相撲界の悪夢・・・
今月9日、元横綱・日馬富士から暴行を受けた十両・貴ノ岩が大相撲春場所に出場することを、師匠の貴乃花親方が明らかにしました。
そんな暴行事件が起き、過去にあった相撲界の悪夢を思い出した人も少なくないのではないでしょうか?
時津風部屋の力士暴行事件で序ノ口力士だった長男を亡くした新潟市の斉藤正人さん(61)は「身内の論理が優先される相撲界の体質は何も変わっていないと思った。息子の死は何だったのかと思うと、とても見られなかった」と語っています。
時津風部屋 力士暴行死事件
2007年6月26日、同年春に時津風部屋に新弟子として入門した当時17歳の時太山(ときたいざん)、本名・斎藤俊(たかし)さんが、稽古時間中に心肺停止状態となり、搬送先の犬山中央病院で、約1時間後に死亡が確認されました。救急車で俊さんを搬送した犬山市消防本部は、巡業先を管轄する愛知県警犬山署に「労働災害の可能性あり。不審死の疑い」と連絡していましたが、病院の医師は死因を急性心不全と診断、犬山署は虚血性心疾患に変更して発表しました。point 293 | 1
遺体に残された外傷や「死亡した俊さんはマリファナを使っていた」という証言、死因の責任を転嫁する当時の師匠・15代時津風(元小結・双津竜)の発言などから、俊さんの両親が死因を不審に思い、地元の新潟に遺体を搬送し、同月28日、新潟大学医学部で公費承諾解剖を実施したことから暴行の事実が発覚したのです。point 205 | 1
検察側の主張によると、俊さんが稽古や人間関係の厳しさから部屋を脱走したことに15代時津風が憤慨して、6月25日にビール瓶で額を殴り、さらに数人の力士に「かわいがってやれ」と暴行を指示したようです。
翌26日も通常は5分程度のぶつかり稽古を30分ほど行い、俊さんが倒れた後も蹴りを入れたり、金属バットで殴打するなど集団暴行しました。
警察の任意取調べに対して15代時津風や数人の兄弟子が容疑を認めました。
親方は遺族に無断で、名古屋で火葬しようと・・・
当時の15代・時津風親方こと山本順一は、俊さんの死を実家に伝える際に、「荼毘に付してから実家に送りたい」と、愛知で火葬すると申し出ました。しかし遺族はそれを断り、遺体はその日の夜11時、新潟の実家へと運ばれました。
『火葬することに遺族は抗議した』について詳細説明
親方は遺族に無断で、名古屋で火葬しようと企てる。(死亡診断書があれば法的に可能)
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葬儀屋の職員が、遺族親戚が立会わない火葬は極めて異例と不審に思った。
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親方、葬儀屋に「火葬はまだですか」「一刻も早く火葬してください」と催促。
葬儀屋、遺体に刻まれた無数の傷を発見。
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葬儀屋の職員は、新潟の両親に電話して、『本当に火葬しても構わないのですか?』と尋ねる。
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すぐに父親は電話で親方に抗議。親方に火葬の中止を求める。
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親方「もう既に日取りは決まってある」「今さら勝手な事を言うな」と父親の要望を却下。
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父親、葬儀屋に電話。葬儀屋、名古屋の火葬を直ちに取りやめ、遺体の搬送を行う。
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遺体は両親の新潟に搬送され、両親と涙の対面をした。
(遺体の付き添いは葬儀屋の職員だけ、相撲部屋の関係者は一人も来なかった)point 377 | 1
死因は「多発性外傷性ショック」
遺体を見て、遺族たちは息を呑んだそうです。顔は腫れ耳は裂け、体中にアザと擦り傷があり、太ももにはタバコの火を押しつけた跡さえあったのでした。
ぶつかり稽古での死亡で、こんなにも変わり果てるはずがありません。不審に思った遺族の要請により新潟大学医学部で承諾解剖が行われ、死因は「多発性外傷性ショック」であることが判明しました。
愛知県警は司法解剖の必要はないとしたわけですが、この遺体の状態では、常識的に考えてもあり得ない判断でした。親方・山本順一の言い分を鵜呑みにしたもので、警察と角界の馴れ合いを指摘する声もあがりました。
ごめんな。何かが変わると思ったんだけどな
今回、日馬富士による暴行事件が明るみになった相撲界。
俊さんの父・斉藤さんは「今回も表に出るまで時間がかかった。日馬富士の引退も、相撲協会が何かを決断したわけじゃない。10年経って改善するどころか、身内に甘い体質はそのままだ」と話しています。
前親方の初公判直後に体調を崩し、杖なしでは歩けない斉藤さん。それでも相撲界が変わることを信じて裁判所に足を運びました。それから10年。斉藤さんは仏壇の俊さんの写真に手を合わせると「ごめんな。何かが変わると思ったんだけどな」と語りかけました。