デビュー以来様々な名曲を生み出しているサザンオールスターズですが、メンバーのキーボード担当の紅一点、原由子さんがサザンオールスターズに加入した経緯はどのような理由だったのでしょうか?
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サザンオールスターズはデビューから40年経っていますが、未だに現役で新曲やアルバムを発表する度に話題になる国民的バンドです。そもそもの結成は、リーダーでありボーカルの桑田佳祐さんが、青山学院大学に入学した事から始まります。当時の桑田佳祐さんは、音楽系サークルに入部し、様々なバンドを結成しては解散を繰り返していました。当時の音楽性は、洋楽のロックを好んで聞いており、ビートルズや、ボブディラン、エリッククラプトンなどがお気に入りだったようです。point 285 | 1
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そんな中、原由子さんも青山学院大学に入学する事になり、桑田さんがすでに加入していた軽音楽サークルに、後から入る形で入部したようです。その当時は、ジェロニモというグループを友人と結成しており、フォークソングのカバーなどをしていたようです。そんなある日、桑田さんがサークルに向かうと、エリッククラプトンの楽曲である「いとしのレイラ」のピアノを弾いている音が聞こえ、慌てて向かうとそれが原由子さんだったようです。point 271 | 1
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「いとしのレイラ」のピアノを華麗に弾いている様子を見て、当時の桑田さんは非常に驚き、自分のバンドに参加して欲しいと強く申し出たようで、十分に考えた上でOKしたようです。当時の桑田さんと原さんはまだ付き合ってはなく、音楽的に認め合えるだけの関係だったようです。その後、サザンオールスターズを結成し、勝手にシンドバットのセンセーショナルなデビューから現在まで、精力的に活躍なされています。そんな原由子さんですが、サザンオールスターズでも、ソロでも様々な名曲を生み出しています。point 300 | 1
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サザンオールスターズと言えば、桑田佳祐さんの楽曲のイメージが強いですが、原由子さんの楽曲も名曲が揃っており、サザンオールスターズの人気を後押ししています。原由子さんが初めてサザンオールスターズでリードボーカルを披露した楽曲は「私はピアノ」です。「私はピアノ」は当時のアイドルである高田みづえさんもカバーしており、そちらも大ヒットしています。またソロとしての活動も、桑田佳祐さんよりも先に行っており「恋は、ご多忙申し上げます」などのヒットを残しています。91年に発表したアルバム「MOTHER」は二枚組になっており、当時話題になりました。point 335 | 1
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またこの中に収録されている「花咲く旅路」は現在でもテレビCMに使われるなど、非常に評価の高い楽曲になっており、アジアなどでも多くのアーティストがカバーしています。またサザンオールスターズ関係以外でも様々な活動をしており、スマップにいた香取慎吾さんとシングルを発売したり、JPOP屈指のアレンジャーとして、キリンジのプロデュースなどでも有名な富田恵一さんのユニット「富田ラボ」にボーカルとして参加していますが、業界内の評価も非常に高い事を伺わせるのではないでしょうか。point 303 | 1
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マイペースながら様々な活動を展開している原由子さんですが、そのボーカルは非常に独特で声質なども非常に個性的なものになっており、サザンオールスターズのサウンドには欠かせない存在になっています。桑田佳祐さんのボーカルに原由子さんのコーラスが入ることによって、サザンオールスターズらしさという印象を感じさせてくれるのではないでしょうか。このように才能豊かな原由子さんに、日本のポップスの神様と言われる桑田佳祐さんが惚れてしまうのは無理のない話と言えるのではないでしょうか。今後もサザンオールスターズやソロなど様々な活動が期待される原由子さんに、今後も注目していきましょう。point 350 | 1