1997年。酒鬼薔薇聖斗と名乗る酒鬼薔薇聖斗によって数ヶ月に渡り引き起こされた神戸連続児童殺傷事件。その犯人である酒鬼薔薇聖斗こと酒鬼薔薇聖斗の現在と居場所について解説します。
神戸連続児童殺傷事件とは
まずはじめに、事件についておさらいしましょう。神戸連続児童殺傷事件とは当時14歳の中学生によって行われた児童への傷害及び殺人事件です。2017年から既に20年前の事件です。最初の事件は2月の10日。小学生の女児2人でした。ゴムのトンカチで殴られた結果。1人が重症を負うことに。
続いて3月の16日に次の事件へ、これまた小学4年製の女児へ手の洗える場所を訪ねた後、案内した女児を振り返らせ、金槌で殴りつけました。結果、脳挫傷により女児は死亡。犯行から10分後には別の小学生の女児に小刀で全治2週間、死亡一歩手前の重症を負わせました。
5月の24日には弟の友人である男児を山へ連れ、絞殺。この際、暴行や被害者が息絶えるまでの時間を楽しんでいたと言います。
翌日には男児の死体から首を切りとって胴体のある山とは別の場所へ隠したり、更に5月の27日には自分が通っていた中学校の正門へ、警察への挑発を込めた手紙と共に少年の頭部を飾るなど、常軌を逸した犯行を行いました。
その後は神戸新聞社へ手紙を送り、6月の28日に逮捕されます。犯人である酒鬼薔薇聖斗は少年院に更迭され、2005年に釈放されました。
酒鬼薔薇聖斗の親
酒鬼薔薇聖斗の両親も、到底凶悪犯罪者の両親という事実を理解しているとは思えない人間でした。両親は“「少年A」この子を生んで……”という手記を刊行しており、父親は被害者への謝罪の際、警察官から尋ねられた被害者の名前に関する問いに答えることが出来ませんでした。母親は厳しい躾で過干渉、そのくせ愛情を注ぐことはなく、酒鬼薔薇聖斗は軽いノイローゼの兆候が見られていたとのことです。また、事件当時被害者の家族が男児の捜索届を出した時にも、犯人が息子であると知らないとはいえ、電話番をしてあげると言っておきながら被害者宅でゲームをしたり、軽い口調で「警察まだー?」と言っているなど、モラルに欠ける行動があったと言います。両親とも息子には無関心であり、祖母の死後小動物の解体や虐殺などを行うことも咎めなかったとされています。上記の手記の印税も被害者へ送られることなく、大学費用という名目で払わなかったのにも関わらず、全て自宅建設費用として使用したとのことです。point 423 | 1
釈放後の酒鬼薔薇聖斗
2005年に釈放されましたが、更生していないのでは無いかという意見が見受けられます。
真意は不明にしろ、週刊文春の記者が調査した所。直接取材をしようとした記者を威嚇し、その後脅迫と威嚇をした後、プルプルと震え始めた酒鬼薔薇聖斗に怯えて逃げた記者を1キロにも及ぶ距離追いかけ続けたと語っています。
その後被害者への許可も無く、事件当時のことを書いた手記を発刊したり、公式ホームページや有料サービスを開設したりなど、更生しているとは思えない行動が目立ちます。
酒鬼薔薇聖斗の居場所
2015年、酒鬼薔薇聖斗が住んでいる場所は東京都と確定しました。
ネット上で写真を元に検証され、半信半疑の噂ですが、過程を持っているとも。
ただ、検証された結果少なくとも引っ越しているようで、おそらく二度目の整形も行っているでしょう。現在はどこに居るかは判明していませんが、今のところは再犯したわけでは無く、問題行動こそあれ直接的な犯罪行為は行っていません。
まとめ
以上が神戸連続児童殺傷事件の犯人、酒鬼薔薇聖斗こと酒鬼薔薇聖斗の現在でした。精神的な異常性を抱えている少年であり、その独特な感性は絵や手紙を見ても理解しがたいものがあります。ただ単純に自分自身の興味本位で他人を傷つけ、殺害する。ただやりたかった、知りたかったとそれだけの理由です。事件時の行動も常軌を逸したものが多く、それこそいくら検証しようが常人である以上推測はできても理解はできない精神構造をしています。そんな酒鬼薔薇聖斗が現在、どこに居るかは判明していません。被害者の方々の気持ちもわかりますが、出来ることなら何事も無く、ただ消えて記憶と記録に残るだけの存在になって欲しいものです。point 303 | 1