凶悪犯罪…女死刑囚たち。
太平洋戦争後の日本では死刑判決が確定した女の死刑囚は、2018年を基準に16人です。なお、現在までに実際に死刑を執行された女性死刑囚は、5名です。
久留米看護師連続保険金殺人事件
犯人となる人物は4人の女性です。主犯となる女性の吉田順子容疑者、堤美由紀容疑者、池上和子容疑者、石井ヒト美容疑者の4人です。4人は学生時代からの顔見知りで、看護学校の同窓生でした。その4人のうちの主犯となる吉田容疑者は貧しい家の生まれで、とても金銭欲の強い女性でした。若い頃から自信の巧みな話術で周囲の心を操り、金銭を巻き上げていました。
吉田容疑者以外の3人は、そんな彼女の巧みな話術に操られ、金品を巻き上げられたり等詐欺のターゲットにされていました。いろいろと搾り取られた挙げ句、久留米市看護師連続殺人事件の共犯者として犯罪に荷担させられるようになってしまいました。共犯となってしまった女性の3人は、事件後に主犯の女性と同じマンションにそれぞれ部屋を購入し、召使いのように扱われていました。
4人の職業久留米看護師連続保険金殺人事件という事件名の通り、看護学校を卒業している4人は看護師でした。白衣の天使と言われている看護師であるはずの4人がなぜこんな事件を起こしてしまったのでしょうか。吉田容疑者と堤容疑者は同じ病院に勤めていたようで、特に親密な仲だったようです。看護師で病院勤めということから、久留米看護師連続保険金殺人事件の凶器として使われた注射器やチューブは、入手しやすい状況でした。
1998年:最初の殺人1月24日、4人は久留米看護師連続保険金殺人事件の最初の最初の殺人を犯してしまいます。久留米看護師連続保険金殺人事件の被害者となってしまったのは、共犯の女性池上容疑者の夫でした。
吉田順子容疑者(主犯の女性、当時33歳)言葉巧みな話術で池上に、夫が妻子の殺害を計画していると思い込ませました。池上はそれ以前にも、夫の女性トラブルでの悩みを抱えていて、そのトラブルを吉田に解決してもらっていたために吉田の言うことを鵜呑みにしてしまい、夫が自らとこどもたちの殺害を企てていると信じきってしまいました。
そして、吉田容疑者の言うことを信じてしまった3人は、吉田容疑者と池上の夫の殺害の計画を立てます。4人は当初、被害者の食事に睡眠薬とカリウム製剤を注射して殺害しようと試みました。この計画は、1998年1月21日に実行されましたが、実行している途中で被害者が目を覚ましてしまうなどして失敗に終わります。
計画が失敗した数日後の、1998年1月24日、4人は再度この計画を実行します。被害者は、妻の池上容疑者が盛った睡眠薬とお酒により深く眠ってしまいます。眠ってしまった被害者に4人はカリウム製剤と空気を注射器で注入して殺害しました。被害者は死亡し、妻である池上容疑者には保険金の3450万が支払われました。保険金のほとんどは主犯の吉田容疑者の手に渡りました。子どもがいた池上容疑者でしたが、事件後は子どもを養護施設に預け、吉田容疑者のもとで暮らすようになっていきます。
久留米看護師連続保険金殺人事件2人目の被害者 ・久門剛さん(石井ヒト美の夫)
久留米看護師連続保険金殺人事件2人目の被害者です。吉田容疑者は、久門さんが金銭トラブルを抱えていると石井容疑者をマインドコントロールして、「解決には保険金を得るしかない」と思い込ませます。1999年3月27日、死因を急性アルコール中毒に見せるために、酒豪だった久門さんのビールに久留米看護師連続保険金殺人事件の1つ目の犯行と同じく睡眠薬を混入させます。
そして、チューブを用いて、眠ってしまった久門さんの胃袋に直接酒を流し込みましたが、なかなか死ななかったため、我慢できなくなった吉田容疑者は久留米看護師連続保険金殺人事件の1つ目の犯行と同じく静脈に空気を注射しました。すると、容態が急変し、久門さんは救急車で病院に運ばれましたが死亡が確認されました。
久留米看護師連続保険金殺人事件3人目の被害者(未遂) 堤美由紀の母
未遂に終わりましたが、2000年5月、堤容疑者の母親の家に侵入して、インスリンを注射して眠らせてから首を絞めて殺害しようという計画を立てます。金品を盗む目的の計画でしたが、この久留米看護師連続保険金殺人事件の3度目の計画は未遂で終わりました。
4人へ下された判決!
・吉田純子 主犯だと認定されて、1審で死刑が確定しました。高裁では控訴を棄却。上告も棄却されて、死刑が確定しました。
ADVERTISEMENT ・堤美由紀 1審で無期懲役の判決が出ました。控訴は棄却され、上告しなかったので無期懲役で刑が確定しました。
・石井ヒト美 1審で懲役17年の判決が出ました。控訴は棄却され、上告しなかったので懲役17年で刑が確定しました。
ADVERTISEMENT ・池上和子 1審の判決が出る前に子宮がんで死去しました。
和歌山毒物カレー事件
和歌山毒物カレー事件(わかやまどくぶつカレーじけん)とは、1998年(平成10年)7月25日夕方に和歌山県和歌山市の園部地区で行われた、夏祭りにおいて提供されたカレーに毒物が混入された事件です。和歌山カレー事件とも呼ばれています。主婦が犯人として逮捕され、2009年(平成21年)5月18日には、最高裁判所にて死刑が確定しました。
1998年7月25日、園部地区で行われた夏祭りで、カレーを食べた67人が腹痛や吐き気などを訴えて病院に搬送され、小学4年の男子児童と高校1年の女子生徒、園部第十四自治会の会長と副会長の4人が死亡しました。被害者は会場で食べた者や自宅に持ち帰って食べた者などで、嘔吐した場所も様々だったようです。異変に気付いた参加者が「カレー、ストップ!」と叫び、一連の嘔吐がカレーによるものと発覚しました。
当初保健所は食中毒によるものと判断したが、和歌山県警は吐瀉物を検査し、青酸の反応が出たことから青酸中毒によるものと判断。しかし、症状が青酸中毒と合致しないという指摘を受け、警察庁の科学警察研究所が改めて調査して亜ヒ酸の混入が判明しました。これを受け地元自治会や学校では臨時の会議が行われ、今後の対応について話し合われました。
1998年10月4日、知人男性に対する殺人未遂と保険金詐欺の容疑で、元保険外交員で主婦の林 眞須美(はやし ますみ、1961年7月22日 – 、事件当時37歳)が、別の詐欺及び同未遂容疑をかけられた元シロアリ駆除業者の夫とともに和歌山東警察署捜査本部に逮捕されました。さらに月9日には、カレーへの亜ヒ酸の混入による殺人と殺人未遂の容疑で再逮捕。同年末の12月29日に眞須美は和歌山地方検察庁により、殺人と殺人未遂の罪で和歌山地方裁判所に起訴され、戦後日本では11人目の女性死刑囚となったのです。
富山・長野連続女性誘拐殺人事件
富山・長野連続女性誘拐殺人事件(とやま・ながのれんぞくじょせいゆうかいさつじんじけん)は、1980年2月に富山県で女子高生が殺害され、次いで3月に長野県で信用金庫に勤めるOLが殺害された事件。警察庁広域重要指定111号事件に指定された。犯行現場で赤いフェアレディZが目撃されていたことから「赤いフェアレディ殺人事件」とも呼ばれています。
1980年2月23日、富山県内で、帰宅中の女子高生がギフト店経営者の女・Mからアルバイトの話を持ちかけられ、Mが運転する日産のスポーツカー・フェアレディZに乗せられて誘拐されました。24日と25日の2日間、女子高生は自宅に「女の人にアルバイトを誘われ、会社の事務所に泊めてもらった」と電話したのを最後に連絡を絶っています。25日午後になって、Mから家族に身代金要求の電話がありましたが、具体的な金額を提示しませんでした。26日、岐阜県のラーメン店で、M、Mの愛人の男性・A、女子高生の3人が目撃されています。ラーメン店を出てから数時間後、女子高生はMに車内で睡眠薬を飲まされて昏睡状態のところを絞殺され、雑木林に遺棄されました。女子高生の遺体は翌月になって発見されています。