1989年11月、オウム真理教の幹部に坂本堤(つつみ)弁護士(当時33)一家3人が殺害された事件から11月4日で30年を迎えます。その前日である3日、坂本弁護士一家の墓がある神奈川県鎌倉市の円覚寺松嶺院で法要が営まれ、かつての同僚弁護士や母校・横須賀高校の同級生ら約30人が冥福を祈りました。
今から30年前の89年11月、横浜市磯子区で弁護士の坂本堤さん、妻の都子さん(当時29歳)、長男 龍彦ちゃん(当時1歳)の3人が自宅で寝ていたところをオウム真理教の幹部らに襲われ殺害されました。事件当時、坂本弁護士は活動をはじめて2年半の若手弁護士として志に燃える一人の青年でした。また、坂本さんが所属していた横浜法律事務所(横浜市中区)の先輩であった小島周一弁護士(63)と、横浜市内の幼稚園の廃園案件などをともに担当。夜も、酒を飲みながら仕事の話で熱く語り合った日もあったといいます。point 303 | 1
小島弁護士は墓の前で手を合わせ、記者の取材に応えました。「ここに来るたびに正義感にあふれていた彼に見られているような気がして、もっと頑張らないとという気持ちにさせられる。ここに来る人たちは事件を忘れないが、事件を知らない人も増えてきている。そうした人たちにも坂本くんやオウム真理教事件を伝えられるように努力していきたい」そう力強く語った小嶋弁護士は、同事務所が定期的に発行する「事務所ニュース」に寄せた文章の中で「その人の家族や知人の心の中に、その人が生き生きと存在し続けている限り、その人は『生きている』のではないか」と記していました。point 327 | 1
坂本弁護士が殺害されたのは、オウム真理教に娘が入信した母から相談を受けたために、教団の追及を本格化させ、被害者の会の設立に携わっていた最中でした。オウム真理教の教祖である麻原彰晃こと松本智津夫の指示によって幹部6人が89年11月4日未明に横浜市の自宅で就寝中の坂本弁護士一家に襲い掛かったといいます。殺害された後、遺体はそれぞれの別の場所に埋められていて、95年9月まで発見されませんでした。point 254 | 1
坂本弁護士と同じ県立横須賀高校で3年間同じクラスだった森山武さん(62)は今年9月、新潟県上越市にある坂本弁護士の遺体発見現場を訪れ、「誰も立ち入らない山奥に何年も土中に埋められていたのかと思うと本当に許せない」と教団の凶行に怒りをあらわにしました。法要では毎年一家の冥福を祈るとともに、仲間が集まり坂本弁護士に現状を報告します。「30年は一つの節目だと思うが、坂ちゃんを囲んでみんなで思い出を話す大切な場というのは変わらない」と森山さんは語ります。point 283 | 1
法要後、一家をしのぶ会があり、坂本弁護士の母・さちよさん(87)も出席しました。小島弁護士によると、さちよさんは一時体調を崩して休んでいた合唱団の活動も最近になって再開し、家族らに見守られながら健康的な毎日を送れるようになったといます。この日、「以前に比べれば心穏やかに、息子たちを思うことができるようになった」と語っていたさちよさん。しかし、教団の元幹部が昨年死刑を執行されたことについて、「(元幹部の)家族は命を絶たれて悲しいのは同じなのに、申し訳なさで気持ちを外に出すこともできない。どんな気持ちだろう」と複雑な胸中も吐露していたそうです。point 333 | 1
時が経つにつれて歴史的な大事件も忘れ去られてしまいますが、こうしてかつての仲間や友人たちが坂本弁護士一家を偲び、2度と同じことが起こってはならないと決意を胸にする姿にネット上では、「もう30年か…」「改めて御冥福をお祈り致します。」「もう30年。オウムは本当に怖い集団。今もなお活動を続けている。」「坂本弁護士のような堅実な弁護士さんが失われたことが残念」「山中から家族の遺体が発見され運び出される映像を今でも鮮明に思い出す」「初動捜査のミスがなければ…本当に悔やまれます。」などの声が上がっています。point 311 | 1