プロ野球南海(現ソフトバンク)で捕手兼任監督を務め、
ヤクルト、阪神、楽天でも指揮を執った野村克也さんが死去したことが2月11日、
関係者の話で分かりました。84歳でした。
野村克也(のむら・かつや)さんは、1935年(昭10)6月29日、京都府生まれ。
野村さんは峰山高から1954年にテスト生として南海ホークスに入団し、
ロッテ、西武で80年まで名捕手として活躍し、歴代2位の657本塁打を記録。
1965年には戦後初の3冠王に輝き、通算成績は3017試合に出場し2901安打、1988打点、657本塁打、打率2割7分7厘。
また、MVP5回、ベストナインは19回受賞。監督としては70~77年に南海でプレーイングマネージャー、
90~98年ヤクルト、99~01年に阪神、社会人野球シダックス監督を3年間務め、06~09年まで楽天で指揮を執った。
ヤクルト監督時代の92年にリーグ優勝、93年、95年、97年に日本一。89年に野球殿堂入り。93年に正力賞。
監督としても手腕を発揮した野村さん。
警視庁によると、この日未明に都内の自宅から病院に搬送され、その後死亡が確認されたとのことです。
野村さんは先月25日、2003年から3年間監督を務めたシダックス野球部のOB会に出席。
教え子で新任の日本ハム・武田勝投手コーチ(41)に、
「選手を育てる上で一番大切なのは愛だ。愛なくして人は育たない」とエールを送っていました。
球界での偉大な人がまたこの世を去ってしまいました。
お悔やみ申し上げます。
これら一連の報道にネット上からはこんなコメントが寄せられています。
「奥さん亡くされてから傍目から見てもひどく気落ちされていましたね。でも、こんなに早く逝ってしまわれるとは思いもしませんでした。とても残念です。豊富なご経験と鋭い洞察力からくる解説は非常に聞き応えのあるもので、また聞きたかった。。。」
「選手としても監督しても活躍し、ユーモアもあった。ご意見番としてもっと姿をみたかった。沙知代さんに会えますように。」
「先の金田正一氏の葬儀でも車椅子姿だったし、サッチーが亡くなって一気に元気がなくなってしまった感がある
津川雅彦さんも朝丘雪路さんが亡くなった後、後を追うようにすぐ亡くなってしまったが、この人も同じなんだろうな」
「去年のヤクルトOB戦で大雨の中、古田達に支えられてバッターボックスに立ってた姿が忘れられない。ちょっと感動的でした。正直こんなに弱っちゃってたのか…とは思ったけどまだまだ喋りは元気そうだったのに。」
「もう84歳だったんですね。ずっと元気にいて欲しかったですが、残念です。
まーくん神の子不思議な子って言ってたのが、ついこないだのように感じます。」
などのコメントが寄せられていました。