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昭和のスター石原裕次郎の華麗なる一族


昭和を代表する大スターの石原裕次郎。映画やドラマ、ラジオ、CM に歌手とその活躍は多岐にわたります。石原裕次郎自身の活躍も然ることながら、一族の活躍も顕著です。


写真:ミドルエッジ

 

石原裕次郎の大ヒットまでの道のり

石原裕次郎の活躍の場を作ったのは、実は兄である石原慎太郎と言われています。

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写真:BS-TBS

裕次郎は映画俳優を志していたのもあってか学問はそっちのけで、大学在学中に夜の街を飲み回っていました。当時は映画が華やかな時代。大手配給会社がいくつかありました。裕次郎はオーディションを何社か受けています。しかしことごとく不採用。それでも放蕩は続きました。そんな折、兄慎太郎の小説が芥川賞を受賞します。これが映画化されることになり、裕次郎にチャンスが訪れます。慎太郎が裕次郎に端役でもとプロデューサーに相談し、出演が決まりました。これが裕次郎の転機になります。再び慎太郎の小説が映画化され出演します。いずれの映画も大ヒットし、裕次郎はスターの階段を上り始めます。この映画の共演をきっかけにまき子夫人と知り合い、その後二人が共演する映画はヒットを続けました。point 386 | 1

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兄の慎太郎と家族について


写真:mainichi.jp

兄慎太郎は、作家活動を続ける傍ら参議院議員を1期、衆議院議員を9期務めています。国会議員の間には環境庁長官や運輸大臣も歴任しており、その才能を発揮しています。その後、東京都知事に当選して4期務めて、再び国政に進出しました。オリンピック東京招致は慎太郎の悲願で、知事時代には開催招致に失敗しましたが、その意志を継いだ後継知事により成功しています。作家としての芸術性及び政治家としてのリアリズムは、慎太郎の子にも受け継がれました。長男伸晃は、衆議院議員として規制改革大臣や国土交通大臣などを務め、自民党の要職である幹事長や政調会長も経験しています。次男良純は俳優や気象予報士などテレビでマルチに活躍しています。三男宏高は、長男伸晃と同様に政治の道へ進んでいます。父や兄と比較すれば未だ政治家として成功したとは言えませんが、衆議院議員として3期務めた経験は立派です。四男延啓は、画家として活動し父慎太郎の芸術的才能の部分を受け継いでいます。point 499 | 1

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華麗なる石原一族


写真:神戸ジャーナル

このように石原一族は、芸能や芸術、政治家を輩出する華麗なる一族といえるでしょう。その一方で慎太郎、裕次郎兄弟の父母は決して名門の出だったわけではなく、父は大手海運会社のサラリーマンでした。サラリーマンとして立派に勤め上げる中で、財力を蓄え子供たちの教育に尽力しました。つまり初めから名家でなくても、このように名を成した石原家。石原裕次郎は映画の中だけでなく、一般庶民に夢を与えてくれる存在です。

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