立川談春さんは1966年生まれの立川流に所属する落語家です。高校を中退し、17歳で7代目立川談志さんに入門し、立川談春の前座名を名乗ります。1988年に二つ目に昇進し、1997年に真打に昇進し独演会を公演したり、テレビ番組や映画などに多く出演している人気落語家です。
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「赤めだか」は立川談春さんが書いた作品で、主に立川談志さんに入門した頃のエピソードが描かれています。「赤めだか」はエッセイで、当初文芸季刊誌に連載されていて、当時の題名は「談春のセイシュン」でした。2008年刊行された時にタイトルが「赤めだか」に変更されています。高校を中退し、立川談志さんに入門してから国立演芸場での真打トライアルや真打昇進までの立川談春さんの苦難や葛藤が描かれています。2015年にはテレビドラマ化され、多くの視聴者が見ました。
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あらすじは、1980年代半ばの空前の漫才ブームにおいて、佐々木信行、のちの立川談春は中学校での芸能鑑賞会で、落語家である立川談志に出会います。この出会いから数年後、信行は高校生になるのですが、立川談志の弟子になるために立川流の門を叩くのです。立川流では「親の援助がないと弟子は生活することができない」という理由から、談志は信行に厳しく 「弟子になりたいなら親を連れて来い」 と言います。信行は両親を説得しようとしますが、両親からは 「高校だけは卒業しろ」 と言われてしまい、父親と決裂して家出してしまうのです。翌日、信行は談志を訪ねるのですが、談志は「両親は不慮の事故にあい、亡くなった」 と嘘をつきます。信行は生活費は新聞屋で住み込みして稼ぐと言い、どうしても弟子にして欲しいと頼みこむのです。その勢いを買い、信行の願いをかなえ、談志は「談春」という名前を与えます。信行は立川流に正式に入門を許されることになります。談志の元には同じ弟子たちの談々や関西 ダンボールといった面々がいて、彼らと一緒に談志から言われる家事や、無茶な難題などこなしていきました。落語の稽古はつけてもらえないので、これが修行なのかと日々疑問に思いながら談春は生活していきます。
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ある日、談春は兄弟子の志の輔から 「そんな生活が嫌なら、早く二ツ目になれ」 と言われてしまいます。落語家には見習いや前座、二ツ目や真打ちがあり、二ツ目になるとやっと落語家として認められるのです。落語会を開くことができ、立川流では古典落語を50覚えて、家元がその中から選択したネタをその場で演じ納得させることができると、入門した年数に関係なく、二ツ目に昇進することができる仕組みでした。志の輔は入門して1年半でその条件を見事にクリアし、二ツ目になっています。やっとやることが見えた談春は、寝る時間を惜しんでネタを覚えます。立川流に入門してから半年ぐらいすると、やっと親の許しをもらえ、最低限の生活費を親が出してくれようになりました。新聞屋のバイトもやめて、談志からの受けも良くなり、次第に談春は成長していきます。ある日、談志が稽古をつけると言っていた時、談春は風邪を引き、師匠に迷惑をかけてはいけないと思い、稽古を断ります。それが談志の怒りに触れてしまい、その後稽古をつけてもらえなくなるのです。その態度に談春は完全にすねてしまい、談志から「弟子を続けたかったら、築地で1年働け」と言われてしまいます。落語の世界では師匠の言うことは絶対というルールがあり、仕方なく談春は築地でシューマイを売るようになりました。しかし、談春は築地での修行を断った弟子がいると志の輔から聞き、その弟子である志らくに文句を言いに行きます。
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落語家として日々を必死に生きる立川談春や弟子仲間たちとの笑いや苦悩を描いた感動ストーリーです。