内政においてはアベノミクスという経済政策を掲げ、失業率の改善などにより就職難の時代から望めば就職できる時代へ、外交においては米国と緊密な関係を維持しつつ地球儀全体を見て外交を行う安倍信三総理大臣の母であり「ゴッドマザー」とも称される安倍洋子とはどのような家系図の中で生まれてきてどのような経歴を持った、どのような人物像なのでしょうか、そして「ゴッドマザー」と称される理由は何でしょうか。これらの点についてみていきましょう。
安倍洋子の家系と経歴
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安倍洋子は、1928年に後にA級戦犯として戦争犯罪人として起訴されながら、数年後には首相の地位に上り詰める岸信介と妻良子の間の長女として生まれました。もともと岸信介自体も生家の佐藤家から父の実家である岸家に養子にきており、
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生家の佐藤家では実弟で後に首相となる佐藤栄作がおり、岸家と佐藤家という養子縁組を繰り返す山口県を地盤とした政治に深くかかわる家系の中に生まれていたのです。一般の家庭とは異なるものの考え方などは自然と身についてきたのでしょう。
その後成長し、白百合高等女学校を卒業後、銀行勤務などを経て、
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当時新聞記者だった安倍晋太郎と1951年に見合い結婚します。
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この安倍家というのも晋太郎の父の安倍寛という人も政治活動に身を投じた人で町長や山口県議会議員を経て衆議院議員となった人でした。ただ、金権政治腐敗防止を訴えていた人格者であったため、この結婚には父の岸信介も安心していたようです。こうして、新聞記者の妻となった安倍洋子ですが、夫が新聞記者を辞職して岸の秘書官として仕事をし始めて以降、地元山口の選挙区を守る活動を開始します。
今では信じられませんが当時は安倍晋太郎は選挙に出るのは時期尚早といわれ実際に1度落選したこともあります。このような過酷な状況で地元を支える妻として選挙活動に従事していたことが現在の政治家を裏から支える「ゴッドマザー」となるうえでの貴重な経験となったのでしょう。その後息子の選挙にも関わりますが、実際に何度やっても選挙は大変という発言をしていることから地元を支えるとは何かをよくわかった方であることがうかがえます。point 206 | 1
政治家家系における妻及び母としての振るまい
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このように、選挙の際には山口県の地元を回り支えるという活動をしていた安倍洋子ですが、生活基盤自体は東京にありました。ですので息子となる安倍晋三首相は東京で育っているのです。また安倍晋太郎との間には3人の男の子に恵まれましたが、本来長男が政治家を継ぐ予定でしたが政治には向かないといして会社員となりました。
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そこで安倍晋太郎の地盤は二男の晋三が継ぐことになります。しかし、政治家家系の中ではこれではすまない問題がありました。実家である岸家に後を継ぐものがいない状況になったのです。
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その際に三男の現在衆議院議員である信夫が生まれてすぐ岸家に養子に出すということをしました。実際に信夫がそのことを知ったのは大学進学時に戸籍謄本を取り寄せたときだったということなのですが、うまれたばかりでかわいいわが子を政治基盤や政治を行う家として跡継ぎが必要という事情を受けて手放すという決断、そしてそのこと信夫に対しを黙って見ているという姿勢は政治家家系の中での環境がなせるものといえるでしょう。
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このような影として地元を守る姿勢とそして縁戚全体を見て家系を維持していくというような姿勢がすごいところです。
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また、安倍洋子は夫である安倍晋太郎が総理大臣にのぼりつめるべく地元を支える活動等を通じて支援しますが、志なかばあと一歩というところで病で倒れてしまいます。しかし、その思いを息子である晋三に引き継がせ、総理の椅子に座らせたその思いと陰で支える様はまさに「ゴッドマザー」の称号にふさわしい人といえるでしょう。
まとめ
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安倍洋子は、岸信介・良子夫妻の長女として生まれ、新聞記者だった安倍晋太郎と結婚した後、父の選挙や夫の選挙の際に常に裏方として地元である山口の選挙区を守る活動に従事してきました。また、縁戚関係が政治家一家であるという事情から実家である岸家に跡取りがいないとなった際に生まれたばかりの三男を養子に出し、その後生みの母と名乗らない対応をするような縁戚全体を見て政治家系を維持していくすごさもあります。夫を総理に、倒れた後は息子を総理にという思いをもち、陰で支える様は「ゴッドマザー」と称されるにふさわしい人といえるでしょう。point 328 | 1