遠藤章造は大阪府豊中市の出身で、子供の頃から運動神経が良く、勉強よりも運動を優先する子供でした。特に野球の腕前は相当なもので、高校は野球によるスポーツ推薦で入学します。遠藤章造は複数の高校から入学の誘いを受けていて、どの高校も野球の強豪校でした。悲しいことに、遠藤章造が選んだ高校以外のすべての高校が甲子園に出場していたという事実を後に知ることになります。野球ばかりやっていた遠藤章造は、一応就職をするのですが、すぐに辞めてしまいます。
サラリーマンからお笑いの世界へ。
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18歳で就職をした遠藤章造ですが、約一年で会社を退社してしまいます。
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そして、昔からの友人である田中直樹をお笑いの世界に誘います。その頃、田中直樹は服飾系の専門学校に通っていたのですが、
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昔からの友人である遠藤の誘いを受けて、1992年にお笑いコンビ「ココリコボンバーズ」を結成します。
コンビを結成して数年は、舞台などを中心に活動していきますが、ある転機が訪れます。
それは「ココリコボンバーズ」から「ココリコ」への改名です。
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この改名を提案したのは極楽トンボの加藤で、「ココリコボンバーズのボンバーズはない方が良い」という提案でした。
極楽トンボの加藤の助言でコンビ名を「ココリコ」とすると、
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日本テレビの「ダウンタウンのガキの使いやあらへんで」のレギュラーに大抜擢されます。
レギュラーになった当初、田中直樹はお笑いのセンスを発揮して活躍できたのですが、遠藤章造はなかなか活躍出来ずにいました。
そんな遠藤章造にもチャンスはやってきます。
それはハイテンション芸を披露するコーナーでの出来事です。
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遠藤章造は、パンツ一枚履いた状態で行う「ほほほい」という独自の芸を披露します。
この「ほほほい」はダウンタウンの笑いを誘うことに成功して、遠藤は大きく評価を上げます。
その後は、ガキの使いの主力として活躍していきます。
結婚、そして離婚へ。
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遠藤章造は年齢を重ねごとに男前になっていき、オシャレにも気を使うようになっていきます。
イケメン芸人と呼ばれることも多くなり、女性関係についても噂が出始めるようになっていきます。
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仕事も順調に増えていき、ココリコミラクルタイプやココリコ黄金伝説という冠番組を抱えるまでに成長していきます。
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そして、プライベートではタレントの千秋と結婚をします。
千秋は不思議系のタレントで、バラエティ番組を中心として活躍していました。
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また、ポケットビスケッツではボーカルとして数多くのヒット曲を歌っています。
そんな個性派のタレントである千秋と、お笑い芸人の遠藤章造の結婚は世間的にも大きなニュースとして取り上げられていました。
しかし、遠藤章造は女好きとして有名で、結婚をしても先輩芸人と一緒に合コンをしたり、夜遊びを繰り返していました。
一方で千秋の方も奥さんらしいことはあまりせず、結婚してしばらく経っても味噌汁すら作ったことがないという驚きの事実を遠藤が番組内で明かしていました。
その後、二人はすれ違いが多くなり、気持ちが離れていき、最終的には離婚してしまいます。
週刊誌やインターネットでは「遠藤の投資チャレンジ」、「遠藤の子供に対する姿勢」、「遠藤の浮気」が原因と言われていましたが、おそらくそれだけが原因ではないでしょう。
まとめ
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週刊誌やインターネットでは、遠藤章造ばかり責められていて、離婚の責任を背負っていますが、少し見方を変えてみると、千秋の方にも原因があるように思います。千秋はお金持ちの親の元に生まれていて、世間的にはお嬢様です。あまり苦労せずに育ってきた分、性格はわがままで献身的に尽くすということを一切しないです。掃除、洗濯、料理、育児などをしっかり行っていたのかというと、そこには疑問が残ると思います。離婚は遠藤章造だけが原因ではないです。