落合博満は2004年から8年間中日ドラゴンズの監督として、リーグ1位が4回、日本一が1回、8年間Aクラスを維持するという実績を見ても名監督といえます。他球団からの有力選手を積極的に獲得するより、中日に在籍している選手の能力を上げることでチームの戦力を上げるようにしました。
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落合が中日監督1年目の春季キャンプで驚かされたことは1日目に紅白戦を行い、キャンプの日程が6勤1休であったことです。春季キャンプでは体を鍛える練習から始めるため、紅白戦のような実戦練習は春季キャンプの後半が普通でしたが、初日に紅白戦を行うことで、中日の選手は春季キャンプ初日に野球ができるコンディションにするため、春季キャンプ前の自主トレーニングを例年よりハイペースで練習するようになりました。キャンプの日程は選手がキャンプ中にケガをしないように考慮して、4日間練習して、1日休暇をとる4勤1休が多くの球団で行っていました。しかし、落合監督は6勤1休にしました。シーズンでは6連戦があるので、6勤1休の方が体内時間を合わせることができるという理論ですが、選手にとってはハードなスケジュールです。しかし、初日に紅白戦で6勤1休の春季キャンプに耐えられたことで、選手の能力は確実に上がったといえるでしょう。point 466 | 1
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落合監督は相手チームに点をやらなければ、負けはないという理論から、打撃よりも守備を重視する選手起用をしました。また、現役時代は内野手であるため、投手の気持ちがわからないという理由から投手起用は当時投手チーフコーチであった森繁和に全て任せていたそうです。落合監督就任時に森コーチを招集した理由は西武、日本ハム、横浜の投手コーチとしての実績があるという理由で、現役時代に交友関係はほとんどないようです。落合監督は退団するまで森コーチに投手起用を任せていたので、落合監督からの絶大なる信頼を得ているといえます。point 334 | 1
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落合監督は現役時代からオレ流といわれる、今までの野球の考え方とは違うスタイルをとってきました。妥協はせず、徹底的にオレ流にこだわるため、周囲との反発もありましたが、チームを常勝チームに導くのは落合博満の存在感が大きいからといえます。
選手の個々の能力が高くてもチームは必ず勝つとはいえません。他球団から有力選手を積極的に獲得した球団が優勝しなかったことはよくあります。個々の選手がチームプレーに徹することができるチームは戦力が強くなります。選手が落合監督を信じてついていけば、必ず優勝できるという信念を持ったことが常勝チームを作り上げる土台になっていたといえます。2年連続でリーグ優勝した年に落合は監督をやめます。その後、レギュラー選手があまりかわらなくても、チームは低迷し、2年後には落合監督時代にはなかったBクラスになってしまいました。point 436 | 1
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中日ドラゴンズがBクラスから抜け出せないチーム状態が続き打開策として、落合をゼネラルマネージャーにしましたが、チームが良くなることはありませんでした。やはり、ゼネラルマネージャーより監督として現場で指揮を執った方がうまくいくように感じられます。
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落合は現役時代から野球をビジネスとして考えた人といえます。最近では当たり前ですが、年俸の交渉は納得がいくまでサインをしない姿勢を強く持ち、日本人初の一億円プレーヤーになりました。また、フリーエージェント制ができると、高年俸の球団に積極的に移籍しました。今でも、考え方は変わらず、条件面で折り合えば、監督になる気持ちがあるようです。落合を監督にすれば常勝球団になるかもしれませんが、オレ流の監督指導は球団内部で反発が多いため、監督依頼がないのが現状といえます。point 241 | 1