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タイタニック号の乗客エピソードまとめ!涙なしにはいられない…


タイタニック号は、出航からわずか4日後の1912年4月14日午後11時40分に氷山に衝突し、その数時間後には船体が真っ二つに割れて沈没してしまいました。助かったのは約710名、乗員乗客合わせて約1500人が犠牲になるという、最大の海難事故となりました。今回は、そんなタイタニック号に乗船していた乗客のエピソードを何人か紹介していきます。

SOSを送り続けた通信士


写真: gakugo.net

ジャック・フィリップスはタイタニック号の通信士で、もう1人の通信士「ハロルド」と2人体制で、乗客の電信や船長への気象情報伝達にあたっていました。事故の前には、他の船から多くの氷山警告信号を受け取っていましたが、ジャックは乗客との電信のやりとりが増えるに従って、いくつかの信号を無視してしまったのです。そのため、この事故は彼のせいだと批判する人もいます。しかしながら氷山衝突後、彼は乗員乗客の命を救うため、真っ先に救助要請の信号を送り始めました。沈没が確定し、船長に逃げるように指示されてもその場に留まり、沈没の3分前までSOSを送り続けたのです。彼がいなければ、被害者はもっと増えていたかもしれません。その後、間一髪で救命ボートに乗り込んだジャックでしたが、ボート上で凍死してしまいました。point 421 | 1

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救命に尽力した六等航海士


写真: www.titanicjp.com

当時24歳だったジェームズ・ムーディーは、六等航海士という決して高くはない等級の乗組員でしたが、その勇敢な行動から有名になった人物です。事故の直後、等級の低かった彼は、救命ボートで乗客と一緒に避難するように指示されましたが、勇敢にも辞退し、最後まで船に乗って1人でも多くの乗客を非難させようとしていました。彼の姿が最後に目撃されたのは沈没の2分前で、まだ残りの救命ボートを海に浮かべようと奮闘していたそうです。彼の故郷の教会には、彼の勇敢な行動と栄誉を称えた銘版が残されています。point 323 | 1

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子どもを残して乗船した男性


写真: bushoojapan.com

3ヶ月前に妻を亡くしたトーマス・ミラーは、2人の息子を養うためにタイタニック号にエンジニアとして乗船しました。息子たちは一旦妹の家に預け、アメリカで生活の目途をたててから呼び寄せようと考えていたようです。出発前、彼は息子たちに1枚ずつペニー硬貨を託し「次パパに会えるまで大切にとっておきなさい」と伝えます。しかし悲しいことに、彼は二度と息子に会うことはありませんでした。兄のペニー硬貨は無くなってしまったものの、弟が貰ったペニー硬貨は「父親からの愛の証」として今もまだ大切に保管されているそうです。point 331 | 1

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最後の演奏


写真: www.google.co.kr

ウォレス・ハートリーは、タイタニック号が沈没した際に、演奏していた8人組バンドのリーダーを務めていました。氷河へ衝突してから沈むまでの間、彼らの演奏によって多くの人がパニックにならず落ち着いて救助活動の専念できたことを生存者たちが語っています。事故から数週間後にウォレスは、バイオリンを革のケースに入れて、大切そうに体に結び付けた状態で発見されました。そのバイオリンは、2年前に婚約者のマリア・ロビンソンが送ったもので、バイオリンには「ウォレスへ、婚約を記念して、マリアより」と刻まれた銀製の飾り板が付いていました。point 333 | 1

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出向直前にキャンセルした青年


写真: kaigai-drama-board.com

当時24歳だったアレックス・マッケンジーは、両親からもらったチケットを持って乗船する列に並んでいた時に、どこからか「乗ったら死ぬぞ」という声が聞こえてくることに気づきました。辺りを見回しても誰もいないため、気にせず登場しようとした時、再び同じ声が聞こえ、無視しようとすると、同じ声がさっきよりも強く聞こえてきたそうです。結局彼はその声に従い、タイタニック号には乗らずに両親の待つ家に戻り、結果的に命拾いしたそうです。point 298 | 1

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新婚旅行中だった夫婦


写真: kwsklife.com

二等客室の乗客だったエドワード・ビーンと妻のエーテルは、新婚旅行でタイタニック号の船旅を満喫していました。船が氷山にぶつかった時も、他の多くの乗客と同様に「この船は絶対に沈まない」と信じていたため、部屋でくつろいでいました。しならくして事態の深刻さに気づいた2人がデッキへ上がると、既に船上は人で溢れかえっており、救命ボートには妻のエーテルしか乗せることができませんでした。残されたエドワードは、沈没する寸前に極寒の海へ飛び込み、自力で泳いで助けを求めました。幸いにもその後、救命ボートに引き上げられ、救助船でエーテルと再会することができました。point 349 | 1

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タイタニック号最後の寄港地で下船した男性


写真: www.jiji.com

イエズス会の牧師だったフランシス・ブラウンは、叔父にもらったチケットでタイタニック号に乗船しました。乗船した人のほとんどがニューヨークまでの航海チケットでしたが、彼が持っていたのは、その一つ手前のクイーンズタウンまでのチケットでした。そのため事故の直前に船を降りた、8人のうちの1人になりました。後に、彼が乗船中に撮ったたくさんの写真は、タイタニック号の「最後の瞬間」をとらえた、とても貴重なものとなり、世界中のメディアで彼の写真が使われることになりました。point 315 | 1

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勇敢に人々に尽くした伯爵夫人


写真: detail.chiebukuro.yahoo.co.jp

映画にも登場したロテス伯爵夫人は、実在する人物がモデルとなっています。従姉妹と侍女の3人で乗船していた彼女は、衝突の後、載せられた救命ボートで男性よりも勇敢にハキハキ指揮をとったり、同乗者ひとりひとりを励ましたりと、一晩中精力的に動き続けました。それだけではなく、無事救助船がニューヨークに到着してからも船に残り、他の人々の手当てなどに尽力したのです。後に、彼女が乗った救命ボートの乗組員だったトム・ジョーンズから救命ボートについていた真鍮プレートを進呈され、二人の交流は彼女が無くなる1956年まで続いていたそうです。point 357 | 1

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