光genjiの解散が、彼らの活躍絶頂期だったことを、不思議に思ったファンもたくさんいたことでしょう。大喧嘩が理由で解散したと噂のある光genji。本当の解散理由は何だったのでしょうか?
光genjiメンバー
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光GENJIは1980年代に大人気を博した、ジャニーズのアイドルグループです。ローラースケートのパフォーマンスは彼らが元祖。これを受け継いでジャニーズJrや現在活躍中のキスマイなど、今ではジャニーズの伝統になっています。光GENJIのメンバーは、リーダー内海光司(うちうみこうじ)メンバーの中で、最年長できのっぴーという愛称で呼ばれていました。大沢樹生(おおさわみきお)ミッキーとよばれ、リーダーと大沢の二人は他のメンバーより年上で、一部では彼を売り出すために光GENJIが出来たともいわれています。諸星和己(もろぼしかずみ)カー君の愛称で光GENJIの中で、No1の人気を博し、当時のアイドルのおニャン子クラブのメンバーのほとんどと恋愛関係にあったなど、ゴシップは尽きませんでした。佐藤寛之(さとうひろゆき)真面目で穏やかな印象のひろくん。あまり目立たない存在でしたが、光GENJIの歌唱は彼が支えていました。山本淳一(やまもとじゅんいち)おぼっちゃま風な風貌で人気があり、メンバーの中では一番の体力派。アクロバットを披露してファンを魅了しました。赤坂晃(あかさかあきら)デビュー当時に顔が亀に似てるといわれ、相性が亀になりました。メンバーの中で一番背が高く、俳優としてもドラマで活躍をしていました。佐藤敦啓(さとうあつひろ)光GENJIでは諸星と人気を二分したイケメンメンバーで、佐藤はその容姿から、オーディションを受けずにジャニーズと契約したそうです。point 698 | 1
光GENJIの功績
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人気絶頂だった光GENJIは実は数々の記録をうちたて、社会経済向上にも非常に貢献しています。1986年から放送されていたタモリのミュージックステーション、通称Mステに光GENJIはレギュラー出演。本来ゲストのみで構成されている番組ですが、その活躍の多さから彼らはレギュラーでした。出演回数234回。この記録はいまだにぬかれていません。ちなみに2位がTOKIOの133回。スマップは意外にも3位で125回です。光GENJIはその国民的人気と活動から、労働省をも動かします。当時まだ未成年だった数人のメンバーは8時以降就業することが出来ず、テレビ出演を欠席したり、収録を休んだりしていました。しかし1988年余りの人気の沸騰に、「光GENJI通達」という事例が発行され、8時以降も仕事が出来るように規定が改正されたのでした。また社会経済の貢献としては、光GENJIがムラサキスポーツを大きくしたと言われる逸話があります。当時光GENJIが使用していたローラースケートはムラサキスポーツの提供でした。光GENJIの影響で、ローラースケートを始める小中学生が後を絶たず、一時は商品が全く売り切れ状態になったと言います。このローラースケートがキッカケで、一介のスポーツ用品店が店舗を次々と増幅し、飛ぶ鳥を落とす勢いで大企業に成長しました。point 644 | 1
光GENJI解散
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光GENJIは1995年の9月3日名古屋市の「レインボーホール」でのコンサートをもって解散します。ステージ上で土下座をした諸星の姿が、今でも印象に残っているファンは多いでしょう。光GENJIが人気の絶頂期に解散をやむなくされたのは、メンバー同士の大喧嘩が理由と言われていました。紅白にした際に、諸星と大沢が大喧嘩になったというのです。事の始まりは諸星の衣装の帽子。リハーサル時に諸星の帽子にいたずら書きがあったのです。それも王冠がつけられていた場所に股の絵が描かれていたというのです。これに激怒した諸星が、ふきんのメンバーとつかみ合いの喧嘩になり、そのシーンがあたかも大沢と諸星のつかみ合いの喧嘩のようにとられてしまい。噂は大きく広まりました。しかし、大喧嘩の末の解散とは全くのデマで、本当の理由は、大沢の脱退によるバランスの崩れが、グループ全体を解散に追いやったようです。大沢はつねに、アイドルを続けていて将来があるのか?と不安を抱えていたようで、暴露本でもその不安を綴っています。諸星と大沢は実は大の仲良しで、最近では2人でディナーショーを開催し、テレビ出演も二人で果たしています。point 576 | 1
現在の光GENJIのメンバーは
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現在のメンバーの状況はというと、大沢や諸星は、時々テレビに登場するため相変わらずの芸能活動を続けていることは明らかですが、リーダーだった内海光司は、俳優業に転向し、舞台を中心に仕事をしているようですが、あまりにも激やせで、病気を患っているのでは?という世間の声がきかれます。佐藤敦啓は、ジャニーズを脱退して歌手を続けているそうですが、最近は見かけませんね。山本淳一は、広告会社を立ち上げて事業をやっていたようですが、借金がかさみ、バーテンダーとして働くところを道後温泉で発見されたという情報もあります。赤坂晃は、ドラマ「HOTEL」での活躍など、俳優業に転向しています。point 372 | 1
まとめ
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アイドル業はいくら活躍して有名になっても、持続し続けるというのはやはり難しいですね。特にグループの場合、みんなの人生観がいつも同じとは限りませんし、有名になったものの、自分が本当にやりたかったことなのかと、成長過程で悩まされてしまうのでしょう。しかし光GENJIの活躍のおかげで、パフォーマンスを楽しんだファン。事業を拡大した商店。行政まで動かしたその偉大な功績は、日本の芸能史に確かな軌跡を残していますね。point 280 | 1