統合失調症の症状を持つ芸能人
幻覚や幻聴、被害妄想など現実感を失い生活することもままならなくなる恐ろしい病気・統合失調症。
実は統合失調症にかかりやすい人の特徴は真面目な性格をしている人であり、特に親からの虐待や学校でのいじめを体験したことがある人に多いようです。
統合失調症の症状を説明すると以下のようになります。
前駆症状
統合失調症の発症前には次のような症状・異変が出ることがあります。
「昼夜逆転」「人間関係のトラブルを起こす」「集中力がなくなる」「奇妙な言動がある」
陽性症状
統合失調症の急性期に多い症状で、「あるはずのないものが、あるように見える・感じる」「自分の悪口を言っている」という幻覚や妄想などの症状が出てきます。
陰性症状:本来あるはずの能力がなくなってしまう症状で、急性期以降の消耗期や回復期に多く見られます。
「引きこもり」「感情を表に出にくい」「やる気が出ない」「身だしなみや清潔に無頓着になる」「食事に無関心になる」などの症状が出てきます。
統合失調症の症状に苦しんだ経験を持つ芸能人や有名人について総まとめしましたのでご紹介していきましょう。
松居一代
船越英一郎との離婚騒動で明らかになった統合失調症・・・?
松居一代さんが統合失調症を疑われるきっかけとなったのは2017年6月27日に公開されたブログ。
その内容がまさに統合失調症を思わせるものであり、YouTubeで自作自演をした動画が話題となり「松居一代劇場」と呼ばれて注目されました。
松居一代プロフィール
1957年6月25日 –
日本の女優、タレント、エッセイスト、大学教授(特任)、ライフスタイル(家事)アドバイザー
本名、船越一代(ふなこし かずよ)
旧姓、松居一代
滋賀県近江八幡市出身
所属事務所 松居一代事務所
主婦としての知恵・知識は掃除だけに留まらず、調理器具などの日用品、風水、投資などマルチな領域で活躍。
圧力鍋をプロデュースし、自らテレビショッピングで調理法を実演しているほか、包丁や洗剤をプロデュースしている。
統合失調症の症状
松居一代さんは2017年6月27日のブログで、冒頭から4月22日に自殺するつもりだったことを明かし、メッセージを聞いてそのとおりに動いたところ自殺している場合じゃないほどの”恐怖のノート”を発見してから15日間ほど愛車のフィアットで追ってから毎日逃げ回っていたことを綴っています。
一見すると全く意味不明で何かフィクション物語のテロップのようですが、松居一代さんは大真面目に綴っていたようです。
松居一代さんは死んでいる場合じゃないとして、お告げに従って手に入れた”恐怖のノート”を手にフィアットに乗り込み毎日500キロ以上日本全国を逃げ回っていたようです。
松居一代さんが言うには1年5ヶ月前から尾行され続けているというもので、15日間逃げ周り車中泊で過ごしていたということです。
週刊文春に追われ続けていた!?
松居一代さんがこのブログの直後である2017年7月4日に公開したYouTube動画では、「週刊文春にだまされた」というタイトルの動画を公開し、ブログで綴った1年5ヶ月も尾行され続けているという恐怖の出来事は週刊文春の記者に追われているというものでした。
そして、メッセージにより入手したという”恐怖のノート”の正体は、旦那の船越英一郎さんが綴っていたとされるノートで、そこには船越英一郎さんの本性が現れていたようです。
下に紹介する動画中の松居一代さんが非常に芝居がかっているのが気になるところですが、動画を要約すると松居一代さんが命を賭けて週刊文春記者の中村さんに話したことを記事に起こした内容を発売前に確認させてもらう約束をしていたところ、週刊文春は約束を破ったということに憤慨しています。
動画を見る限り松居一代は非常に芝居がかっていて素でやっているようには見えないですが、統合失調症の症状がそうさせているのでしょうか?
松居一代さんはお金稼ぎに糸目をつけない性格をしているようなので、話題を作って荒稼ぎしたのではないかという説もあります。
ちなみに、第二弾の動画の「船越英一郎 裏の顔」という動画は名誉毀損の関係で削除されているようですね。
現在の松居一代さんはこうした統合失調症の症状が無くなったかのように平穏に生活しているようです。
玉置浩二
祖母が民謡歌手だった影響で3歳の頃からラブソングを作曲していたという玉置浩二さん。3度の離婚を経て現在は青田典子さんと再婚をしていますが、玉置さんはピーク時にハードスケジュールのあまり統合失調症に陥ってしまい、奇行が噂されるようになりました。
玉置浩二さんについてのプロフィール
1958年9月13日 –
日本のミュージシャン・俳優。ロックバンド『安全地帯』のボーカリスト
北海道旭川市出身
山下達郎が「日本で最も過小評価されているミュージシャン」、Mr.Childrenの桜井和寿、ソンユが「天才であり最も尊敬するミュージシャンの一人」、徳永英明やコブクロの黒田俊介が「日本一歌が上手い」、スキマスイッチの大橋卓弥が「最も尊敬するボーカリスト」と評する
統合失調症の症状
玉置浩二さんは音楽番組に出演する傍らで、根っからのツアー好きであることから年間約30以上のコンサートを開催するなど精力的に音楽活動を続けてきました。また、その高い音楽センスから他のアーティストへの楽曲提供も行っており、アルバム制作時などは3日に1曲という驚異的なスピードで名曲の数々を完成させています。しかし、統合失調症の影響でオファーを完遂できなかったこともあるようです。
ツアー好きが高じてハードスケジュールを組んでいたことや、対人関係の不和から精神のバランスを壊して統合失調症の症状に苦しめられたようです。主な統合失調症の症状としては、誰かに悪口を言われているという被害妄想から人間不信に陥るなど、病状としては陰性だったようですが創作活動はできない状態となることも少なくなかったようです。
玉置さんの度重なるツアー中止や活動休止は統合失調症の症状が悪化したことによるものだったようです。
周囲からも心配されていたため統合失調症を治すために病院に入院したこともありましたが、入院生活での薬物治療が耐えられなかった玉置さんはたった3日で逃げ出して北海道へ移住したこともありました。
玉置さんは統合失調症の症状がひどい時は家の壁を殴ったり、皿を叩きつけたりとは止めが効かなくなっていたということです。
天才ゆえの苦悩?
音楽業界では国内外問わず天才と称される玉置浩二さんですが、世間的な評価は決して高いものではなく、よく知られているヒット曲は「田園」や「あの頃へ」「サーチライト」などですが、他にも珠玉の名曲は数多くあり、テリー伊藤さんは「国民栄誉賞を貰ってもいい人」と言い、山下達郎さんは「最も過小評価されているアーティスト」と述べています。
玉置さんはここまで高い評価をされる唯一無二の天才的才能のあるミュージシャンのため、その内面は非常に繊細だったのでしょう。
仕事上での対人関係のトラブルや、3度の離婚を経験するほどの夫婦間トラブルなど数多くあったようです。
こうした周囲との関係が目まぐるしく悪化、変化していくことに疲れていたことを玉置さんは明かしています。
薬物使用疑惑
玉置浩二さんは福岡サンパレスでの公演で、歌詞につまづいたり、観客のヤジに反論したり、途中で倒れて動かなくなったりしてしまったため公演は中止となり、後に薬物疑惑が囁かれるようになりました。
玉置さんは後に覚せい剤逮捕されたASKAさんともコラボレーションをしていたため一層覚せい剤の使用疑惑がかかりましたが、覚せい剤ではなく統合失調症の症状によるものだと言われています。
2006年に志田歩さんが執筆した著書『玉置浩二 幸せになるために生まれてきたんだから』で玉置さんが人間不信から統合失調症に陥りい苦しめられた半生が取材を通して記されています。
ASKA
前述の玉置浩二さんとも交流のあるASKAさんですが、2014年4月29日に行われた玉置浩二さんのコンサートをプライベートで鑑賞し、アンコールで玉置浩二さんにステージ上に呼ばれて『SAY YES』をデュエットしました。その約半月後となる5月17日に覚せい剤取締法違反により警察に逮捕されています。ASKAさんが逮捕後に立ち上げたブログで語った内容が「盗聴・盗撮されている」「防犯カメラが何台も必要だ 助けてくれ」など統合失調症の症状でよく見られるものだったことから疑われていますが、本人はブログで頑なに否定しています。
ASKAさんについてのプロフィール
1958年2月24日 –
日本の男性ミュージシャン
本名:宮﨑 重明(みやざき しげあき)
旧称:飛鳥 涼(あすか りょう)
福岡県 大野城市出身
小室哲哉によれば、ASKAの声質はとんでもない倍音であり国宝物であると言わしめた。
統合失調症の症状
ASKAさんが統合失調症になったと噂される理由として挙げられるのは、覚せい剤の使用により病状が現れたとする説と、元々症状があったから覚せい剤に手を出したという説があるようです。
SKAさんの奇妙な言動が目立つようになったのは覚せい剤で1回目の逮捕をされて以降で、この事件で一躍ASKAさんに注目が集まったことでそれが明らかになっていきました。
ASKAさんは立ち上げたブログで自身に起こっていること、覚せい剤を使用していないこと、復帰に向けて動いていることなどファンに向けてメッセージを送り続けていました。
しかし、2016年11月25日にASKAさん自ら「盗聴されている、サイバー(警察)を呼んでくれ」と110当番通報し、駆けつけた警察官に対してのASKAさんの言動が不審だったことから任意の尿検査を求めました。
ASKAさんが提出した尿から覚せい剤反応が出たことで逮捕されてしまいますが、ASKAさんはブログで冷静にファンに対して「落ち着いて」と呼びかけ、尿ではなくお茶を提出していたことを明かしました。
ASKAは尿を提出したら白でも黒にされると確信していた!?
ASKAさんは尿を提出したら終わりだと感じてとっさの機転を利かせて傍らにあった緑茶を提出したそうです。お茶から覚せい剤反応が出るのは不自然なので結果的に警察はASKAさんをハメようとしていたことになります。
これだけならASKAさんに統合失調症の疑いは浮上しなかったと思いますが、ブログで綴っていた内容はおよそ常人の精神状態によるものではありませんでした。
ASKAさんはブログで”ギフハブ”という組織に盗聴されていると訴えており、これは情報番組『ミヤネ屋』で司会の宮根誠司さんとの15分あまりの対談の中でも語られて困惑させていました。
一般的にはこれらの妄想、被害妄想、強迫観念などが統合失調症の症状にピッタリ一致するためASKAさんの統合失調症疑惑が浮上したようです。
しかし、一方でASKAさんのブログの内容はともかくとして、統合失調症の人が陥りやすい意味不明な言葉の羅列”ワードサラダ”は見られなかったため統合失調症ではないと判断した人もいたようです。
このことについて、統合失調症を患った経験のある人は、「”ワードサラダ”が無いから統合失調症ではないと言えない」と反論しています。
ASKAさんはブログ上で「精神科医が統合失調症だと指摘しているが、僕は病気ではない」と反論しており、かなり昔から覚せい剤を使用していたことを明かしていることからも、薬物常習者が陥り統合失調症と非常に似た症状を見せる”急性アンフェタミン精神病”である可能性が高いということです。
ハウス加賀谷
ハウス加賀谷さんはかつて相方の松本キックさんと共に結成したお笑いコンビ「松本ハウス」として『ボキャブラ天国』などで活躍していました。ブーム到来の最中に突如表舞台から姿を消してしまいましたが、影でハウス加賀谷さんは統合失調症に苦しんでいたそうです。
ハウス加賀谷さんについてのプロフィール
松本ハウス(まつもとハウス)は、1991年に結成した日本のお笑いコンビ。
1999年に活動を休止したが、2009年から10年振りに活動を再開。
それから2年ほど、JINRUI(じんるい)というコンビ名で活動していた。サンミュージック所属。
近年(2016年時点)は、お笑い活動と共に、統合失調症に対する理解を呼び掛ける講演活動を精力的に行っている。
統合失調症の症状
統合失調症により芸能活動休止を余儀なくされたハウス加賀谷さんは、復帰までの10年間の間入院生活やリハビリなどを経て統合失調症と初めて正面から向き合って克服してきたそうです。松本キックさんの視点を交えて執筆した著書「統合失調症がやってきた」を2013年8月に出版しています。
ハウス加賀谷さんが統合失調症の症状が出だしたのは中学校2年生の1学期終わりだったそうです。
授業中にハウス加賀谷さんの後ろの女子生徒が下敷きでふてくされた顔で仰いでいるのを先生が指摘したため振り向いたところ、瞬時に脳内に「仰いで臭いをごまかしている」と思ってしまったそうです。
その女子生徒がハウス加賀谷さんの臭いを嫌がっていたのかは不明ですが、それ以降”自分は臭い”というイメージが定着してしまったそうです。
臭い自分が周囲に迷惑をかけていると思い込んだ
ハウス加賀谷さんは実際には臭くはなかったようですが、「自分は臭い」と思い込んでしまったことから統合失調症の症状はエスカレートしていったようです。教室内で「加賀谷臭いな」という声が聞こえるようになっていき、次第にそれは校内どこでも幻聴として聞こえるようになっていったということです。”自分がいることで周囲に迷惑がかかる”と信じ込んでいき、中学生にして社会からドロップアウトすることを考えるようになります。
迷惑かけないためにホームレスを目指した
ハウス加賀谷さんは中学校3年生での進路を決める先生との面談で「高校には行かずにホームレスになりたいと思います」と発言して驚かせ、心配されたようです。
ハウス加賀谷さんは神経科に通うも問題が解決せず、悩んだ末に自分が臭いのはワキガが原因だと決めつけて皮膚科に行ったそうです。
皮膚科で医師に「脇が臭いから切り取ってください」と無茶なお願いをしたそうです。当然医師は断ったそうですが、ハウス加賀谷さんが執拗に「切り取ってください」とお願いをしたため仕方なく手術で脇の皮膚を切り取ったそうです。
その後、進学したくなかった高校に通い始めたハウス加賀谷さんですが、脇の皮膚を切り取ったことで臭いの悩みから解放されて高校生活をワクワクしていたそうです。
しかし、期待を裏切られるかのように、再び授業中に「臭い」と言われる幻聴を聞いてしまうことになります。
いよいよ追い込まれたハウス加賀谷さんは母親の勧めで「思春期精神科」で診察を受け、その後グループホームに入ったそうです。
芸人を目指すきっかけは?
ハウス加賀谷さんはビートたけしさんがやっていた深夜のラジオのヘビーリスナーで芸人にあこがれがあったことから芸人を志し始めたようです。
ハウス加賀谷さんはオーディション雑誌から応募して大川興業に入所することができ、そこで相方の松本キックさんと出会いました。
ハウス加賀谷さんはそれまで統合失調症については人に明かすことはなかったようですが、ひょんなきっかけから事務所の先輩や同期に知られることになり、グループホームの時の話をしたらとてもウケたそうです。
お笑いコンビ「松本ハウス」として『タモリのボキャブラ天国』、『電波少年』などで活躍を始めましたが、この間も幻聴、厳格などの統合失調症の症状に悩まされていたそうです。
1999年には療養のため芸能活動休止に追い込まれたハウス加賀谷さんですが、「ただの加賀谷は腑抜けでしかない、お笑い芸人だからこそ生きていける」と語り、統合失調症を克服して2009年に復帰を果たしました。
卯月妙子
漫画家の卯月妙子さんは初めて精神的な異常を感じたのは小学校の頃で、中学校3年生の頃に統合失調症により自殺未遂をしています。精神病院への入退院を繰り返しながらもマンガ家デビューしましたが、2004年にストリップ劇場のステージ上で喉を切って自殺を図るも未遂に終わり、2007年に再び歩道橋から飛び降りる自殺を図り、一命はとりとめたものの顔面崩壊と片目を失明しています。
卯月妙子さんについてのプロフィール
1971年12月
日本の漫画家、エッセイスト
実体験を元にしたエッセイ漫画を主に発表している(本人曰く、実体験を反映させた物語しか描けないとのこと)。深刻な話や自身の過激すぎる体験、絶望的な出来事や暗く悲惨な内容などを、あっけらかんとユーモラスに表現しており、作風は不思議と全体的にギャグ漫画調で明るく描いているのが特徴的。
統合失調症の症状
小学校時代から統合失調症を患っていた卯月妙子さんは3度の自殺未遂もさることながら、20歳で結婚して1児をもうけた元夫も経営していた会社の倒産による借金苦と精神病により投身自殺をしています。また、卯月妙子さんはその借金を返すために成人向け動画の女優をしており、大便や嘔吐物、みみずなどを食す過激な作品に出演しています。
卯月妙子さんはマンガ家として『実録企画モノ』や『人間仮免中』などノンフィクションの実体験を元にした作品でコアなファンを獲得しましたが、その人生は統合失調症により壮絶極まるものになっているようです。
元夫が自殺により亡くなると卯月妙子さんはさらに統合失調症が悪化し、自傷行為やオーバードーズなどによって入退院を繰り返していたようです。
閉鎖病棟で何度も自殺未遂をしながらも、成人向けのステージで活動していた卯月妙子さんは前述の歩道橋からの飛び降り自殺で顔面崩壊と片目失明を負ってしまいます。
この頃に恋人のボビーさんと出会い、自殺の経緯と回復までの記した作品『人間仮免中』が話題を呼びました。
卯月妙子さんは自殺未遂をした時期は過去に無いほど最悪な統合失調症の症状に苦しめられていたそうで、2年間はほぼ寝たきり状態だったということです。
25歳の年上で卯月妙子さんの統合失調症を理解して支え続けてくれた彼氏のボビーさんとはめでたく結婚していますが、その生活は一般的な視点で言えば狂気と呼べる状態のようです。
また、虫が大好きなためゴキブリやハエを退治することなく放し飼いにしているようで、コバエが飛んでいたらウジがわいている証拠だとして喜ぶようです。
山田花子
山田花子さんは『神の悪フザケ』『嘆きの天使』など自身のいじめによる体験を元に差別や精神的抑圧や葛藤を描いた漫画に現在もコアなファンを持っている漫画家です。晩年に書いた『自殺直前日記』の内容からアルバイトの注文を覚えられずクビになるなど統合失調症に合わせて発達障害もあったのかもしれません。
山田花子さんについてのプロフィール
1967年6月10日 – 1992年5月24日
日本の漫画家
旧筆名は裏町かもめ、山田ゆうこ。実妹は漫画編集者の高市真紀。
自身のいじめ体験をベースに人間関係における抑圧、差別意識、疎外感をテーマにしたギャグ漫画を描いて世の中の矛盾を問い続けたが、中学2年生の時から患っていた人間不信が悪化、1992年3月には統合失調症と診断される。2ヵ月半の入院生活を経て5月23日に退院。翌24日夕刻、団地11階から投身自殺。24歳没。
統合失調症の症状
山田花子さんは中学校2年生の頃に体験したいじめを苦にしてリストカットをするようになり、ガス自殺を図るも一命を取り留めました。それから人間不信に陥り、高校に進学してもいじめは続いたようです。
山田花子さんは高校時代のいじめ体験を元に『神の悪フザケ』を描いていますが、その内容から彼氏とは名ばかりの性的搾取もされていたことを示唆しています。
高校進学と同時に漫画家デビューしたようですが、学校生活に馴染めずにすぐに不登校になったようですが、唯一の友達だと語っていた妹の真紀さんとバンド「グラジオラス」を結成してライブハウスで歌うなど音楽活動もしていたようです。
しかし、山田花子さんが自殺する前年に記した日記の中に、「友人も恋人も親も兄弟もいらない、天涯孤独でいい」と書いていることから、妹とも関係が破綻してしまったことが伺え、これがいよいよ自殺願望に拍車をかけたのかもしれません。
山田花子さんは統合失調症で苦しみ続け、症状である寄り目と尖った口になる”犬顔”を発症していたようです。
山田花子は自殺を選んだ
漫画家として活動するも編集部のいいなりになって描くことはしたくなかった山田花子さんはアルバイトをしながら自由に執筆できる雑誌で漫画を描いていましたが、アルバイトをクビになったことで社会で生きていくことができないと悟って自殺したのかもしれません。
山田花子さんは喫茶店でアルバイトを始めましたが、統合失調症の症状からなのか注文を覚えられなかったことからクビになってしまいます。
社会からはじき出されて絶望した山田花子さんは駅のホームにボロボロの姿で立ち尽くしているところを警察に保護されて両親に引き取られて実家に戻ることになります。
しかし、山田花子さんは統合失調症から家族にさえ心を許していなかったため、すぐに家を飛び出しますが統合失調症の治療のために精神病院に入院することになります。
山田花子さんは統合失調症は回復に向かっていたかに見えましたが、退院した翌日に団地の11階から飛び降りて自ら命を絶ってしまいました。
藤圭子
2013年8月22日に飛び降り自殺で命を絶った藤圭子さん。
藤圭子さんが統合失調症で苦しんだことは娘である宇多田ヒカルさんがオフィシャルブログで語っていますが、悲しい思い出が圧倒的に多いながらも母親を心から尊敬していたことを綴っています。
藤圭子さんについてのプロフィール
1951年7月5日 – 2013年8月22日
日本の演歌歌手
本名、宇多田 純子(うただ じゅんこ)。旧姓、阿部(あべ)
岩手県一関市生まれ、北海道旭川市育ち
960年代末から1970年代初頭にかけて、夜の世界に生きる女の感情を描いた暗く陰鬱な楽曲(『怨歌』)を、独特のドスの効いたハスキーボイスで伸びやかかつ深々と歌い上げ、その可憐な風貌とのギャップも相俟って一世を風靡した。代表曲は「圭子の夢は夜ひらく」。
統合失調症の症状
藤圭子さんは統合失調症により浪費家になったのか、浪費家だから対人関係トラブルを招いて統合失調症になったのかは不明ですが、生前のインタビューでは5年間で5億円を遊びに遣ったなど異常な金銭感覚を明かしていました。
5億円の内訳はファーストクラスのチケット代や高級ホテル、遊興費などで世界中で遊び回ったことを番組で語って驚かせました。
2006年にはニューヨークのジョン・F・ケネディ国際空港で機内に持ち込もうとしたお金約5,000万円が没収される騒ぎを起こすなど、藤圭子さんは派手な話題が尽きない人だったようです。
藤圭子さんの浪費癖は資産を食いつぶしていき、家族との関係にも摩擦が起こっていたようで、宇多田ヒカルさんが語るところでは、幼い頃から藤圭子さんは徐々に統合失調症が悪化していって人間不信になり、家族にさえ心を許さなくなっていったということです。
統合失調感情障害だった?
報道では藤圭子さんは感情コントロールができずに奇行に走ったりすることからパニック障害だと言われていましたが、精神科医の和田秀樹さんによれば統合失調症とうつ病の特徴を持った症状が現れる統合失調感情障害だと語っています。
藤圭子さんは双極性障害でもあったと言われており、感情の浮き沈みが激しく周囲との関係が破綻した結果、2013年8月22日にマンションから飛び降りて自殺をしてしまったようです。
華原朋美
華原朋美さんはプロデューサーの小室哲哉さんと熱愛していましたが破局。華原朋美さんは結婚願望が強かったことから相当の精神的なショックを受けたそうです。その結果として心身を壊しながらも2006年まで歌い続けるも、2007からは2011年まで長期の休業をされることになりました。薬物中毒で倒れたこと、閉鎖病棟に入院したことから統合失調症が疑われています。
華原朋美さんについてのプロフィール
1974年8月17日 –
日本の歌手、タレント、ミュージカル女優、馬術選手
本名、下河原 朋美
代表曲はミリオンセラーを記録した「I’m proud」「I BELIEVE」「Hate tell a lie」など多数。女優・深田恭子、歌手・浜崎あゆみなど後のアーティストにも影響を与えた。
統合失調症の症状
小室哲哉全盛期に「I’m proud」「I BELIEVE」などそのクリアーなハイトーンボイスで国民的歌姫に数えられた華原朋美さんですが、小室哲哉さんとの破局により絶望の淵に絶った華原朋美さんはしばらくは走り続けてこれたものの、精神的、肉体的に壊れてしまい仕事のドタキャンなどが相次ぎ事務所からは解雇、長期療養することになりました。
1999年1月30日に華原朋美さんは自宅で料理中にガス中毒で意識不明の重体となり入院することになりました。
この頃に小室哲哉さんと破局したと報じられ、心労とマスコミの連日の報道から華原朋美さんは再び貧血で倒れて病院に搬送されます。
2000年から療養のために無期限の活動休止を発表した華原朋美さんは8ヶ月後に復帰してからも、精力的に活動を続けて2006年まで高いパフォーマンスを発揮していました。
しかし、華原朋美さんは長年の無理が祟り、気管支炎と声帯炎を発症して2007年から療養のため活動を再び休止することになります。
恋愛が成就しないことにストレスを感じていた?
華原朋美さんは2015年に完全復帰後に番組で語ったところによると非常に束縛が強く結婚願望の塊のようで、仕事一辺倒で恋愛がうまくいっていなかったことも精神的に参ってしまった理由に含まれているかもしれません。
パフォーマンスが低下し、応援してくれるファンや家族、友人などの期待に応えることができないとわかると、塞ぎ込むようになり会話もままならない状態まで追い込まれていたようです。
華原朋美さんは仕事をドタキャンすることが続いたことで、所属していたプロダクション尾木から解雇通達を受けてしまいましたが、「年内には復帰したい」と語るものの2009年1月17日に急性薬物中毒で病院に搬送され自殺未遂騒動となりました。
華原朋美さんが明確に統合失調症だと診断されたわけではないようですが、うつ病だった可能性は高いでしょう。
佐久本庸介
佐久本庸介さんは統合失調症の作家として過去に『世界仰天ニュース』に出演した事があるようです。番組内で統合失調症であることについて語ったようですが、19歳の頃に突然発症したということです。そのことについて『青春ロボット』という著書を出版しており、「僕は人間じゃない。ロボットなんだ。」のキャッチコピーで「第1回CRUNCHNOVELS」の新人賞および大賞を受賞しています。
佐久本庸介さんについてのプロフィール
山梨県からひらきこもりを掲げ、色々なことにチャレンジしていこうと思っています。第一回クランチノベルス新人賞受賞。ディスカヴァートゥエンティワンより青春ロボットとドラッグカラーの空という小説を出版しております。皆様どうかよろしくお願いいたします!
統合失調症の症状
佐久本庸介さんはそれまで何の問題もなく過ごしていたようですが、19歳のある日突然幻聴が聞こえてきたようで、2ヶ月以上は意味もなく歩き回ったり自転車で走り回ったりしていたそうです。それまでできていたこともできなくなったりと健常だったころの自分の精神をも忘れてしまったということです。
佐久本庸介さんは入院することになり、退院できてからも毎日のように続く体調不良の中デイケアに通う日々を送り、現在も支援センターに定期的に通っているようです。
統合失調症の症状が出る前までは普通にできていたことができず、絵や文を書こうにも手が震えてうまく書けないなど、症状に苦しめられていたようです。将来に対する不安ばかりが募る中で、佐久本庸介さんは何とかして突破口を切り開きたいともがき続けた結果、症状が徐々に回復するにつれてやれることが増えていき、現在のように作家活動を並行して治療できるまでに回復したようですね。
佐久本庸介さんは統合失調症の治療について焦ることは禁物だと語っています。
夏目漱石
『吾輩は猫である』を始め数々の名作小説を世に送り出した文豪・夏目漱石。加齢とともに肺結核や糖尿病、胃潰瘍など病気に苦しめられた晩年を送りましたが、その奇行の数々から統合失調症だったとも言われています。
夏目漱石についてのプロフィール
1867年2月9日(慶応3年1月5日) – 1916年(大正5年)12月9日
日本の小説家、評論家、英文学者
本名、夏目 金之助
江戸の牛込馬場下横町(現在の東京都新宿区喜久井町)出身
東京帝国大学講師として英文学を講じながら、「吾輩は猫である」を雑誌『ホトトギス』に発表。これが評判になり「坊っちゃん」「倫敦塔」などを書く。
統合失調症の症状
夏目漱石が統合失調症でありながら様々な名作を遺したことに科学的な視点から研究もされるなど今日まで取り上げられることがあります。夏目漱石が統合失調症説だとされたのは診断した医師が幻覚や被害妄想があったと語っていたからだと言われています。一方で、命取りになった胃潰瘍の薬の副作用だったとも言われています。
夏目漱石はイギリスに留学した際に研究に没頭するあまり神経衰弱を起こしていますが、若い頃は東京帝国大学の講師を務めたり、処女作となる『吾輩は猫である』を執筆するなど健常な時代ももちろんありました
夏目漱石が性格的に非常に真面目な堅物で、ネガティブな性格をしていたことから神経衰弱を始めうつ病や胃潰瘍などを引き起こしたようですが、その反面でユーモアのある想像力に溢れていたことから、多くの病気に苦しめられながらも自殺という終わり方をしなかったと言われることもあるようです。
夏目漱石が統合失調症と疑われる要因として挙げられるのがその言動であり、知られているだけでも以下のような奇行をしていたようです。
・片思いしていた女性の母親が自分を疑って尼さんを使ってスパイしていると妄想した
・下宿の向かいに住んでいる学生を自分を監視している探偵だと思い込んで、しきりに「おーい、探偵くん。今日はいつ出かけるの?」など怒鳴っていた
・夏目漱石の机には「余の周囲悉く狂人なり」と落書きされていた
芥川龍之介
芥川龍之介も夏目漱石と同様に神経衰弱や胃潰瘍、不眠症などがありました。芥川龍之介は自著の中で統合失調症は母親からの遺伝だと語っており、毎日のようにドッペルゲンガーを見たり、幻聴を聴いたりしており、自殺の前にも見ていたそうです。
芥川龍之介についてのプロフィール
1892年(明治25年)3月1日 – 1927年(昭和2年)7月24日
日本の小説家。本名同じ、号は澄江堂主人
その作品の多くは短編である。また、「芋粥」「藪の中」「地獄変」など、『今昔物語集』『宇治拾遺物語』といった古典から題材をとったものが多い。「蜘蛛の糸」「杜子春」といった児童向けの作品も書いている。
統合失調症の症状
「どうせ生きているからには、苦しいのはあたり前だと思え」
上記は文豪・芥川龍之介が遺した有名な言葉ですが、その生涯は身体的、精神的な疾患を抱えて壮絶なものがあったようです。統合失調症だった偉人としてよく知られています。
芥川龍之介は母親の狂気が遺伝して精神病を発病することを最も恐れていたと言われています。
しかし、芥川龍之介はほとんど座して執筆する作家という職業柄、神経の異常をきたして神経衰弱となり、極端な免疫力の低下から腸カタル、胃潰瘍、不眠症など多くの病気にかかっています。
芥川龍之介の著書の中で幻聴や幻覚を見ていたことを示唆する記述があったことや、そうした症状が母親譲りでドッペルゲンガーを見ていたという記述から統合失調症だと言われています。
しかし、病理学的には芥川龍之介は支離滅裂な文章の破綻が見られなかったことから統合失調症に当てはまらないという説もあります。
夏目漱石のような被害妄想や幻聴などはほとんどなかったと言われているため神経衰弱だとされていますが、現代的に言い換えれば重度のうつ病を患っていたということになります。
心の余裕は無かった
夏目漱石のようにユーモアに浸る心の余裕はなく、俳号である”我鬼”の通り文学の鬼と化して追求し続けて苦しみの果てに自殺という手段を選んでしまったようです。
芥川龍之介は自殺する2年前からずっと死ぬことばかりを考えていたと語っており、自殺に用いたベロナールとジェノアルを計画的に入手していたようです。身体的な病魔とうつ病に悩まされ、1927年7月24日に命を絶った芥川龍之介ですが、その8年後に親友だった文藝春秋社主の菊池寛が、新人文学賞として「芥川龍之介賞」を設けました。
岡村隆史
岡村隆史さんは相方の矢部浩之さんとともに『めちゃ×2イケてるッ!』で一躍ブレークしてお茶の間のスターとなりましたが、プライベートはとても人見知りで寡黙であり、人の表情や言動を気にしすぎてしまう繊細な性格をしています。その影響からか2010年には統合失調症で入院しています。
岡村隆史さんについてのプロフィール
1970年7月3日 –
日本のお笑いタレント、俳優であり、お笑いコンビ・ナインティナインのボケ担当。相方は矢部浩之。
『めちゃ2イケてるッ!』(フジテレビ系列)で多々見せるお笑いや企画に真面目に取り組む様も特徴的で、番組スタッフ片岡飛鳥は「お笑い番組なのに真面目に取り組むところがもはや芸風」と評している。
統合失調症の症状
岡村隆史さんが芸能活動休止して5ヶ月間の療養に入った理由は「体調不良」だとしていましたが、最初に異変に気づいたのは大泉洋さんで、休むことを勧めていたようです。当時、周囲の人も岡村隆史さんの表情が死んでいることを心配していたと言われています。
岡村隆史さんは2010年6月5日に体調不良を理由に休養を取り、7月12日から入院していました。
5ヶ月後の11月26日に『めちゃ2イケてるッ!』で復帰を果たした岡村隆史さんは、後にうつ病であったことを明かしています。
岡村隆史さんの症状は、部屋で不安からソワソワし続けたり、短期間の記憶ができなくなったり、細かい作業ができなくなったり、現実感を感じられなくなったりしていたそうです。
岡村隆史さんは表舞台で見せるコミカルで明るいキャラクターの反面、プライベートが暗くてネガティブすぎることからアスペルガー症候群やADHDなどを疑われることもあるようですが、統合失調症のような幻聴、幻覚は見えいなかったようです。
今井メロ
今井メロさんはプロスノーボーダーとして世界的に活躍し、トリノオリンピックにも出場するなどスノーボード界の第一人者でありながら、夜の街に身を落として体を売り、成人向け動画の女優デビューをするなど波乱万丈な人生を送っています。近年ブログで告白したところによれば統合失調症であることがわかったそうです。
今井メロさんについてのプロフィール
1987年10月26日 –
日本のタレント、AV女優、元スノーボードハーフパイプ選手
本名、今井 夢露(読み同じ)旧姓、成田
スノーボードでは2002年に世界ジュニア選手権を制覇すると、2004-05シーズンで種目別総合優勝を決め、2006年2月開催のトリノオリンピック出場を決める。空中で横に一回転半、縦に二回転するオリジナル技「メロウ720(メロウ・セブン)」を得意とする。
統合失調症の症状
今井メロさんはブログで統合失調症を始め、過去にうつ病、多重人格障害、境界性人格障害などと診断されたことを明かしていますが、それまでの今井メロさんの言動と生活保護を受け取っていたことからネットでは批判の声が圧倒的に多かったようです。
今井メロさんが精神を病むきっかけとなった一番最初の出来事は厳しすぎる父親の教育があったようで、一流のスノーボーダーへ育てるためにスパルタ指導をされていたようです。
そして、高校生だった17歳の時に3人の同級生からレイプされたことがきっかけで心の崩壊が決定的なものになったようです。
それでもスノーボーダーとして結果を出し続けていた今井メロさんはトリノオリンピックの日本代表に選ばれたものの、話題となった壮行会での「メロラップ」を披露するも惨敗して予選敗退するという屈辱を味わっています。
このことから世間から大バッシングを浴びるようになったようで、今井メロさんの統合失調症は悪化して引きこもり生活を送るようになったということです。
夜の世界に身を落とす
今井メロさんは引きこもり時代に母親から「アルバイトをしなさい」と言われたことで激怒し、家を飛び出して夜の街で働きながら体を売るようになっていきました。
この頃今井メロさんはホスト狂いに走ったことを語っていますが、2010年にできちゃった婚により1児の長男をもうけていたことを明かしていますがその後すぐに離婚。
翌年に再び別の男性とできちゃった婚を発表し、双子ながら異常妊娠でありひとりの子供が無心体であることから助かった長女がNICUに入っていることを明かしています。
今井メロさんはさらに長女出産前には流産と子宮頸がんを患っていたことを告白しています。
旦那がいながら生活保護を受けていたことについて世間では大バッシングが起こり、2度のできちゃった婚と合わせて心象を悪くしてしまったようです。2017年には2児の母ながら成人向け動画の女優デビューをしたことも合わせて、統合失調症を告白しても今井メロさんには同情の声は集まりづらいようです。
藤谷美和子
1977年に「カルビー ポテトチップス」のCMでデビューし、NHK朝の連続テレビ小説『心はいつもラムネ色』でヒロインを演じ、1994年に歌手デビューシングル『愛が生まれた日』が132万枚を記録するなど天才的な才能を見せながらも2003年に皇居前での騒動を起こして表舞台から姿を消し、事実上の引退となっていますが、統合失調症が濃厚だと言われています。
藤谷美和子さんについてのプロフィール
1963年 3月10日 –
女優。
東京都北区出身
本名 岡村 美和子(旧姓:藤谷)
2005年より芸能活動停止。現在無所属。
1985年には、エランドール賞を獲得し、1984年には、海燕ジョーの奇跡が上映され日本アカデミー賞で主演女優賞を獲得し、1992年に上映された映画で女殺油地獄と寝盗られ宗介で日本アカデミー賞の最優秀助演女優賞、ブルーリボン賞では助演女優賞、キネマ旬報賞では助演女優賞、毎日映画コンクールでは女優主演賞、報知映画賞では助演女優賞を獲得。
統合失調症の症状
藤谷美和子の女優としての受賞歴を見るだけでもその演技の才能の高さが伺え、”天才女優”と呼ばれるのも頷けますが、内面ではずっと統合失調症を抱えていたようです。
藤谷美和子さんがプッツン女優と呼ばれるようになったのは、2003年6月26日に起こした皇居前での騒動があるようです。
皇居坂下門にタクシーで乗り付けた藤谷美和子さんは警護する警備員に対して「紀宮様は私の妹、お会いしてお手紙を渡したいのです」と詰め寄り、1時間ほどタクシー内に立てこもるという事件を起こしました。
この一件で藤谷美和子さんはしばらく表舞台から姿を消していましたが、2005年12月に再び演出家の岡村俊一さんとの結婚が発表されて結婚理由を聞かれると「結婚しなきゃ離婚もできないじゃない」と言い放ちさらにプッツンぶりを見せていたようです。
藤谷美和子さんと岡村俊一さんは2012年には別居婚状態であり、音信不通であることが報じられています。
徘徊おばさんに転落?
藤谷美和子さんは統合失調症の影響なのか、2012年に小田原駅前に毎日必ず午後5時半に現れるという目撃者談をフライデーが報じて統合失調症が治っていないことが囁かれていました。
藤谷美和子さんは旦那の岡村俊一さんとの別居婚が報じられた2012年に、小田原駅前に毎日必ず5時半に出没するという住民の目撃情報がフライデーで報じられました。
その姿はボサボサの髪に元女優とは思えない出で立ちだったそうで、野良猫の世話をしているところが写真付きで報道されたようです。
この藤谷美和子さんの行動が統合失調症によるものだとは言えませんが、岡村俊一さんが別居婚でありながら離婚しない理由について、「更年期障害と統合失調症によりひとりにはできず、面倒を見なければならない」というものだったようです。
鳥居みゆき
鳥居みゆきさんは2007年にカンニング竹山さんの『カンニングの恋愛中毒』で一躍ブレークし、それまでに無かった”メンヘラキャラ”で人気を集めていました。しかし、プライベートでは自律神経失調症や対人恐怖症、先端恐怖症など精神的な病を抱えていることを明かしており、その言動の特徴から統合失調症ではないかと噂されています。
鳥居みゆきさんについてのプロフィール
1981年3月18日 –
日本のお笑い芸人、女優、映像作家、小説家、絵本作家
2013年より劇団『東京ギロティン倶楽部』の中心メンバーとしても活動。
誰にも似ていない、虚実の入り交ったオリジナルな世界を表現することから、彼女のコントや文章にはマニアックなファンが多い。
統合失調症の症状
鳥居みゆきさんは独特の世界観を持っているものの、キャラクターからは想像もできないほど頭がよく、フラッシュ暗算ができたり、情報処理1級など数々の資格を取得しているなど高い素養を持っています。
鳥居みゆきさんは興味のある分野への集中力が高く、独特の個性を持っていることから統合失調症よりもアスペルガー症候群に近いと言われることもあるようです。
また、鳥居みゆきさんの対人恐怖症も内にこもるタイプではなく、衝動性が強いことから行動力はあるものの、アスペルガー症候群的なコミュニケーションの摩擦がそうさせているのかもしれません。
鳥居みゆきさんの統合失調症的な症状のエピソードが無いことからも、イメージだけで語られている部分が大きいようですね。
まとめ
非常に闇の深い統合失調症という病気ですが、少しでも症状を感じるようになったら早期に病院で診察を受けることが重要になるでしょう。