2009年のM-1グランプリ、2011年のTHE MANZAIの優勝者として知られるパンクブーブー。そのツッコミ担当黒瀬が元ヤンだったと話題になっています。しかも、ネタのような話題が盛り沢山なのだそう。
おもしろくて副総長に選出される
自身でも「荒れていた時代があった」と語る黒瀬。特に高校生の頃は担任の先生と掴み合いの喧嘩をしたり、地元の歓楽街へ遊びに行くために年上の彼女が迎えに来ていたなどの目撃情報も多数あります。当然これらの情報は本物で、本人も認めています。
当時黒瀬が所属していた暴走族の名前は「悪死魔(あくしま)」と、これまた悪そうな名前です。一時期黒瀬はこの暴走族のふくそう副総長を勤めていました。この副総長決めは投票で決められたそうなのですが、高い得票数を得た理由が「面白くて周りから人気があったから」というもの。暴走族の副総長にもおもしろさが求められる時代だったのでしょうか。
うるさくて早く抜けたかった暴走族
暴走族に所属していたのですから、当然大きな音を立てて夜中に道路を爆走していたのでしょう。しかしその頃のことを思い返して黒瀬はこのように語っています。
「バイクの音がうるさくて嫌だった。おばあちゃんとかうるさいだろうな、って。いつも気になっていた」ではなぜ暴走族に入っていたのかとも思いますが、荒れていたということなのでしょうね。ちなみに通っていた私立高校はいわゆる進学校で、野球やラグビーなどのスポーツが盛んなことでも知られています。そして本人も同級生も「勉強はしていなかった」と話しています。
中3の時に小学生だったバッドボーイズ佐田をボコボコに
バッドボーイズの佐田とパンクブーブー黒瀬はよしもとでは同期となります。しかし年齢的には3歳差があり、実は地元が一緒なのです。
共に福岡県糟屋郡出身で、黒瀬の弟とバッドボーイズ佐田が小学校の同級生なのだそう。佐田と黒瀬弟が小学6年生の頃、二人は喧嘩をし佐田が黒瀬弟を負かしてしまいました。
それを知った黒瀬は佐田のところに行きボコボコにした上で土下座での謝罪を要求します。この時黒瀬は中学3年生、佐田少年は勝てるわけもなく大人しく従ったのだそうです。高校時代が一番荒れていたと本人は語っていますが、中学時代も相当なものだったのではないかと推測できます。ちなみにその後、パンクブーブー黒瀬とバッドボーイズ佐田は一時期同じ暴走族に所属していたと言います。そして佐田は福岡連合という福岡最大の暴走族グループで2代目総長を勤めますが「その佐田を土下座させた人」と黒瀬の名前も語り継がれていたという噂です。
最近見かけない気がするけれど?
パンクブーブーはここのところ全国放送の番組よりも地元の放送局でのレギュラー出演に力を入れているようです。全国放送のある番組で月収を公表されたようですが九州地区以外の人は「そんなに見かけないのに、なぜ?」と思ったことでしょう。地元に戻って仕事をするというのは最近の細く長く仕事を続ける芸能人の特徴とも言えます。
まとめ
パンクブーブー黒瀬の小柄な体格と青と白のストライプジャケット、黒縁メガネという出で立ちは弱そうに見えて、暴走族で副総長を勤めたというのは想像できません。しかし一度しっかりグレたせいか、その後は一本筋の通った生き方をしているようです。一時は会社員として働いたものの「やっぱりやりたい」と脱サラしてお笑いの道に入ってみたり、M-1決勝進出が決まるとその場で3時間号泣してしまったり、荒れた時代を支えてくれた父親には今でも頭が上がらないと言ってみたり、様々な部分で好感が持てますね。今後の活躍にも注目したいと思います。