ドラマで天皇陛下の料理版を担当することになったというお話しのドラマ・「天皇の料理番」というものがありましたが、実はモデルになった人物がいたことをご存知でしょうか?ドラマでは実名ではありませんでしたが、秋山徳蔵という男性をモデルにしているんです。モデルになった秋山徳蔵さんは1888年の明治21年8月30日 にお生まれになり、明治時代から昭和時代の実に長きに渡って料理人としての人生を歩まれました。宮内省、のち 宮内庁においては大正時代から昭和の時代ににかけて主厨長を務められ、正四位勲三等の位階・勲等を与えれました。
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またフランス料理のアカデミー名誉 会員でもあられ、その実績や功績を認められて生涯を描いた小説なども発表されましたが、それらの作品を元にして「天皇の料理番」が生まれました。天皇の料理番では秋山篤蔵として描かれていましたが、実際の秋山徳蔵さんとはどんな方だったのでしょうか。
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物語の当初・天皇の料理番である主人公・篤蔵は不良っぽさが全開でしたが、秋山徳蔵さんはどうだったのでしょう。まさか宮内省(宮内庁)で働く人がそんな不良のような人ではないだろうとお思いですよね。
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実はドラマと同じように子供の頃はいわゆる悪ガキであったらしいのです。手に負えなくて寺に修行に出されたエピソードもあり、そのあたりはドラマと同じですね。そんな不良のような人生をこれからも送るのかと思われていたが、ドラマと同様に西洋料理と出会い、すっかりとその魅力に魅了されてしまうのです。その後、徳蔵さんは自身の料理の腕を磨いてもっともっと極めたいという熱い情熱を抱くようになり、西洋料理の本場でもあるフランスへ修行の為に渡ってしまいます。point 281 | 1
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今の世では料理修行の為にフランスへ留学するなんて事は珍しい事ではありませんが、当時の古き時代と考えでは大変に奇抜な事だったのではないでしょうか?何せ大正時代や昭和の初期頃は西洋文化が進み、日本国内に認め始められていたとはいえ、わざわざ西洋へ渡って学ぶという考えは普通というものではなかったからです。
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しかし、更なる高みと強い情熱を持って料理を極めんとしたその姿勢と情熱があったからこそ、秋山徳蔵という料理人は誕生し、本場の料理を提供出来る真の料理人だと認められることになったのでしょう。当時の宮内庁といえば、お硬く、伝統と古きを重んじるいわば頑固な巣窟ともいえます。それなのに認められて、宮内庁の料理長にまで昇りつめたのですから秋山徳蔵という人は本当に真の料理人だったといえるのではないでしょうか。