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岡田准一はアイドルグループのV6のメンバーで、最年少として存在感を見せています。V6の一員として、甘いマスクで華麗な歌とダンスを音楽番組やライブで披露するたびに、多くの人々が熱狂します。また、俳優としても主演ドラマ「SP」が大ヒットし、さらにNHKの大河ドラマである「軍師官兵衛」でも主人公役を熱演し、高い評価を得ました。
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そして、2013年に公開された「永遠の0」は大ヒットし、日本アカデミー賞主演男優賞を受賞するなど、日本を代表する芸能人といっても過言ではありません。このようにアイドルグループとして俳優として、とても華やかな活躍をしている彼ですが、その裏には、決して順風満帆ではない、知られざる過酷な過去があったそうです。
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岡田准一は大阪府枚方市の出身です。そして、小学校2年のとき両親が離婚しており、母と姉と3人家族で暮らしていました。また、小さいころは、大人しい性格で、目立つのがあまり得意ではない子供でした。それを見かねた母親がジャニーズのオーディションに応募します。そして、結果は合格し、わずか14歳の時に上京が決定します。しかし、本人は嫌だったようで反抗したそうですが、東京の中学校に転校する手続きが勝手に決められていたそうで、しぶしぶ東京へ行くことになりました。そして、そこでは学校とジャニーズの合宿所の往復の生活が始まります。ジャニーズの合宿所ではV6のメンバーと共同生活を送っていました。point 359 | 1
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当時はとにかくお金がなく、服を満足に買える余裕がなかったため、ずっと同じ格好をしていたそうです。また、グループを結成した当初は、事務所の社長をはじめ、メンバーやスタッフにも怒られ続けていました。歌やダンスに関して全くついていけず、孤独や疎外感を味わっていました。それもそのはず、普通はデビュー前に、ジャニーズjrとして厳しいレッスンを積むのですが、彼は上京して下積みなしで、すぐV6のメンバーとしてデビューしたのです。そのため、いきなりアイドルとしてライブのステージに上がるようになっても戸惑うことが多く追いつめられてしまったそうです。point 337 | 1
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また、V6としてデビューしてからだいたい3年間のことは、怒られた記憶しかないということです。ですが、時がたつにつれて、徐々に仕事にも慣れ、特に2002年に放送された「木更津キャッツアイ」では初めて演じることが楽しいと思ったそうです。その後は、演技の世界にのめりこみ、ストイックに自分を成長させていきました。このように、岡田准一は、アイドルとしても俳優としても成功するまでには、いろいろな苦労や葛藤を乗り越えてきたのです。point 275 | 1