1980年代の芸能界に、今でも燦然と輝く「チェッカーズ」ですが、解散後「実は仲が悪かった」などという話がよく聞かれるようになりました。おそろいのチェックの衣装に垂らした前髪がトレードマークだったアイドル「チェッカーズ」を紐解いてみましょう。
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チェッカーズは1980年に福岡で結成されました。ボーカルの藤井郁弥、サイドボーカル高杢禎彦と鶴久正治、リーダーでギターの武内亨、ベース大土井裕二、ドラム徳永善也、サックス藤井尚之の7人で1983年「ギザギザハートの子守唄」でデビューしました。翌年「涙のリクエスト」が大ヒットすると、ベストテンに3曲が同時ランクインするなど社会現象になりました。
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初期の頃は売野・芹澤コンビによる楽曲の提供を受けていましたが、シングルのB面は彼ら自身のオリジナルを採用しており、シングル「NANA」からオリジナル楽曲での活動が始まりました。このころからメンバーのソロ活動が開始されましたが、チェッカーズのメンバーとしてしか音楽番組などには出演しない、という取り決めから目にする機会はあまりありませんでした。
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1990年の藤井郁弥さんの結婚から、メンバー4人が結婚し「みんなが思い描くようなアイドル」というイメージからは少し離れ始めました。1992年NHK紅白歌合戦を最後に解散し、その後メンバーはそれぞれソロ活動をすることになります。ただ、ここに至るまでにメンバー内で対立があり、解散するか否かでもかなりもめたようです。そもそもは藤井郁弥さんと高杢禎彦さんの仲たがいから始まったようですが、どちらの肩を持つかでメンバーが割れてしまい、最終的には「もうやっていけないから解散したい」藤井郁弥さん側と「郁弥がメンバーのことを考えず勝手なことを言い出した」という高杢禎彦さん側となったようです。
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もともと、売り方がアイドル路線ということにギャップがあった高杢さんは、幼少期からの藤井郁弥さんとの関係もあり折り合いがつかなくなっていたようです。メンバーもぎくしゃくした雰囲気に耐え切れず、音楽番組の本番前にお酒を飲むなどバントとしての活動は限界を迎えたようでした。
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さらに、2004年にドラマーの徳永善也さんががんで亡くなった際、高杢さん側だったはずの徳永さんのお別れ会を藤井郁弥さんや武内亨さんの側が主催、高杢さんや鶴久さんを「来賓」として呼んだことで一層再結成への道は遠のいたといわれています。また、高杢さんの発表した手記にも、藤井郁弥さんは不快感を示しています。メンバーの死去やいまだ残る確執から、再結成の可能性は非常に少ないといわれています。