芸能人はどうやってデビューしたの?
芸能界に憧れている方も多いと思います。
今回は芸能人のデビュー秘話を紹介します!皆さん何がきっかけだったのでしょうか?
今市隆二
生年月日: 1986年9月2日 (年齢 31歳)
生まれ: 日本 京都府
「三代目J Soul Brothers」ボーカルの今市さん。ボーカルバトルオーディション2で三代目J Soul Brothersに加入しました。
『歌手デビューのきっかけとなったオーディション』について今市さんはこう語っています。『ボーカルバトルオーディション2でJSBに入ったんですけど、それまで100個ぐらい受けてたんで、週1とかで、とりあえず何でも良かったんですよ。』しかしなかなか受からず、「落ちすぎて、落ち慣れしてました。」と当時の心境も明かされました。
TAKAHIROさんがEXILEの新ボーカルに選ばれた2006年のオーディションにも今市さんは参加していたようです。「正直自信あったんですよね」という今市さんは、1次審査は通過したものの落選しました。
「2次審査で落とされた時はなんとも言えない悔しさで」と語り、その悔しさをきっかけに本格的にプロを目指す気持ちが固まっていったと明かしました。
今市隆二ってこんな人
TAKAHIROが受かったオーディションの2次審査まで行ったけど落ちた。それで本気でアーティストになりたいって夢を持って、夢を追いかけて約100回ものオーディションを受けた
「これで落ちたら今の仕事で頑張ろう」と受けた第2回VBAで3万人の中から見事合格ADVERTISEMENT — 登坂a.y.a.n.e. (@1Ayane3) December 6, 2014
ちなみに、三代目JSBのボーカルになる前は”圧接工”という仕事に就いており、職長をしていたそうです。
白石麻衣
生年月日: 1992年8月20日 (年齢 25歳)
生まれ: 日本 群馬県 沼田市
白石さんは2011年8月21日 乃木坂46第1期メンバーオーディション合格しました。
15年の6thシングル「ガールズルール」で初センターを務め、西野七瀬らとグループの中心的存在として活躍しました。
PEEDやPerfumeのような小規模のダンスボーカルユニットを目標に勉強していた白石さん。しかし担任の講師から勧められ、興味本位で乃木坂46の1期生オーディションを受験しました。
白石さんは、人前に出るのが苦手な私が、まさか受かると思ってなかった。と当時を思い出し語っています。
「いろんな仕事をして、いろんな人とかかわるようになって、人と話すのってすごい楽しいんだなって思えるようになった」「乃木坂は、自分でも知らなかった自分を知れた場所」とも語っていました。
安田大サーカス
巨漢のHIRO、強面のソプラノ・クロちゃん、そして団長と異色のお笑いユニット。2001年に結成されました。
団長は、「キングコング」のようなイケメンでグループを作りたかったようです。イケメンのコンビを探していた団長を驚かそうというドッキリで、当時髪が長く金髪だったHIROと、アイドルになりたかったクロちゃんが集められたものの、トリオを組む気もなく、たまたま3人で事務所を歩いていた時に、ますだおかだの増田にサーカス団と言われたことから安田大サーカスという名前がついたようです。
団長は「会社はすごい爆笑で、『そのノリだけで1ネタ作ってみろ』って言われてライブに出た。それがめっちゃウケた」と、結成秘話を語っています。
鈴木愛理
生年月日: 1994年4月12日 (年齢 24歳)
生まれ: 日本 岐阜県
鈴木さんは2007年、アイドル集団「ハロー!プロジェクト」に所属する℃-ute(キュート)の一員としてメジャーデビューしました。アイドルにとって憧れの対象のアイドルだった鈴木さん。女性ファンも多くいました。
「実は、『もう歌はやらないでおこう』って思っていたんです。というのも、歌やダンスが好きでこの世界に入って15年間やってきて、この15年間を超える熱量で取り組めず中途半端になってしまうくらいなら、好きな歌だからこそやめておこうって」
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しかし『℃-ute解散後の打ち合わせをしたとき、スタッフさんから『鈴木には歌って踊ってほしい』と言われました。』と語っています。
新垣結衣
生年月日: 1988年6月11日 (年齢 30歳)
生まれ: 日本 沖縄県 那覇市
新垣さんといえば06年、『ポッキー』のダンスCMで一躍お茶の間の人気者となって以来“ガッキー”の愛称で親しまれていますが、現在ももそのかわいさは無敵ですよね!
新垣さんは2001年に、雑誌「ニコラ」のモデルオーディションに合格。
表紙を飾ったのは当時最多の合計15回です!
当時はまだ朴訥な感じで、いまの芸能プロ社長に会ったときも本人はほとんど何もしゃべらなかったそうです。正直、最初はぜんぜん芸能人っぽくなかったんですが、決め手は箸の使い方が上手だったからだそうです。
石原さとみ
生年月日: 1986年12月24日 (年齢 31歳)
生まれ: 日本 東京都
15歳で芸能界デビューした石原さとみさん。デビューから今まで、テレビで見かけない日はないくらい大活躍を続ける彼女だけれど、実は女優を志したきっかけは意外なところにあったみたいです。
ずっと好きだった先輩に(中略)告白したんです。寒いのにミニスカートをはいて、頑張っておしゃれして。ところが先輩は学校一キレイと言われていた、私も憧れていた先輩とお付き合いしていたことが発覚して。別れ際に『その(女性の)先輩よりも、キレイで、可愛くて、スタイルが良くて、輝いている女性になります!』 みたいなことを言ったんですよね。
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彼女と同世代の私たちからすると、年を重ねるごとにどんどん美しくなっていく女性、という印象があるけれど…。彼女の美意識が目覚めたきっかけは、とある雑誌の表紙撮影のためにダイエットを試みたことだったようです。
ダイエットして良かったし、純粋にもっと可愛くなりたいと思えました。(中略)それから同世代の子たちよりも少し遅かったけれど、ヘアメイクやファッションに少しずつ興味を持ち始めました。
あるときマネージャーさんがコンビニでファッション誌を一気に4冊買ったんです。「そんなに雑誌って読むもの?」と驚いていたら、「雑誌を買って、ちゃんと読んで勉強しないとダメだよ」と。ADVERTISEMENT
それから、コーディネートやメイクの勉強を楽しめるようになったんだそう。生まれ持った素材に甘んじることなく、私たちと同じように美容やファッションの研究を重ねていたということです。地道な努力が身を結んで、今の「石原さとみ」が出来上がっていると思うと、なんだかモチベーションが上がるし、“女性”であることをもっと楽しめそうですね。
妻夫木聡
生年月日: 1980年12月13日 (年齢 37歳)
生まれ: 三橋町
“誰でも気軽にゲーム感覚で受けられるオーディションマシン”と銘打たれた世界初のタレント適性診断ゲームマシン「スタアオーディション」を知っていますか?同ゲームと連動して開催された「超ビッグオーディション」には全国のオーディション史上最多である300万人が参加。記念すべき第1回グランプリに輝いたのが当時高校2年生の妻夫木さんだったのです。
「遊び半分で参加したらトントン拍子で残ってしまい、今の仕事をすることになりました。500円で仕事を見つけました(笑)」と語った妻夫木さん。ほかにも、第3回「超ビッグオーディション」では「忍風戦隊ハリケンジャー」(テレビ朝日系)のレッド役として活躍した塩谷瞬さんがナムコ特別賞を受賞。同回のグランプリは女優・市川由衣さんが獲得しています。
三宅健
生年月日: 1979年7月2日 (年齢 38歳)
生まれ: 日本 神奈川県
三宅さんはジャニーズ事務所入所の際、オーディション免除。ジャニー喜多川社長から「ユーはルックスで行くから」と当初からVIP待遇を受けていたことを告白しています。
その後、三宅さんは「V6やらない?」と、V6でのデビューをジャニーさんに持ちかけられたそうです。「(森田)剛は入らないの?」と聞くと、「入らない」と言われたそうです。森田剛さんはいないとのことで、、三宅さんは「(森田さんがいないなら)じゃあやりたくない」と言い、ジャニーさんに交渉したそうです!その際ジャニーさんに三宅さんは「お前、森田剛が入ったら一番になれないじゃない!」と言われたようです。
前述した通り、森田さんと三宅さんは当時ジャニーズJr.
のトップを争う人気だったから同じグループに入れることでどちらかがトップになれないことをジャニーさんは心配していたようです。しかし三宅さんは「それでもいいから、森田剛を入れてくれ」と頼み込んだそうです!ジュニア時代から三宅さんと森田さんがかなりの仲良しだったのが伝わってくるエピソードですし、三宅さん曰く森田さんがいないとV6は売れないと思ったための決断だったそうです。
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