1997年、神戸で複数の子どもたちが狙われ、殺傷される事件が起きました。「酒鬼薔薇聖斗」という名前を名乗り、警察や世間を挑発した犯人は、当時まだ中学2年の少年でした。少年法で守られ、本名や顔写真が大々的に報じられることはありませんでしたが、事件の重大さから「本名」が気になった方も多いはずです。どんな名前でどんな人物だったのか、改めて調査してみました。
■神戸連続児童殺傷事件(酒鬼薔薇聖斗事件)をおさらい
神戸連続児童殺傷事件では、小学生の児童2人が死亡し、3人が重軽傷を負いました。亡くなった児童の内1人は頭を金づちで殴られ、そしてもう1人は暴行された上に首を絞められ殺害されています。さらに残忍なことに、犯人は殺害した男の子の頭部を切り落とし、中学校の正門に置いたのです。
そのときに犯人が残した手紙に残されていたのが、「酒鬼薔薇聖斗」という名前です。のちの調べで、この手紙は想定される犯人像を混乱させる目的で書いたと証言しています。
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■犯人は当時中学2年の「少年」
幼い子どもたちが犠牲になった事件の犯人は、約1ヶ月後に逮捕されます。わずか14歳、中学2年の「少年」でした。犯罪史上類を見ないほどの凶悪性にも関わらず、犯人が「少年」であることから、本名や顔写真は大々的に報じられることなく、事件は収束していったのです。
メディアの中には少年の顔写真や実名を報じた記事を掲載したところもありましたが、少年法で守られた存在故に、広く販売されなかったという経緯があります。
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■2015年、元少年A『絶歌』を出版
2015年になると、元少年Aは、事件について書いた手記『絶歌』を出版します。それに伴い、元少年Aに対する報道も再度ヒートアップ。「すでに少年ではない」として、実名と顔写真を掲載するメディアも現れました。
少年Aの実名は「東慎一郎」ですが、出所後すでに改名していると言われています。その後「西岡真」などと名乗っていたと言われていますが、改名後の名前は明らかにされていません。ただイニシャルが「K.
M」であるということのみわかっています。
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■30代を迎えている元少年A
幼い子どもたちが残忍な手口で襲われ、さらにそれを行ったのも「少年」であったということで、当時強いショックを受けた方も多かったはずです。あれから20年以上が経過していますが、かけがえのない子どもを失った遺族の悲しみは、全く癒されることはないでしょう。
手記の出版やホームページの開設など、本当に反省しているのかどうかわからない一面もあり、ごく普通に生活している人たちにとっては「関わりたくない存在」というのが本当のところなのかもしれませんね。