酒鬼薔薇聖斗という名前を一度は聞いたことはありませんか?
2015年に一冊の本が出版され、日本中が騒然となりました。本の名前は「絶歌」。そして著者は酒鬼薔薇聖斗こと少年Aであったのです。
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ことの発端は衝撃的な事件、「神戸連続児童殺害事件」でした。1997年5月に神戸市須磨区の中学校の正門前に置かれていた男児の頭部が発見されたのです。しかもその口には、酒鬼薔薇聖斗という人物からの犯行声明文がはさめられていました。当時のマスコミはこの残虐な事件を大きく取り上げ、犯人像を模索します。そんな風潮をあざ笑うかのように、神戸新聞社に再度酒鬼薔薇聖斗という人物による犯行声明文が届いたのでした。
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奇妙な文言や記号が使われた声明文は、一体誰が書いたものなのか。そしてこの殺人事件の犯人は、と日本中が注目する中で、思ったよりも決着はあっさりとつくこととなります。なんと犯人は警察の追求を逃れることなく、あっさりと犯行を認めたのです。しかしそれは、神戸市内に住む14歳の少年でした。
少年は当時未成年であったことから、本名での報道が規制され、少年Aと呼ばれることとなりました。冒頭の本は、その少年Aが数十年ぶりに書いた自伝です。
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「絶歌」が出版されるや否や、遺族が強い不快感を示しました。全国の図書館も本を入荷することを拒否することを宣言。それでも少年Aの影響力は強く、本は増版を重ねました。集められた売上金はすべて遺族に送られる予定でしたが、遺族側はこれを強く拒否し、加害者と被害者の間の溝が全く埋められていないことや、罪の意識が少年Aに感じられない内容であることがマスコミで取り上げられました。
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この酒鬼薔薇聖斗という当時14歳であった少年は、「絶歌」出版時にはすでに32歳となっていました。一体彼は、あの事件のあとどのような生活を送ってきたのでしょうか。そして、その本名はなんというのでしょう。
インターネットの力はすさまじく、その本名は現在では東真一郎であることが判明しています。しかし、社会復帰後は別名を名乗っていることから、現在どのような名前で生きているのかは不明です。1997年、犯行直後に少年Aの身柄は関東医療少年院に送られることとなり、精神鑑定、治療を受けながら生活を送っています。2001年には治療経過が良好であると判断され、東北少年院に移送、そこで治療生活を受けることとなります。
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2005年にはついに本退院となり、少年Aはついに日常に戻ることとなりました。ここまでが公的な記録に残る彼の姿となります。
それ以降の生活については、あるジャーナリストが取材を行っていることから判明しています。法務省幹部の話では工場に勤務し、勤務態度は非常にまじめであること、身長は170センチまで伸びており、体も自らトレーニングを実施するほどの元気であることが伝えられています。しかし肝心の精神状態については、現在は「寛解」状態であるため、「完治」ではないと言われています。そのことを裏付けるかのように、手記が発表されたことから非常に遺族は傷ついたことでしょう。
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少年Aの現在については、少年の成長と健やかな精神の育成のために公表は控える、というのが法務省の方針であり、詳細については伏せられています。しかし「絶歌」出版後には、少年A公式ホームページが作成されたり、本人と思われる人物が書き込みを行っています。メールマガジンも配信されるなど、とても反省をしているようには感じられないというのが世間の反応です。現在、これらのコンテンツはすべて閉鎖、停止となっていますが、事前に遺族の人への了解などを得ることもなく突然開始されたことを考えると、やはり彼の精神状態や罪の意識について疑問が残ります。
それ以降、元少年Aがどう生活しているのかは明らかになっていません。当然、氏名はすべて変えて生活をしていることから、いつ、どこで彼に遭遇することになるのか、われわれには全くわからないのが現状なのです。