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写真が嫌い!?平成が生み出したカリスマ米津玄師の隠された学生時代とは


謎のベールに包まれていたカリスマミュージシャンから、昨年末の「NHK紅白歌合戦」での電撃出演を経て、国民的人気歌手に躍り出た米津玄師さん(28)。今年の6月7日公開のアニメ映画「海獣の子供」では、自身初の映画主題歌書き下ろしとなる「海の幽霊」を提供しています。そんな活躍の幅を広げている米津玄師さんですが、学生時代は写真嫌いだったと言います。

米津玄師が”カリスマ”と呼ばれるまで

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MedPeer

・4500gの赤ちゃん

1991年3月10日、徳島県徳島市の木材業の工場が立ち並ぶ港町に米津玄師さんは生まれました。出生時の体重は4500gとその頃から大物だったようです。当初は漫画家を目指していたそうですが、小学5年生のとき、当時インターネットで流行していたFLASHアニメーションを視聴し、使用されていたBUMP OF CHICKENの楽曲に感銘を受けたそうです。point 268 | 1

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・初めてのバンド活動

中学2年のときに、初めてアマチュアバンド「late rabbit edda」のフロントマンとして活動を始めました。当時、”バンプオブチキン”や”アジアンカンフージェネレーション”に憧れていた米津少年は、2万円のギターを購入します。そして、ここから伝説が始まったのです。

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アマナイメージズ

・曲作りに夢中になっていた高校時代

中学生の時から、マルチトラック・レコーダー(MTR)という録音用機器を使ってオリジナルの曲を作成していましたが、高校生になり、ニコニコ動画に自作の曲を配信するようになります。しかし楽曲作りに熱中していたため、学校は休みがちだったようです。当時を振り返って米津さんは『ロッキング・オン・ジャパン』2015年11月号で「1日15時間とか曲作って、1ヶ月に3曲とかアップロードしてる時もあった」と語っています。point 277 | 1

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・”ハチ”としての米津玄師

「ハチ」という名義で、クリエイターとして約30曲程度のオリジナル楽曲を発表していた米津玄師さんは、2012年より本名で活動を始めました。2012年5月に発売したファーストアルバムは、インディーズ発売ながら、オリコン週間アルバムランキングで初登場6位を記録し、一気に快進撃が始まります。

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ビジネスジャーナル

・”52週連続”という快挙を達成

2018年3月14日に8thシングル「Lemon」をリリースしました。TBS系列ドラマ『

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wikipedia.point 10 | org/wiki/%E3%82%A2%E3%83%B3%E3%83%8A%E3%83%81%E3%83%A5%E3%83%A9%E3%83%AB">アンナチュラル

』の主題歌として提供されたこの曲は、3月25日付のオリコン週間カラオケランキングで52週連続1位を獲得し、歴代の1位記録を塗り替えた他、Billboard JAPAN Hot 100の年間チャートでは単独1位を獲得するほど人気となりました。また、同年の『紅白歌合戦』に出演し「Lemon」を初披露しています。point 242 | 1

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・平成生まれのアーティストとして

今年4月、米津玄師の代表曲でもある『Lemon』は史上初の記録をもたらしました。シングル発売と、デジタルダウンロード回数を合わせ、300万セールスを達成。トリプルミリオンは平成生まれのアーティストとして、初の偉業となります。また、過去10年間でトリプルミリオンを達成した、サザンオールスターズの『TSUNAMI』、SMAPの『世界に一つだけの花』に次ぐ記録です。

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YouTube

・YouTubeの再生回数が3億回を突破

2018年2月27日にYouTubeに公開された「Lemon」のMVは、2019年2月9日、3億再生を突破しました。ちなみにDAOKOとコラボした『打上花火』のミュージックビデオは現在までに2億6000万回以上再生されてます。

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・初のアリーナツアーを開催

これまで数々の偉業を成している米津玄師さんは、2019年1月から自身初の全国アリーナツアーを開催しました。ツアーの動員数は、8都市16公演で17万人以上となっています。また、国内公演を終えた後には、上海、台湾でも公演しています。

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米津玄師が写真を嫌う理由とは

“カリスマ”と呼ばれる米津玄師さん。2018年末の『NHK紅白歌合戦』電撃的出演を経て、その人気はとどまるところを知りません。最近ではメディアで米津さんを見ない日はありませんが、学生の頃は写真を嫌っていたと言います。

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徳島新聞

幼稚園から小・中学校は自宅から近いところで通っていた米津少年は、絵を描くのが好きで、物静かな少年だったと言います。

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「小学校高学年で担任だった先生いわく、『顔も覚えてない』。引きこもり気味だったと聞いています。同じ小学校の子が卒業アルバムを見て、初めて同級生と気づく。それぐらいおとなしい子だったそうです」(近所の飲食店店主)

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また中学の同級生は、「昔から雰囲気は変わってなく、前髪で目が隠れるような髪型でしたね」と当時を振り返っています。多感な時期だった学生時代に音楽と出会います。中学2年の頃に幼馴染みとバンドを組み、曲を作り始めす。そのころから「プロになりたい」という思いが芽生えていたようです。やがて徳島商業高校に進学し、当時よくギターをかついで自転車通学していたそうです。

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はてなブログ

「昼休みはイヤホンつけて、いつも音楽を聴いてました。聴いてる最中に話しかけられるのを嫌がってて、声をかけたらものすごい怒られた。一度、昼休みに教室が騒がしかったとき、いきなり米津がバーン! と机を叩いて、教室を出ていったことがありました。きっとうるさかったんでしょうね(笑)」(高校の同級生)point 202 | 1

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高校2年のときには、修学旅行で北海道のスキーを選択。同級生によると「運動神経はイマイチだった」という証言もありました。高校の文化祭では、「Toy Circus Show」というバンドで舞台に立ちます。当時の米津玄師さんは、同級生に”写真嫌い”についてこう説明していたそうです。

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Yahoo!ニュース

「『俺は将来、絶対売れるんで、写真を残したくない』って言ってました。中学のころから本気で音楽で食べていくつもりだったのはヨネだけ。大阪の専門学校に進学するとき、『大阪に着いてバスを降りる瞬間、声をワントーンあげる』って宣言していました。今の彼をテレビや雑誌で見ると、自分を変えることに成功したんだなと思います」point 215 | 1

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その言葉を裏付けるように、集合写真にもなぜか写っていません。その後、ライブハウスで活動するようになったそうですが、ライブハウスの店長も、米津さんの音楽センスに目をつけていたそうです。

「米津くんはギターボーカル。同級生と3人で作ったバンドで、何度か出演していた。全曲オリジナルで、高校生のレベルじゃない完成度でした。高校のころから、ネットに曲を上げてたでしょ。行動からして、プロミュージシャン志向。社交的な性格じゃないから、友達を呼ぶこともほとんどなくて、観客ゼロくらいの日もあったけど、めげない芯の強さがあった。彼を知る同世代の地元バンドマンは、口を揃えて『自信家だった』と言いますね」point 293 | 1

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芸能人小顔データベース

26歳の米津玄師さんが書いた「子どもの頃の自分へ宛てた手紙」の一節には《今ぼくは概ねあなたの予想通りの未来にいると思います。バンドという形ではないものの、あなたがこうでありたいと願ったことはなかなか叶えられているんじゃないかな》(『Cut』2017年9月号)とあります。今や映画やテレビアニメに楽曲を提供するなど、すでに全国区の知名度を獲得していますが、これからの米津玄師さんの活躍に期待です。point 258 | 1

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