エヴァンゲリオンの最終回は、当時視聴者に「何?これ」という感想しか出ない、と評判でした。
何が「おめでとう」なのか、さっぱりわからない状態のTVシリーズ最終回。
しかし、その後に上映された「エヴァンゲリオン シト新生」「エヴァンゲリオン Air/まごころを、君に」によって、「あぁ、そういうことだったのか!」と納得できる、という仕様になっています。なぜ劇場版(ここでは旧劇場版の意)で補足をしたのか、理由が色々と飛び交っていましたが、基本的に「制作期間の関係」が主な理由です。
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テレビ東京との契約で決めていた期間内には、構想段階でとても終わらせられるものではなかったそうです。そのため、後に監督は「弐拾伍話は、制作期間が足りなくなったから、ああいう形になった。本当は劇場版の弐拾伍話のような内容をやるつもりだった」と話しています。しかし、最終話は「もともとああいう内容で終わらせるつもりだったし、真の最終回だ」と語りました。
要するに、劇場版の弐拾伍話、弐拾六話が本来TVシリーズの弐拾伍話になる予定だったのです。point 291 | 1
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なので、後からエヴァンゲリオンを一気に見た方に多い「TVシリーズの後に劇場版」という順番は、実は間違っています。
弐拾四話→劇場版弐拾伍話→劇場版弐拾六話→最終話の順番で見ると、それまでの疑問がストン、と腑に落ちる感覚があります。劇場版の弐拾六話最後のシーンで残った二人、その内心描写を表したのが最終話になっています。point 228 | 1
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最終話で、なぜシンジが内にこもってしまっているのか、「望んだ世界」とは何か、それらの答えが劇場版に詰まっているのです。だから、最終話の最後で海のようなどこかわからない場所に立つシンジを祝福する仲間たち、という構図が表現されています。あの場所は、地球であって地球ではない場所、原点回帰した地球、と表現するのが最もしっくりくるでしょう。
サードインパクトが起こり、全てが一つに還ってしまった世界、個々の望みが叶った世界、それが劇場版の最後であり、最終回の最後の場所なのです。point 301 | 1
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それぞれの風景が違うのは、最終回最後の世界が主人公であるシンジが「望んだ世界」だからであり、ほかのキャラであれば、またほかの風景が広がるでしょう。
いくつもの可能性があり、いくつもの世界がある、世界はひとつではなく「もしもあの時こうしていたら」「もしもこんな世界だったら」といった選択肢や望みの数だけ無数に、それこそ無限大に世界は存在し、その中の一つが補完された世界が、エヴァンゲリオン最終回の世界です。
無限大の中のひとつの例として再現された「エヴァのない世界で、同級生のアスカと転校生のレイ」のシーンは、それを表しています。point 326 | 1
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誰もが思う「もしも」、願いや望み、希望からだけではなく、絶望や不幸、最悪からも世界は創られ、自分が「こうなりたい」「こうあればいい」と思うだけで世界は明るく変わり、「どうせ」「もう嫌だ」と思うだけで世界は絶望に変わる。
何事にも希望があり、何事にも絶望がある、それらは考え方次第で、いくらでも変えられる。だからこそ、自分自身で絶望を希望に変えることができる、そう教えています。
晴れの日は気分良く、雨の日は憂鬱、その考え方も、雨の日にだっていいことはある、そう考えるだけで世界は変わる、最終回で語られている言葉ですが、まさにその通りです。point 334 | 1
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嫌だ、嫌いだ、そう思っていては何も好きになれない、これも作中で語られています。
考え方次第で良くも悪くもなり、何かを嫌ってばかりいては何も好きにはなれない、単純なようで複雑なその考え方は、誰もがわかっていることなのに、誰もが忘れていることだ、そう感じる方は多いのではないでしょうか。
難しい本でなら、それを難しい言葉で説明しているのでしょうが、なかなかそういった考えを改めてみる機会は少ないと思います。このエヴァンゲリオンという作品は、その最終回は、その機会を与えてくれています。point 305 | 1
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結局、エヴァンゲリオンという作品は主人公=視聴者という構図を取り、その物語全体で、誰もが忘れていること、誰もが一度は思うこと、誰もがぶつかる壁を、思い出させ、改めて考えさせ、乗り越えさせる方法を示しているのではないかと思います。
その主人公の年齢を「14歳」にしている理由は、一番多感で、大人になりきれていない子供で、子供でなければ大人でもない時期に当たる年齢だからです。その頃は、誰もが他人に失望したり、自分に失望したりする機会が多い時期でもあります。
だからこそ、主人公であるシンジがその年齢なのであり、大人への道標として、階段を一段昇るための通過儀礼なる物語が、エヴァンゲリオンです。point 360 | 1