白昼堂々、大阪地検から逃走した女はわずか2日で御用となったーー。
大阪地検岸和田支部で収容される予定だった女が逃走した事件で、
大阪地検は今月7日、公務執行妨害と傷害容疑で野口公栄被告を逮捕したと発表しました。
その過去を繙(ひもと)くと、覚醒剤から窃盗まで、危険な素顔が垣間見えるといいます。
公開された手配写真はそれを物語っているようにも思えるが、意外や意外、
以前の野口公栄被告は、あの「ゴクミ」似で評判の美人だったというのです。
現場から“眼にも留まらぬ速さ”で逃走したのは10月30日のことでした。
野口被告の逮捕容疑は、息子の仁容疑者(30)と共謀し、
地検岸和田支部前の路上で車を急発進させ、男性検察事務官をはねて負傷させた疑いがもたれています。
地検によると、公栄容疑者は自動車運転処罰法違反(無免許過失致傷)罪などで公判中だったが、
初公判以降出廷しなかったことなどから保釈が取り消され、10月30日に収容される予定でした。
しかし、同日午前、地検岸和田支部に出頭した際、収容手続きの説明中に、
「車に荷物を取りに行きたい」と申告。
4人の検察事務官らと敷地外へ出た後、仁容疑者が運転する車に乗り込み逃走したのです。
現場を目撃した男性は、
「急発進する車に4人が大慌てでした。“止まれー!”と大声を出しながら、窓をドンドン叩いている。そのうちの一人は車にはねられて倒れていました」
と証言しており、現場は騒然とした空気になったといいます。
その後、大阪地検から公栄被告の写真が公開されると、各メディアが速報で報じました。
女の顔は請求書とは言うが、なぜか片目が潰れた異様な顔だったので驚いた方も多かったのでは。
大阪社会部の記者がこのように解説しています。
「写真による情報提供はなかったものの、11月1日、知人が住む団地で息子とともにあっけなく確保されました」
逃走劇を演じた公栄被告はどんな人物だったのでしょうか。
野口被告は、1970年に生まれ。大阪府南部育ち。
大阪の実家の近隣住民によると、
「近くの公立中学に通ってたわ。その時分は超のつく美人で、後藤久美子によう似ていたな。長身で痩せていてね、他の中学からわざわざ見に来る人もいたくらいや」
と話しているのですが、その美貌の一方、素行の悪さが際立っていたそうで、
「いわゆる女番長みたいな存在。金髪に染めてタバコをふかしては、先生に“おい、ワレ”と盾突くような子やった」といいます。
また別の知人は逮捕後に野口被告の過去の様子を語っており、
「中学を出てからは不良仲間の男とつるんで遊びまわってた。10代のうちに男と出来てしまい、3人の子どもを産む。そのうちの一人が今回逮捕された仁ですわ。で、ろくに子育てもせず、他の男のところを転々としていた。付き合う奴はガラの悪い奴ばかり。2、3年前には葬式へ喪服に真っ赤な髪で現れて不興を買っていた」
と証言しており、犯罪に手を染めるようになった経緯についても語りました。
捜査関係者によりますと、
「過去には高級時計など貴金属の窃盗を繰り返す窃盗グループに加わって、2001年に検挙されています。被害金額も1億円を超えるほどだった。また覚醒剤による逮捕歴もあった」
としており、野口被告にはこの逃走劇以外にも、覚せい剤や窃盗での逮捕歴があったよう。
犯歴の数々が明らかとなり、今回も野口被告に逃げられた地検には、冷たい視線が注がれているそうです。
近隣住民も不安な日を過ごすこととなり、逃走劇から2日後に逮捕された野口被告。
元東京地検特捜部副部長の若狭勝弁護士がこのように指摘しています。
「彼女は車で人をはねるという危険な行為で逮捕されています。つまり、逃走中に市民を巻き込む可能性があった。検察は全てを調べてから会見を開くという固定観念を持っているので発表が遅れたのでしょうが、すぐに周知すべきでした」
警察の迅速な対応がなかったのは本当に残念ですね。
ネット上からはこんな意見が寄せられています。
「何故、あの手配写真のような顔になったのかを知りたい」
「昔なんてどうでもいい。今はお岩さんみたいになってますやん。」
「こんなに何回も捕まってるのにまだ懲りないというのが凄い
薬物もしてるし脳がやられているんでしょうね
再犯の可能性が非常に強いので、もっと重い刑罰を与えてください」
逮捕歴がある被告を逃した大阪府警、二度手間のないように今後は厳重な注意をしてもらいたいです。