アイドルとして大成功をおさめていた酒井法子さんですが、実は父親が逮捕されている時に母親に捨てられたというのです。今回は、酒井法子さんの壮絶な過去についてご紹介します。
アイドルとして大人気だった酒井法子
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酒井法子さんは80年代に「のりピー」の愛称で親しまれていたアイドルです。1986年にデビューした後は、アイドルとして大活躍、酒井法子さんが口にする独特な「のりピー語」も流行しました。しかし、1990年頃はタレントとして伸び悩んでいた時期もあったそうです。それでもそのまま埋もれること無く、中国や台湾に活動拠点を移すと、そこでも見事に多くのファンを獲得しました。その努力が実り、主演したドラマ「ひとつ屋根の下」や「星の金貨」がヒットしました。さらにドラマの主題歌になった「碧いうさぎ」はミリオンセラーになり、NHKの紅白歌合戦にも出場していました。そんな、芸能人として華々しい活躍を見せてきた酒井法子さんでしたが、その生い立ちは決して楽なものではなかったといいます。
父親の逮捕と母親の失踪…壮絶過ぎる人生
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酒井法子さんが生まれて間もないころ、父親は酒井法子さんの傍ではなく刑務所の中にいたといいます。逮捕された理由は覚醒剤所持でした。酒井法子さんの父親が服役している最中に、母親は他の男性と駆け落ちしてしまいました。乳児だった酒井法子さんは、佐賀県の山中にある寺に置き去りにされたと言います。寺に捨てられた酒井法子さんは、父親の妹に引き取られることになりました。その後、叔母の住む家で育てられることになり、埼玉と九州を行ったり来たりする暮らしをしていたといいます。実の母親に捨てられたこと、たらい回しにされたという事が、酒井法子さんのその後に大きな影響を与えたそうです。
酒井法子の母親は不可解な死を遂げていた!?
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酒井法子さんの父親と母親は離婚することになったのですが、そこで不可解な事が起きました。なんと、酒井法子さんの母親が自殺に見せかけて殺されてしまったというのです。一方、酒井法子さんはまだ子供だったため、自分を育ててくれた母が本当の親ではないということを知らなかったそうです。しかし、酒井法子さんが7歳になった頃、母親だと思っていた人から自分の子供ではないことを告げられたといいます。その後、父親が再婚することになり福岡県に移り住むことになったそうです。その後も酒井法子さんの父親は離婚と再婚を繰り返していたそうです。このような壮絶な子供時代を送った酒井法子さんは、他人の顔色を伺うことを覚えていったそうです。この経験が後の芸能界で大変役に立ったといいます。
酒井法子の父親は実は…
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酒井法子さんが幼い頃に逮捕された父親は、山口組系伊豆組酒井組酒井峰吉組長(本名:酒井三根城)だというのです。主に覚せい剤の販売などで荒稼ぎしていたのですが、あまりにやり口が酷かったために破門され、山梨県で闇金融を営むことになったといいます。そんな酒井法子さんの父親は、平成元年5月に山梨県の高速道路を走行中に事故死してしまいました。この時、新しい妻の車に乗っていて、車内で覚醒剤を使用して精神が不安定になっていたと伝えられています。父親の葬儀では、サンミュージックの相澤秀禎氏が葬儀委員長を務めていたことでも知られています。
父と同じ容疑で酒井法子も逮捕されることに
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そんな酒井法子さんですが、2009年8月に元夫の高相祐一氏が渋谷駅ハチ公口側の路上で警察に職務質問されました。この時、酒井法子さんが呼び出され、知人男性と2人で現場を訪れたといいます。酒井法子さんの目の前で夫は覚せい剤取締法違反(所持)で現行犯逮捕されました。酒井法子さんも任意同行を求められましたが、「子供がいるからあとで行く」と拒否、そして、酒井法子さんと息子が失踪したことがニュースなどで報じられたのです。夫は逮捕後、酒井法子さんも覚せい剤を使用していたことを供述したために自宅を家宅捜査、そこで覚醒剤が付着したストローと、酒井法子さんのDNAが検出されたことから逮捕状が出され、8月8日に弁護士や親族とともに出頭したところを逮捕されました。
まとめ
現在の酒井法子さんは、一時期介護の勉強をしていましたが、諸々の事情で断念し、現在は芸能活動を再開しているそうです。