1996年にSPEEDのメンバーとしてデビューした今井絵理子さん(35)。平均年齢13.
5歳という若さで数々のヒット曲を発表し、怒涛の平成を駆け抜けてきた彼女は、平成が終わろうとしている今、煌びやかな芸能界のステージとは全く異なる“政治”のステージで、若手参議院議員として活動しています。今回、時代が変わりゆくなかで、今井絵里子議員に平成の時代をどう生きたのか、そして次の令和の時代をどう生きようとしているのか1時間に及ぶ単独インタビューを行いました。
SPEEDとしての今井絵理子
“今井絵理子”この名前を聞いた時、あなたはどんな姿を想像しますか?SPEEDのメンバーとしての”スター今井絵理子”か、政治家として演説する”若手参議委員の今井絵理子”か、それとも不倫騒動で注目を浴びた”お騒がせ今井絵理子”でしょうか。
平成という時代について、今井絵理子さんは少し考えた後、自身の率直な想いを話してくれました。
「振り返ると、私にとって平成は夢がかなった時代という感じですね。5歳のときから歌手を目指して、沖縄のタレント養成所で訓練を受けたのが小学校2年生ぐらい。ずっと夢を追い続けて、ようやく夢がかなった時代ですかね。実は周りからは売れないと言われていて。当時は歌の世界に小学生・中学生のグループがいなかった時代でしたから。『子供の歌を誰が聞くのか』と言われながら、それでも私達は夢をずっと追い続けていました。平成はそんな私たちが歌手デビューすることができ、大きな会場でライブをすることもでき、次々に夢がかなっていった時代でしたね」
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そう話す今井さんの表情はとても柔らかく、政治家としての力の入った顔つきとは明らかに違っていました。しかし、「でも、」と続ける今井絵理子さんの口からは思いもよらぬ言葉を発したのです。
「でも、正直あんまり記憶がないんです。忙しすぎてなのか、駆け抜けすぎたのか。中学1年生の時にデビューを果たして解散までの3年半。まさに怒涛の日々だったからかもしれませんね」
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記憶に残らないほどの怒涛の平成時代を過ごしたSPEEDとしての今井絵理子さん。2000年にグループを解散し、その後はソロ歌手としてCDを出す一方、ドラマや映画にも出演するというマルチな活動を行なっていました。2004年にミュージシャンと結婚し男の子を出産しました。子育てがはじまるとともに、芸能界での活動は以前より少なくなっていったそうです。
政治家としての今井絵理子
そんな平成時代の前半を過ごし、後半は再び議員として脚光を浴び始めた政治の世界へ。しかし、今井絵里子さんにとって政治の世界はそもそも縁遠いものだったそうです。
「テレビで見ることしかなかったですからね。身近に政治家の知人もいないし、政治家の討論を聞いても難しくて理解できないと思っていました。ニュースで流れてくる情報は不祥事ばかりで、どちらかといえばマイナスなイメージが強かった」
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しかし、政治家へのマイナスなイメージを持ちながら、その世界に飛び込もうと思ったキッカケについて、今井さんはこう語りました。
「ご存知の方もいると思いますが、息子には生まれつき耳が聞こえないという障がいがありました。子育てやボランティア活動を通じて、息子と同じように障がいのある子どもたちやお母さんたちと出会い、いろいろな話を聞いたり、また自分の体験のなかで制度や教育の現場に疑問を感じたりすることもあって。ある会合で出会った議員に、『立候補しませんか』と薦められて」
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現在、国会議員として障がいのある子どもたちの教育環境が少しでも良くなるように、文部科学省に対して要望を行っているそうです。また、参議院の文教科学委員会という”教育、文化、スポーツ”などに関する行政や法律を扱う委員会に所属しています。
さらに、「政治家になりたい気持ちはあったのか」という問いに、今井さんは食い気味に「そんなことは考えたこともない」と答えました。
「政治家になるなんて考えたことはありませんでした。ただ、立候補を打診された時にこんなことを考えました。何かを変えたい時、たとえば障がい児がおかれている環境を改善しようとした時、一芸能人としての発信はある程度の影響力を期待できるかもしれないが、それはあくまで間接的であり限界があるということ。本当に変えるためには政治家になるしかないということです」
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政治家としての3年目
固い決意を胸に、平成28年の参議院選挙の比例区で30万票以上を獲得し参議院議員に初当選しました。それから3年が経った今、これまでの“成果”について聞かれた今井議員は、
「障がい児に関することでいくつか成果をあげることはできました。しかし、大きなことについてはまだまだ時間がかかります。例えば法律を作るといった大きな物事を進めることは1人ではできません。多くの人たちの意見を聞きながら進めていかなければなりません。だから時間もかかりますし…早く動かしたいなと思っていても、良い成果を得るためには焦りは禁物という気もしますし。そこで自分の気持ちのバランスが崩れるというか、ジレンマに陥ることはありますよね」
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政治家として3年目の若手とはいえ、国会議員である以上は、国民から大きな成果が求められます。そのための課題については自身も認識しているようです。
「大きな成果を出すためには、協力して共に行動してもらえる議員や役人といった仲間をたくさん作らなければいけないなと思います」
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芸能界とは違う新たなステージで「政治家・今井絵理子」として、国民の心をつかみ、どう動かしていくのかが重要となっていきそうです。こうした課題について今井議員は1つの悩みを率直に明かしました。
「タレント議員のレッテルを貼られているというか、先入観を持たれていることも事実だと思います。芸能界出身の議員は知名度があるだけで、まるで政治はできないのではないかといったイメージを持たれてしまうこともあるのでしょう…。だからこそ地道に謙虚に誠実に行動しなければって」
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今から2年前には、不倫疑惑で週刊誌をにぎわせ、多くの批判を受けたこともありました。
そのことを今改めて振り返ると、「反省すべきは反省し、真摯に誠実に政治家として仕事をしていきたい」「多くの方にご迷惑をおかけしましたことを申し訳なく思います」と反省の言葉を述べました。
地元・沖縄の基地問題への想い
政治家としての柱に地元・沖縄への想いがある今井絵理子議員。
「一つは障がい者の課題で、もう一つは沖縄ですよね。やはりこの二つが私に欠かせない柱です。」
そこで、最近沖縄で行われた知事選挙における、米軍普天間基地の名護市辺野古への移設に反対する玉城デニー知事の誕生や、さらに県民投票での多くの移設反対の声、加えて衆院沖縄3区の補選でも自民党候補は敗れたことについて、沖縄に応援で入ることも多い今井議員は、どう考えているのでしょうか。
「沖縄で生まれた私が思うことは、自分の故郷に基地なんて置かれたくないということです。実際に沖縄県民の方の話を聞いてみても、全ての方が基地を廃止できるのならそれに越したことはないと口をそろえます。住民投票で移設容認に一票を投じた県民もそう思っているということです。それは本土に住む皆さんも同じだと思います。沖縄に帰る時は、これまでの歴史をしっかりと胸に刻みながら県民の方のお話を聞くことを心がけています」
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このことから、移設を推進する自民党の一員としての立場と、普天間基地の辺野古移設に本音では反対なのではないかという整合性について、今井議員はこう語りました。
「なぜ沖縄から基地をなくすことができないのかという問題と、普天間飛行場の辺野古への移設という問題は分けて考える必要があると思います。辺野古問題に関しては、普天間は世界一危険な基地と言われている中で一刻も早くこの危険を除去しなければならないということが発端です。私も辺野古へ移設することなく、普天間基地を廃止するという選択肢があるならそれを選びたい。しかしそれは現実的に不可能であるから、消極的ではありますが辺野古への移設を進めるほうがいいという立場をとっています」
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続けて、
「選挙の結果はしっかりと受けとめなければなりません。沖縄の県民と丁寧な対話を重ねることが求められます。私も頻繁に沖縄に帰って、これからも辺野古の住民の方たちと話をしたいと思います」
「丁寧に」という言葉を強調する今井議員。政府もよく「丁寧に」という表現を使いますが、現状を見る限り、沖縄県民の多くにとって、政府の姿勢は「丁寧」とは映っていないようです。そこで、今井議員の思う「丁寧に」とはどのような意味なのか聞いてみました。
「丁寧とは、直接顔を見て膝を付き合わせて対話をすること、情報公開をしっかり行い質問に対してごまかしたりはぐらかしたりせずに誠実にこたえることだと思います。『辺野古への移設』と『在日駐留米軍基地』の問題が混同され本質から離れた争いも見られます。これらを政争の具にするのは正直もう終わりにしたい。沖縄には基地問題以外の課題もたくさんあります。県民所得の低さや子どもの貧困など重要課題が山積しています。これらがあまり争点にならず、移設問題の賛否だけに注目が集まる状況を変えて行きたい」
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令和時代の今井絵理子
新元号「令和」の発表の瞬間はちょうど車で移動中だった今井議員。令和が発表された瞬間の印象について、
「綺麗だなと思いました。響きが美しい。音楽の世界にいた私にとって音とか言葉はとても大事にしているものなので嬉しかったです」
とアーティストらしい答えが返ってきました。ではその令和時代に、彼女はこれからどのような政治家になりたいのでしょうか。
「1人でも多くの障がいのある子どもやそのご家族に、今井絵理子が議員になって良かったと思ってもらえるような成果を出していきたい。政治家としてのあり方としては女性らしいとか若手らしいとかではなく今井絵理子らしいね、と思われるような振る舞いをしていきたい」
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そう”自分らしさ”を大事にしていきたいと話す理由は、”芸能人今井絵理子”としての過去が大きいようです。
「12歳から芸能界で生きてきた中で自分の性別や年齢を意識したことがないんです。平成時代を『今井絵理子』として戦ってきましたから。令和の時代になってもそれは変わらずに、政治家『今井絵理子』としてまい進していきたい」
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まだ少し先の話しではありますが、3年後の参議院選挙で改選を迎える今井議員。再選するかについては
「皆さんから頑張ってと期待される以上は続けたいと思いますがまだ先のことは考えないようにしています。政治の世界は何が起こるかわかりませんし、今できること、今やらなくてはいけないことに集中したいので」
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今井絵理子さんは、自身のSPEEDとしての3年半を怒涛のようだったと語っていました。そして沖縄への想いや、息子のような障害を持った人達への想いを胸に政治家として活動していくことを決意した”令和時代”。これからどう政治家として活動していくか注目いていきたいと思います。