2000年当時はSMAPは国民的アイドルスターであり、そのメンバーの一員である木村拓哉はドラマや映画、バラエティなどかなり活躍していて、その活躍の幅も今後ますます広げていくということは確実なものでした。しかしそんな活躍の幅を広げ人気があるタイミングで、木村拓哉の結婚という報道があり、当初はかなり世間を賑わせていました。もちろん互いに好き合っている人同士が一緒になるのは、当然であり自然なことです。しかし、その対象が国民的アイドルスターとなれば話は別で、ファンはもちろんファンではない人でもかなり衝撃を受けました。賛否両論ありましたが、批判されていた理由の一つが相手が工藤静香だったということではないでしょうか。
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SMAPの人気絶頂時というタイミングから、怪しいと感じる人もかなり多く、なぜジャニーズ事務所が許可を出したのかということも世間の疑問でした。現在もですが、当時のジャニーズ事務所は結婚に対してかなり厳しい考えを持っていて、なかなか許可を出してくれることがなく、認めてもらうためにわざと妊娠をし、降ろすことができない時期に入ってから知らせたのではないかということも囁かれていました。
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木村拓哉と工藤静香が結婚の発表をしたときには、、結婚報告だけではなく既に妊娠四カ月であることも発表されたこともあり、できちゃった結婚ということで更に世間を騒がせましたが、妊娠という既成事実を作ることで、ジャニーズ事務所が認めるしかない状態に持ち込んだという世間の推測は間違いではなかったと言えます。
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しかし妊娠に関しては、木村拓哉の意思というよりも工藤静香の策略だったのではないかということも、世間では囁かれていました。それも、工藤静香が以前から三十歳までには結婚をし、子供を産みたいと語っていたからです。
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工藤静香が不妊治療をしていたということもあり、妊娠という既成事実を作り、結婚をするという選択肢を木村拓哉に選ばせたという考えをする人が多いのも当然のことだったと言えます。結婚を発表したときには、すでに妊娠四ヶ月となっていましたが、妊娠して四ヶ月経つまで気がつかないということは、なかなかあることではありません。
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ましてや子供を望み不妊治療に力を入れていたとなれば、妊娠したらすぐに気がつくのではないでしょうか。しかし木村拓哉が工藤静香との結婚をこのタイミングにした真相は、工藤静香の策略だったのではないかということは、本人達にしかわからないことです。