田代まさしの現在の姿は?
「日本一有名なシャブ中」である田代まさしは5度の逮捕を経験し、現在は有名の薬物更生施設DARCでスタッフとして働いています。薬物依存者に向けて啓蒙活動をしているそうです。
田代まさし(たしろ まさし)
1956年8月31日生まれの佐賀県出身。
歌手・お笑いタレント
5度の逮捕と2度の懲役を経て現在は薬物更生施設DARCのスタッフとして薬物乱用者への講演活動などを行っています。
2016年2月、元野球選手の清原和博が覚せい剤取締法違反で逮捕されたことをきっかけにNHK『ニュースウオッチ9』を始め、各社の報道番組に連続して出演し、薬物依存の恐怖を語りました。
定まらない視線の田代まさしがメディアに露出すること自体が「薬物乱用の恐怖」を体現しているのではないかと思う人はたくさんいます。現在では芸能界へ復帰しようという意思はあるのでしょうか。
「僕、クスリを使ってると滑舌良くなったり、手の震え止まります。逆です」前回の出所直後のメディア露出でも同じことを言いました。田代まさしはろれつが回らない方が普通で、しっかり話せるのはクスリを使用中の状態なんだそうです。
「元々、滑舌が悪く緊張すると手が震える。」と自分を説明する田代まさしは逮捕時と違ってお腹のあたりが大きく膨らんでいます。NHKの番組では、自分がスタッフとして仕事をしている更生施設DARCでの様子が取材されていました。
芸人時代、緊張すると考えてきたネタを披露することすらできなかったこともあったそうです。
三度目の逮捕で裁判官から「タレントに向いてないのでは?」と聞かれた時、「そう思います」と肯定しています。
「寂しさとか孤独とか、最初はそこから入るんだけど、1回やってしまうと『次に次に』っていう気持ちが勝ってしまう。『今回でやめられる』ってすごく心に誓うんですけど、それをもってしてでも負けてしまうのが薬の魔力なんですよ」
覚せい剤などの薬物常習者は痩せているという先入観があるが、中には反対に体重が増加するケースもあります。田代まさしは逮捕された時から比較して体重が15キロほど増えたと言われています。
『とくダネ』(フジテレビ)にもあわせて出演し、クスリを辞めることに関して田代まさしのコメントは「薬物乱用の常習性を良くあらわしている」と答え、話題になっていました。
体型の変化は2014年7月に刑務所を出てから「合わせて15キロぐらい太ったんじゃないかな」と言いながらシャツをめくってでっぷりしたお腹を見せてくれました。
2010年9月16日、アジア太平洋経済協力会議(APEC)国際会議の警備が厳しくなった横浜市中区の赤レンガパークの駐車場内で、田代まさしはコカインをポリ袋に入れて所持していたことで現行犯逮捕4度目に逮捕されました。。一緒にいた美容室経営者の荒井千恵子も同時に逮捕され、ポーチや自宅からも覚醒剤、コカイン、大麻が見つかり10月14日に覚せい剤取締法違反(共同所持)の容疑で再逮捕となり、これで5度目の逮捕です。
逮捕された田代まさしの痩せた姿も印象的でした。5回目逮捕では田代まさしは復帰に向かってサポートをしていた周辺の著名人全てを敵に回してしまいました。鈴木雅之は、「本当に何と言っていいか言葉になりません。あれだけ多くの人に迷惑をかけたのだから、そのことを肝に銘じて生きてほしかったです。本当にあいつは大馬鹿です」とコメントを出しました。
裁判の結果としては常習性が顕著とされ、懲役3年6か月の実刑判決になりました。これは府中刑務所に2度目の収監です。
薬物は当時の交際相手である荒井千恵子を通じて入手していたと裁判で語っています。握手会で薬物の密売人から連絡先のメモを渡されたと答えています。
激ヤセでまるで別人のようだった!と田代まさし逮捕時の新聞報道で話題になりました。
田代まさしは薬を使わない日を積み重ねることで、薬から遠ざかるのが更生だと言っていました。2016年のお正月にはこんなイラストをネットに投下し、じわじわ怖いと評判がありました。
2016年1月2日Twitterにアップされた自作のイラストでは「今年は僕は年男です!嫌なことは『去る』年! 去年よりも『まサル』年!猿の鳴き声は『喜喜喜喜喜~』本年も宜しくお願い致します!」と投稿しました。猿の文字の形にねじれる枝に白目が飛び出ている猿の顔は異様な雰囲気が漂います。
田代まさしは1956年佐賀県生まれです。父は生まれて間もない田代まさしと母を置いて他の女性の元へ。父はキャバレーのチェーン店を経営していて、母は夜の仕事をしていたため、大家に預けられて育ったそうです。小学校入学する直前に都内へ引っ越し、新宿区百人町で生活していたそうです。
田代まさし13歳の時に母が再婚したきっかけでそれまで疎遠だった父へと身を寄せることになります。しかし父と再婚相手の家庭には田代まさしの居場所がなく、生活が荒れて行きます。
有名人の鈴木雅之との出会いは芝浦工業大学工業高校機械科で同級生だった時です。鈴木雅之の家に入りびたりになり、家族同然に育ったというのも有名な話です。悪いことは一通りやったという田代まさしは傷害事件を起こしたこともあると言われています。
高校を卒業してからシャネルズのメンバー久保木博之の紹介で同じガソリンスタンドに就職しました。会社の寮に入ることで父の家から出て、大型自動車免許を取得し1978年にトラックの運転手に転職しました。この時期に覚せい剤を先輩運転手から勧められ試してみたが何も感じなかったというエピソードがあるようです。
そして1980年に、「シャネルズ」としてデビューしました。シングル『ランナウェイ』は110万枚のミリオンセラーになりました!
ヒット曲で華々しくデビューした直後、シャネルズのダークなイメージを植え付ける事件が起こりました。メンバー5人(久保木・桑野・新保・山崎・須川)が埼玉県青少年保護育成条例違反の疑いで書類送検されています。この事件でシャネルズは半年間謹慎しています。田代まさしはこの事件には関わりませんでした。
田代まさしは1986年頃からお笑いタレント、司会業の仕事が増えました。「小道具の天才」などの異名をとるようになり、志村けんとのコンビも人気がありました。
原宿「マーシーズ」という、田代まさし全盛期のキャラクターショップもありました。
しかし、2000年9月東急東横線都立大学駅構内で女性の下着を盗撮しようとする不審人物がいるという通報があり、帽子・マスク・サングラス姿の田代まさしは警察に同行し事情聴取されることになりました。
ワイドショーのインタビューに「『ミニにタコができる』というタイトルのギャグ映像を作ろうとしていた」と答えました。後々続く薬物乱用とそれにまつわる一連の奇行の最初の事件でした。「罰金5万円」の罰を受け、芸能活動を一時休止していました。
志村けんを中心に田代まさしは芸能界に復帰し、2001年7月に多くの番組に出演しています。 しかし、同年年末に風呂を覗いた事件直後に自宅から覚せい剤が押収されています。
近所の男性宅の風呂を覗いたことで軽犯罪法違反容疑で現行犯逮捕されました。その後、自宅から覚せい剤が押収されています。覚せい剤取締法違反容疑(使用・所持)で再逮捕となり、2002年に懲役2年執行猶予3年の判決が出ています。所属事務所の契約も解除し、放送予定だった番組は収録済みの田代まさし映像はすべてカットされました。
2004年6月、そろそろ田代まさしのテレビ復帰も検討されていた頃に深夜青梅街道の「転回禁止」の場所でUターンしてオートバイに乗った男子学生に衝突する人身事故を起こしました。業務上過失傷害と道路交通法違反容疑で書類送検になり、復帰案も白紙へとなりました。
同年9月に覚醒剤と刃渡り8cmのバタフライナイフを所持していたことで銃刀法違反と覚せい剤取締法違反で現行犯逮捕されました。懲役3年6か月の実刑判決を受け、服役中に離婚をしました。
田代まさしは2008年7月栃木県の黒羽刑務所を出所し、公式ブログを開設しました。ネットを中心に活動を再開し、田代まさしの存在そのものがネタのようになりました。2008年後半に長年絶縁状態にあった志村けんや鈴木雅之との関係を修復するための動きも見られました。
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田代まさしは2009年年末志村けんと再会し、謝罪をすることができたと報告しました。
2010年2月、鈴木雅之30周年記念コンサートででラッツ&スターのメンバーが久保木以外全員そろったという画像がアップされました。しかし、2010年には横浜で女性と共に現行犯逮捕され、5度目の逮捕となりました。その後、鈴木雅之とは絶交状態になっています。
田代まさしには2人の子供がいて、2005年に元妻とは離婚しています。妹が二人いて、出所後は同居した時期もあったようです。
覚せい剤のせいで現在でも、元妻と娘とは絶縁状態が続いていると言われています。田代まさしは 「薬を使わないで頑張ってるんだけど、家族も社会も認めてくれない」と言っています。最愛の母は亡くなり、現在は妹たちとの絆が強い支えになっていると語っています。
母子家庭だった田代まさしは未だにガラケーを愛用し、その待ち受け画面は現在でも母の画像だそうです。
田代まさしは母の命日に墓参りに出かけたとツイッターに載せました。覚せい剤の禁断症状で苦しみ、死のうと思った時に夢枕に立った母に励まされた話を語ったこともあります。
元妻と娘とは絶縁状態だが、息子とは時々食事に出かけることがあると言われています。息子の田代タツヤは現在ミュージシャンとして活躍しています。
息子・タツヤのバンド「撃鉄」のライブ動画がありました。
家族が背負った十字架にまた1つ重りが付いた。もはや怒りも悲しみも感じません。ただ1つだけ言いたいこと書きます。同情も哀れみも嘲笑も本当にいらないけど母や妹を傷付けるやつは絶対に許さないから。根も葉もない心無いことを書いたり言ったりしてる人を数年間黙って見てきたのでそこは頼みます。
ADVERTISEMENT — 田代タツヤ (@tercy_xpixiex) 2015年7月10日
娘の小夏は現在、芸能界の仕事をしていないが、小学校3年生の時に活動していた二世キッズのグループの画像がネットに残っています。
田代まさし、研ナオコ、ブラザーコーンの娘で結成されていたユニット『小夏・ひとみ・レイナ』。現在は活動していません。
当時、芸能人御用達として有名だった東横学園小学校の3年生の同級生同士で有名人二世コンビ『小夏・ひとみ・レイナ』。田代小夏は画像の左に写っています。田代小夏の画像は子供時代の写真のみ残っているが、他の2人に関しては現在の画像もありました。
現在のブラザーコーンの娘・麗奈
現在の研ナオコの娘・ひとみ
薬物乱用更生施設ダルクは全国に至って施設を持っていて、現在、田代まさしは東京都のダルクに籍を置き、全国で講演をしている様子がTwitterにアップされています。
日本ダルク代表-近藤恒夫
1941年秋田県出身
30歳で覚せい剤を使用し、37歳で精神病院に入院しました。39歳で逮捕歴があって、出所後はアルコール依存症者の回復施設職員を経て1985年ダルクを開設しました。自身の薬物乱用経験をもとに薬物依存者回復の支援活動を行っています。
薬物依存経験者が他の薬物依存者のサポートをするダルクでは田代まさしは電話番なども行うスタッフの立場だと言われています。入所には全ての私物を没収されます。お金も携帯電話も持つことができないので、耐えられずに脱走する患者も数多く見られます。厳しく管理され、結婚相手とは離婚してから入所するとも言われています。一方で、薬物に関わった人たちの集団の中で薬物をやめることは難しいのではないかという指摘もあります。