芸人で売れた途端、たけしの母は「たけし、金くれ!」と、度々要求していました。
果たしてそこには、どんな真相が隠されているのでしょうか。
ビートたけしさんのお母様である北野さきさんは、1999年にお亡くなりになりました。
お葬式の場、ビートたけしさんは号泣していました。
その姿は、お母様への愛情がとても大きかったこと、そして、お母様を失った悲しみの大きさを物語っていました。
たけしさんはテレビ番組で、お母様の愛情を語ったことがありました。
実は、たけしさんがタレントとして芸能界で売れっ子となった途端、お母様からは度々にお金を要求していたと話していました。
「病院代をくれ」、「水道の修理代をくれ」など…。
お母様から要求される度に、たけしさんは20~30万ほど手渡していたそうです。
しかし、そんな度重なる金要求には、たけしさんも「因業ばばあ!」と、悪い態度を見せてしまったことがあったそうです。
しかし、後から当時にお母様の金銭要求の真実を知ったたけしさんは、涙が溢れ出てきたと話していました。
1986年12月9日、たけしさんはフライデー襲撃事件を起こしてしまいました。
それは、『フライデー』の契約記者がたけしさんと交際していた専門学校生の女性(当時21歳)に全治2週間の怪我を負わせたことに対して、報復をしたことでした。
結果として、たけしさんには懲役6か月、執行猶予2年の判決が下され、怪我を負わせたフライデー記者には、罰金10万円の判決が出ていました。
また、1994年8月2日、たけしさんは東京都新宿区の安鎮坂付近を原付バイクで走行していた際に自損事故を起こしてしまい、重傷を負いました。
当時は右側頭部頭蓋骨陥没骨折、脳挫傷、右頬骨複雑骨折で、長期入院して、治療を受けていたこともありました。
「たけし、再起不能」などと記事に書かれ、当時のたけしさんは、芸能界に復帰できるかどうかが未知だった状態でした。
そんな時、お母様のさきさんがたけしさんの所に訪れ、通帳とはんこを置いていったそうです。
実は、さきさんは息子さんの金使いの荒さを心配していたため、今まで要求してきたお金を一円も使わずに貯金してくれていました!
そんなお母様の息子への愛情が、とんでもなく深いことを知ったビートたけしさんは、母親のありがたみを痛感したと語ってくれました。
ビートたけしさんのお母様の深い親子愛。
息子の将来を考えながら、隠れて貯金をしてくれていたことには感動しました!
ネットでは…
「ビートたけしって、色んな事件を通り過ぎてるな」
「フライデー襲撃事件には、ビックリしたよ」
「お母さんって、有り難い文だったんだな」
「北野さきさんは、たけしさんへの愛情がとても深かったんだろう」