13日、女剣劇のスターとして人気を集めた俳優の浅香光代(あさか・みつよ、本名北岡昭子〈きたおか・しょうこ〉)さんが 膵臓(すいぞう)がんで死去しました。享年92歳でした。
母が働く料亭の常連客から紹介され、9歳のころ浅香新八郎・森静子の「新生国民座」に加わったという浅香さんは、東京・神田生まれ。終戦後 まもなく一座を組み、不二洋子や二代目・大江美智子に続き、男装をした女剣劇の座長として活躍しました。
花柳流の師範でもあったが、返上し「演劇舞踊浅香流」の家元に。浅草の自宅ビルに稽古場兼舞台を設け、若手の指導にあたったていました。門弟は全国に3千人以上いたという。テレビタレントとしても活躍。
がんと知らず「仕事の準備整えていた…」 “隠し子”騒動の息子、北岡昭次さんが…
べらんめえ口調の歯に衣(きぬ)着せぬ物言いが魅力で 人気を集めました。元プロ野球選手・野村克也さんの妻、野村沙知代さんに剣劇を教えたことで話題となりましたが、その後、沙知代さんを批判したことで、いわゆる「ミッチー・サッチー騒動」を繰り広げたことでも話題に…
1992年にコメディアンの世志凡太(82)と事実婚していた浅香さんですが、2014年、週刊誌で、20代はじめの頃、大物政治家との間に生まれた2人の“隠し子”がいることを告白し、大きな騒動に。息子には 59年間も父親の存在を隠し続けてきたそうで 政治家の名前は 明かさなかったものの、イベントに出演した際、「元総理大臣?」という質問に「そうです」と認めたという。
14日、浅香さんの“隠し子”である“次男”としてテレビ出演したこともある 息子の北岡昭次さんによると、浅香さんは10月に膵臓がんと判明。医師からは余命3カ月と宣告されたが、本人にはがんを告知しなかったと明かしました。
浅香さんはがんを「知らなかった」と思うとし、「舞台は去年から立てていませんでしたが、仕事をするために準備は整えていたと思う」と最後まで“芸”に生きた 母の生きざまを語っていました。
10月末には都内の病院に入院。緩和ケアを受けていましたが、容体が急変したのは1週間ほど前。北岡さんは10月にも NHKのBSの仕事をしており、今月22日に放送される予定だという。
患者本人にとって 残り3ヶ月は物凄く貴重な時間に…きっとまだやりたい事があったのでは?
今回のこの悲報にも多くのコメントがよせられているようですが…
《 元総理ではなく元大臣ですね。私はその方と同じ出身地ですが年配の方はかなりの人が知ってます 地元でも人気ありましたよ 》
《死ぬまで現役だったし 大往生だと思うけど 本人はきっとまだやりたい事があったんでしょうね。お悔やみを… 》
《ご冥福をお祈りします!ミッチー サッチーいいコンビでした!》
《告知してなくてもたぶん本人は長くないことはわかってたと思う。祖母が 同じくすい臓がんで本人に告知なしだったけど、月日が経つにつれ長くないんだろうなと悟ってるのを感じた 》
《 自分の大病を知らずに好きな仕事の事を想い最後を迎える、いろいろな考えが有るけど、それも幸せなのかも知れない… 》
《本人に知らせるかどうかは、可能であればリビングウィルを取得した方が良い。但し、身内であればそれが無くとも本人の性格を考慮して正しく判断して欲しい。患者本人にとって 残り3ヶ月は物凄く貴重な時間になる。3ヶ月あれば身辺整理も出来るし、しっかりとお別れも出来る。本心から言葉を交わすこともできる。思い遣りから知らせない…というのは正しくない場合の方が多いと思う 》
等など、告知に対する賛否の声も含めて、昭和の大御所の訃報には、やはり 多くの悔やまれるという声がよせられているようでした。