日本史上、最悪な凶悪少年犯罪となった神戸連続児童殺傷事件。犯人が当時14歳だったことで、世間を騒がせました。裁判では医療少年院送致が相当とされ、1997年に関東医療少年院に移された後、2004年に少年院を仮退院。翌年には本退院となり、酒鬼薔薇聖斗は自由の身となりました。酒鬼薔薇聖斗が引き起こした事件概要と、流出している本人画像について調べました。
■神戸連続児童殺傷事件・概要
事件場所:兵庫県神戸市須磨区
標的:小学生
概要:少年による連続殺傷事件
武器:ハンマー、ナイフ
死亡者:2名
負傷者:3名
犯人:当時14歳の中学生(酒鬼薔薇聖斗)
事件当時、少年法に守られる酒鬼薔薇聖斗に対し、世間では賛否が分かれていました。家庭裁判所の審判に付される少年犯は、氏名・年齢・住所・本人写真などは新聞および出版物に掲載してはいけないと少年法61条で制定されていましたが、写真週刊誌「FOCUS」と「週刊新潮」が酒鬼薔薇聖斗の顔写真と実名を掲載しました。
多くの販売業者は販売そのものを自粛しましたが、一部の書店で販売され、酒鬼薔薇聖斗の顔写真画像が世にさらされることになりました。
また、検事供述調書が「文藝春秋」に掲載され、酒鬼薔薇聖斗の犯行記録なども明らかになりました。
■名前を改名している酒鬼薔薇聖斗
酒鬼薔薇聖斗は少年院を退院後、名前の改名を何度もしながら、住居を転々としながら生活しているようです。
酒鬼薔薇聖斗の病気は本当に完治しているのか、酒鬼薔薇聖斗の退院によって、世の中の人を不安に陥れました。
週刊誌によって、退院後に本人の本名や顔写真が明らかになりましたが、何度も改名していることや、整形疑惑などもあがっており、結局、現在はどこで何をしているかは明らかになっていません。
■反省の色もなく手記「絶歌」を出版
本当に病気が完治して事件のことを反省しているならば、二度と事件のことは公にしたくないものです。しかし酒鬼薔薇聖斗は、2015年に「絶歌」という手記を発表しました。
被害者遺族は手記の出版中止を求めましたが、出版社は第3刷まで増刷し、25万部を売り上げました。
その後も酒鬼薔薇聖斗は「存在の耐えられない透明さ」と題した公式ホームページを開設し、身勝手な言い分や異常性の高いイラストなどを掲載していました。
ホームページは2016年10月に閉鎖されており、現在は本人から何も発信していないようです。
■まとめ
非道な事件を起こしたにも関わらず、少年院から退院してからも身勝手な言い分ばかりを一方的に発信していた酒鬼薔薇聖斗。酒鬼薔薇聖斗の罪はまだ、つぐないきれていないのではないでしょうか。