。
Aが電話してから、路上の高校生が発砲音を聞くまで、約2分30秒。
21時20分
Aの知人男性がスーパーに到着。駐車場に車を停め、Aが出てくるのを待つ。
21時45分
Aが出てこないので、「先に行ってしまった」と思い、確認のため小料理屋に向かう。
21時45分以降
小料理屋にAがいなかったので、不審に思う。小料理屋の女将を乗せ、2人でスーパーに向かう。
22時00分
女将が事務所に入る(中で女性が着替えているかもしれないので)。
事務所の鍵は開いていた。
女将が、事務所入口付近で声をかけても返事もなかった。誰もいないようなので車に戻る。
女将は身長が150cmと小柄なため、室内の奥まで見えていなかった。
知人男性と女将が、2人でもう一度事務所に入る。撃たれていた3人を発見する。
佐賀女性7人連続殺人
1975年から1989年までに、佐賀県北方町、白石町、北茂安町、武雄市の半径20キロの地域で7件もの女性の殺人事件が発生した。事件の特徴として、以下の点があげられている。
・被害者女性の失踪が水曜に集中していること(7件中、6件)
・夕方から夜にかけて失踪していること
・5件の死因が絞殺であったこと(残り2件は、白骨化しており死因が不明)
4件目までは、捜査機関が犯人を起訴できずに公訴時効が成立。残り3件は起訴されたが、無罪が確定し、7件とも未解決事件となった。
7人の女性の失踪・発見の詳細
1975年8月27日(水)、北方町に住む当時中学1年生であったY(当時12歳)が、1人で留守番していた自宅から失踪。1980年6月27日に白石町の小学校プール横トイレの便槽の中で遺体で発見された。
1980年4月12日(土)、白石町に住むH(当時20歳)が、1人で留守番していた自宅から失踪。約2ヶ月後の6月24日、町内にある小学校の便槽から遺体で発見された。本件のみ、水曜日ではない。
1981年10月7日(水)、白石町に住む近くの工場の従業員であったI(当時27歳)が失踪。同月21日に中原町の空き地で絞殺遺体で発見された。
1982年2月17日(水)、北茂安町の小学5年生A(当時11歳)が下校途中に何者かに首を絞められ殺害され、翌日に絞殺遺体で発見された。
1987年7月8日(水)、武雄市の飲食店従業員H(当時48歳)が失踪、1989年1月27日に北方町大峠の崖下で遺体で発見された。以下の2件の遺体も同時に発見されており、3件をまとめて「北方事件」と呼んでいる。
1988年12月7日(水)、北方町の主婦N(当時50歳)が失踪。
1989年1月25日(水)、北方町の会社員Y(当時37歳)が失踪。
2人目の失踪直後の4月16日、父親宛てに「娘ハ帰ラナイダロウ、オ前モ苦シメ」という内容の差出人不明の手紙が届く。また、同じ頃、「人捜しのテレビ番組に出るな」「律子さんの写真を出すな」といった内容の電話が若い男の声で数回かかってきていた。
6人目の失踪から1週間後の昼ごろ、清美の自宅に中年男性の男の声で電話がかかってきて夫の忠雄が話をしている。中島宅の電話には録音装置を設置しており、捜査員も同席していた。
「もしもし、中島です」
「奥さん、見つかったそうですね」
「えっ?」
「よかったですね」
「一体どこで見つかったんですか」
「焼米(やきごめ)のほうでしょう」
(少し沈黙)
「あなたはどちらさまですか」
「あんたの知った人間だ」
洋子の話は信じるな
1994年(平成6年)9月2日午後7時頃、主婦の嵐真由美さん(当時27歳)が、出産のため戻っていた墨田区の実家から外出、当時1歳半の娘を残し、そのまま行方不明になる。
・姉である洋子さんの証言で捜査が進められていくが・・・
洋子さんの証言によると事件当日、「同級生と会う」と言い残し家を出た真由美さん。しかし、その同級生に確認したところ行方不明の翌日は会う約束はしていなかったという。
その後、テレビ朝日のスーパーJチャンネルがこの真相を探るべく密着。その際の父親へのインタビュー映像に奇妙な貼り紙が映り込む。
その貼り紙に書かれていた文章は「洋子の話を信じるな」だった。洋子とは上にも述べた通り真由美さんの実姉。この貼り紙がネット上で物議を醸し出し話題になる。
その後事件に進展はなく、いまだ嵐真由美さんは見つかっていない。
北関東連続幼女誘拐殺人事件
1979年以降、4件の女児誘拐殺人事件と関連が疑われる1件の女児連れ去り事件(失踪事件)が栃木県と群馬県の県境、半径20キロ以内で発生しており、これら5事件まとめて「北関東連続幼女誘拐殺人事件」とされている。また、5つの事件はいずれも現在の群馬県太田市及び栃木県足利市のどちらかで発生しているが、そのうち、足利市内を流れる渡良瀬川周辺で遺体が発見された3事件は「足利連続幼女誘拐殺人事件」ともされている。
これら事件の特徴として、以下の点が共通点としてあげられている。
・被害に遭ったのが4歳から8歳までの児童である点
・3事件においてパチンコ店が行方不明の現場になっている点
・3事件において河川敷で死体遺棄されている点
・4事件において金曜、土曜、日曜および祝日に事件が発生している点
また、これら5事件全てが未解決事件となっており、犯人特定・犯人逮捕には至っていない。
日本テレビの報道特別番組『ACTION』や『バンキシャ!』で、記者の清水潔が「4件の誘拐殺人事件に加え、1996年に起きた太田市の女児連れ去り事件は連続事件なのではないか」とする観点から、2007年1月から報道を続けている。
同番組では、足利事件の被疑者とされていた男性が1991年に逮捕されて身柄拘束中であるにもかかわらず、その5年後に類似事件である「太田市パチンコ店女児連れ去り事件」が発生したことから、「足利事件の解決」が不自然であるとし逮捕された男性は冤罪の可能性があるとしてキャンペーン報道を展開。DNA型再鑑定の必要性を訴え続け、再鑑定が実施されたところ真犯人と男性のDNA型は一致せず釈放となった。2010年3月に再審により、男性の無罪が確定した。
2010年、足利事件の検証を行った最高検察庁は、足利事件を含む北関東で起きた事件が同一犯における連続事件の可能性を認めた。犯人が逮捕されない今、再犯の可能性が危惧されている。
グリコ・森永事件
1984年3月の江崎グリコ社長を誘拐して身代金を要求した事件を皮切りに、江崎グリコに対して脅迫や放火を起こす。その後、丸大食品、森永製菓、ハウス食品、不二家、駿河屋など食品企業を次々と脅迫。現金の引き渡しにおいては次々と指定場所を変えたが、犯人は一度も現金の引き渡し場所に現れなかった。犯人と思しき‘‘キツネ目の男’’が何度か目撃されたが逃げられてしまったため、結局正体は分からなかった。
その他、1984年5月と9月、1985年2月に小売店で青酸入り菓子を置き、日本全国を不安に陥れた。
1984年4月12日に警察庁広域重要指定事件に指定された。
2000年(平成12年)2月13日に東京・愛知青酸入り菓子ばら撒き事件の殺人未遂罪が時効を迎え、全ての事件の公訴時効が成立。警察庁広域重要指定事件としては初めて犯人を検挙出来なかった未解決事件となった。
単なる誘拐事件と最初は思われていたが、大手食品会社が次々と脅迫され、実際にシアン化ナトリウム入りの食品がばら撒かれるなど、当時の社会に与えた影響は計り知れないものがあった。
企業への脅迫状とは別に、挑戦状を新聞社や週刊誌に送りつけ、その内容は「けいさつの あほども え」など、警察を挑発したりあざ笑うような内容が多く、自分達の遺留品の細かい出所まで書いたり、失態の責任を取って焼身自殺した滋賀県警本部長(ノンキャリアながら本部長まで出世した人物であった)を「男らしゅうに」と表現し、それと対比させてキャリア出身の責任者を貶めたりするなどしていた。
犯行の際の遺留品の多さにもかかわらず、遺留品が大量に、広範に流通された商品なので犯人の特定には至らなかった。
犯人グループの車両から採取されたELと呼ばれる特殊な電子部品の削りカスの廃棄物から捜査が行われたが、犯人に結びつく成果は得られなかった。なお、犯人も終息宣言の後は一切活動をしていない。警察発表では、犯人は何も得てはいないということになっているので、一連の犯行の目的が何であったかは不明のままである。前述の通り、犯人側は1984年9月12日に森永製菓に送りつけた脅迫状の中で、グリコは6億円を支払ったとほのめかしているが、グリコをはじめとする被害にあったメーカーは犯人側への金の支払いを否定している。一説には、脅迫を受けた企業の株価が乱高下しており、それにより利益を得た、あるいは株価の操作そのものが目的だったとする説もある。
妊婦切裂き殺人事件
1988年(昭和63年)3月18日、愛知県名古屋市中川区のアパートに会社員(当時31歳)の男性が帰宅。室内で、妻である臨月の妊婦(当時27歳)が殺され、赤ちゃんが泣き叫んでいるのを発見した。
妻は両手を縛り上げられており、首に電気コードを巻かれ、絞殺されていた。死体は、薄い鋭利な刃物で、みぞおちから下腹部にかけて縦38センチにわたって切り裂かれていた。彼女の足元には、赤ん坊が、へその緒をつけたまま泣き叫んでいた。犯人は妊婦を絞殺後、胎児を生きたまま取り出してへその緒を刃物で切断し、子宮にコードを切り離したプッシュホン式の電話の受話器と、キャラクター人形のついたキーホルダーを入れた後、妻の財布を奪って逃走した。
取り出された胎児は男の子で、太ももの裏、ひざの裏、睾丸の3箇所を刃物で切りつけられていたが、病院で約1時間の手術を受け一命を取り留めた。
なお、絞殺の凶器は別の物であり、首に電気コタツのコードが巻かれたのは死後とされている(コンセントが刺さっていた状態で発見された)。
有効な手がかりがないまま2003年(平成15年)3月18日に公訴時効が成立し、未解決事件となった。世間の好奇の目にさらされ続けた夫と子供は1999年(平成11年)に日本国外に移住している。
売春島失踪事件
渡鹿野島(売春島として有名らしい)の人身売買を調べて行方不明に。
1998年(平成10年)11月24日、三重県伊勢市内で地域雑誌『伊勢志摩』(現『伊勢人』)の編集記者、辻出紀子さんが行方不明になりました。
警察は、彼女に自分の意志で失踪することがないことなどから、何かの事件に巻き込まれたとみて捜査をつづけています。
しかし、ご両親や友人たちによる必死の情報提供の呼びかけもむなしく、何の手がかりもありません。
平成10年11月に失踪した辻出紀子さん。北朝鮮による拉致の可能性が浮上している 平成10年に三重県伊勢市で失踪(しつそう)した女性が、北朝鮮に拉致されているとの情報が中朝関係筋から政府に寄せられていたことが7日、複数の政府関係者の話で分かった。女性は政府認定の拉致被害者や特定失踪者リストにも含まれておらず、捜査当局は拉致事件での立件を視野に再捜査を開始する方針を決めた。当時、現場近くに不審船の出入りがなかったかどうかなどを洗い直す。政府の拉致問題対策本部もこうした情報を把握、強い関心を示している。この女性が拉致されていることが確認されれば、18人目の拉致被害者になる。
北朝鮮の金正日総書記は昭和60年代以降の拉致を否定しており、この拉致疑惑が事実であれば、北朝鮮の主張がまた一つ根底から崩れる可能性が出てきた。
女性は宮崎県生まれで、伊勢市の地域雑誌「伊勢志摩」の編集記者をしていた津市の辻出紀子さん=失踪当時(24)。辻出さんは平成10年11月24日深夜に退社した後、行方不明となった。
三重県警は、辻出さんが知人男性から伊勢市内の損害保険会社駐車場に呼び出されていたことを把握、事情聴取したが「当日夜に会ったが、付近の県道で車から降ろした後は知らない」などと話し、捜査は「迷宮」入りとなっていた。
しかし、今年春ごろに政府関係者が北朝鮮事情に詳しい中朝関係筋から「辻出紀子さんという方が北朝鮮にいるのではないか」との情報が寄せられていた。この際、日本側は「辻出さんの『つ』の字も出さなかったのに、先方から辻出さんの名前をフルネームで言った」(関係者)という。
辻出さんに関しては、平成18年夏にも「北朝鮮で似たような人を見た」との情報が脱北者から寄せられたが、日本のNGOが調査した結果、別人と判明したこともあった。
ただ今回、辻出さんの拉致情報が別ルートからも寄せられたことで、三重県警などは拉致事件の可能性を含め捜査を洗い直す方針だ。政府関係者は「第三国の人間が、拉致被害者や特定失踪者にもなっていない人の名前を知っているのは不自然だ」として高い関心を寄せている。
柴又女子大生放火殺人
1996年9月9日午後4時半ごろ、東京都葛飾区柴又3丁目の民家より火災が発生。
約2時間後に消し止められ、焼け跡から上智大学4年生の女性(当時21歳)の遺体が発見された。遺体は口と両手を粘着テープで、両足をパンティーストッキングで縛られており、首を鋭利な刃物で刺されていたことから警察は殺人事件と断定。現場の状況や交友関係などから、顔見知りの犯行と思われた。2015年現在も犯人逮捕には至っていない。
事件発生日は、朝から雨が降ったりやんだりしており、昼過ぎから強く降り出し始め、15:00時過ぎにはさらに激しくなっていた。父親は福島に出張中、姉も仕事でおらず、家には母親と被害者の二人きりだった。15:50少し前に被害者がトイレに行くために自室から一階に降りてきた。仕事に出かける準備をしている母親に「こんなに雨が降っていても自転車ででかけるの?」と話した。これが最後の会話になった。
15:50 – 母親が仕事のために家を出る、この時玄関に鍵はかけなかった。
16:15頃 – 近所の通行人によると火は出ていなかった。
16:35 – 出火。
16:39 – 隣家から119番通報。
18:00頃 – 内部が全焼、ようやく火が消し止められる。
消防隊員が2階で被害者を発見、直ちに病院に搬送され死亡が確認された。
事件から10年経った2006年9月に、両足の縛り方が「からげ結び」という特殊な方法だったこと、現場に残されたマッチ箱の残留物から家族以外のDNAが発見されたことが公開された。
魚津廃墟失踪
行万不明になっているのは、氷見市内の会社員A子さんと元スーパー店員B子さんの二人。
当時いずれも十九歳で、同市内の県立高校同同級生。
これまでの県警、氷見、魚津署の調べによると、二人は、昨年五月五日午後九時ごろ、家族に「魚津へ肝試しに行く」と告げて、B子さんの車で氷見市を出発した。
途中、やはり若者のたまり場所となっている新湊市の海王丸パークに立ち寄り、友人に会っている。
さらに同日午後十時過ぎ、二人が乗ったB子さんの車が、富山市と滑川市の市境の国道八号線を魚津へ向かって走っているのが、確認されている。
その後二人から、友人のポケットベルに、「今魚津市にいる」というメッセージが入ったが、ここで消息はばたりと途絶えた。
県警と氷見、魚津署は昨年六月下旬と十一月下旬の二回、魚津市内の国道八号線から同市坪野へ向かう道路を四コースに分け、それぞれ県警ヘリと山岳警備隊を動員、車が転落しそうな地点を徹底的に捜索した。
厳しい山道もあり、各ガケでは、谷底までロープを使って警察官が下りたりもしたが、何の手掛かりも得られなかった。県警は、二人が載っていたB子さんの車が発見されないことなどから、谷底や湖、海などへの転落の可能性が強いと見ている。
しかし、二人が向かったとされる場所が暴走族らのたまり場となっていたことなどから、事件に巻き込まれた可能性も捨てき.
れないとして捜査、家族から家出人届を受けた氷見署では、これまで、二人の友達関係者や家に残っていた所持品を調べるとともに、
十数人の男性の友達からも事情を聞くなどしている。
二人が今年三月で二十歳になったこともあり、県警では「尋ね人」として、警察署内の限定付きではあるが、二人の特徴などを示したパンフレットを作り、”準公開捜査”に踏み切った。しかし、有力情報は今のところない。
広島一家神隠し
広島県世羅町。岡山県との県境に近い山間の町で不可解な事件が起こった。
同町に住むYさん一家がペットの犬とともに忽然と姿を消したのだ。
Yさん宅は建設会社勤務のMさん(58)と妻J子さん(51)、Yさんの母(79)の3人暮らし。他に愛犬の「レオ」が一緒に暮らしていた。
美人と評判で町のキャンペンガールもつとめたことのある小学校教諭の長女Cさん(26)は、竹原市内にアパートを借りて独り暮らしをしていた。
事件が発覚したのは、2001年(平成13年)6月4日。
この日は妻が勤める会社の中国への社員旅行の出発日だったのだが、集合時間になっても現れないJ子さんを心配して迎えにいった同僚が、
もいないYさん宅の異変に気づいた。Yさん一家は忽然と姿を消してしまっていたのだ。
親族から捜索願いをうけ、広島県警甲山署は機動隊やヘリコプターを動員して付近を捜索するも、一家の姿を見つけることはできなかった。
失踪から1年程が経過した、2002年9月7日。
世羅町にある京丸ダムの湖底で、通行人が車が裏返しで湖底に落ちているのを発見、車のナンバーからYさん所有の車と判明し、車内から4人と愛犬の遺体が見つかった。
雨不足によって水位が減少したことが車の発見に繋がったのである。署は・遺体に目立った外傷がないこと・車のキーがささったまま・転落したと思われる場所の入り口には車止めがあり誤って進入する場所ではないことや、関係者への事情聴取から納得いく動機が判明したこと等から、無理心中と判断した。
その動機は公にはされていないが、地元ではまことしやかに語られているという。
ただし、無理心中としてもダムに飛び込むまでなぜ家族は抵抗しなかったのか?車の窓が開いていたのに逃げられなかったのか?といった疑問が浮かんでしまう。
井の頭公園バラバラ殺人
1994年4月23日午前、東京都三鷹市にある井の頭恩賜公園のゴミ箱にポリ袋に入った人間の足首が捨てられているのを、猫の餌を探すため偶然ポリ袋を開けた清掃員の女性が発見した。
駆けつけた警察官らが公園一帯を捜索したところ、計27個に切断された手足・胴体の一部が袋に入って7か所のゴミ箱から発見された。袋は小さい穴のある水切り用の黒い袋と半透明の袋の二重になっており、漁師らが使う特殊な方法できつめに結ばれていた。
手足の指紋はほぼ全て削り取られていたが、わずかに残っていた指紋とDNAから、被害者は公園の近くに住む一級建築士の男性(当時35歳)と判明した。死因は不明。肋骨の筋肉繊維にわずかな生前出血の跡があった。
この事件について、目撃証言などから怨恨説や後述の事故遭遇説、遺体の状態が複数人による組織的な犯行や異常性を匂わすことから宗教団体関与説など様々な説が錯綜していた。しかし、被害者の交友関係からは全く犯人像が浮かばず、また、犯人に結びつく物証や情報が乏しく、2009年4月23日、犯人の特定に至ることなく公訴時効成立を迎えた。犯人の動機など不明な部分が多い事件である。
切断されていた遺体は、関節や臓器などを無視して長さや太さも揃えられ、電動ノコギリのようなもので20cm間隔に切断されていた。これは、公園内のゴミ箱の投入口サイズである縦20cm、横30cmにほぼ合っていた。 また、血液が一滴残らず完全に抜き取られていた。そういった作業を行うには、一般家庭では追いつかないほどの大量の水と医学的知識が必要である。さらに、手足の指紋はほぼ全て削り取られていた。遺体の切断方法は少なくとも3パターンあり、複数犯説の根拠の一つになっている。
発見された遺体は体全体の3分の1ほどで、被害者の頭部、胴体の大部分は現在も見つかっていない。残りの遺体は、事件発覚前日の22日に公園のゴミ箱に捨てられ、ゴミ収集車に運ばれ処分されたとする説もある。
知人と別れた直後の22日午前0時すぎには、被害者によく似た男性が被害者の最寄り駅で事件現場近くのJR吉祥寺駅デパート脇で2人の若い男に殴られていたという証言があり、被害者の遺体が発見された当日の23日未明(午前4時頃)には公園内をポリ袋を持って歩く不審な2人組の男が目撃されている。2人組の男はともに30代とみられる。
その他には、失踪したと思われる時間帯(22日未明)に人と車が激突するような物音がしたという情報もあり、交通事故にあった被害者の死体を隠すためにバラバラにしたという見方も出ている。
まとめ
奇妙な事件は人々を不安にさせますね・・。