国民栄誉賞を受賞している美空ひばりさんは、昭和の大歌手として依然として高い人気を誇っていますが、同じく人気絶頂の水前寺清子と確執があったと噂されています。また息子である和也には、実業家として知られる反面、黒い噂があるそうです。デビューのきっかけから、プロフィール、噂に関することまで徹底的に解説します。
美空ひばりの【プロフィール】
本名: 加藤 和枝(かとう かずえ)
生年月日: 1937年6月24日
出身地: 神奈川県
血液型: O型
美空ひばりの【来歴】デビューのきっかけ・現在の活動
1949年1月、日劇のレビュー「ラブ・パレード」で「セコハン娘」や「東京ブギウギ」を歌い踊る美空ひばりさんの姿が面白がられ、同じ年の3月に東横映画の「のど自慢狂時代」でブギウギを歌う少女として映画に初出演する。8月に松竹の「踊る竜宮城」に出演、主題歌「河童ブギウギ」がコロムビアから歌手として、B面ではあるが11歳で正式にレコードデビュー(7月30日)を果たしました。
更に12歳で映画主演を果たした「悲しき口笛」が大ヒットし、主題歌も当時の史上最高記録となる45万枚を売り上げて、国民的認知度を得ました。この時の「シルクハットに燕尾服」で歌う映像は、美空ひばりさんの幼少時代を代表するものとしてよく取り上げられています。
1989年5月29日、52歳で死去。
美空ひばりのほっこりするエピソードとは
近藤真彦さんが歌番組に出演した際に、リハーサルをしている美空ひばりさんの歌を聴いて「おばさん、うたうまいね」と声を掛けたそうです。周りのスタッフはあまりの出来事に凍り付いたようですが、当の本人は「率直に15歳の少年が聞いてうまいと言ってくれたことがうれしかった」そうです。近藤真彦さんは、美空ひばりは知っていたものの、当時のリハーサルは代役を立てることが多く、近所のおばさんのような恰好で歌っていた女の人が、まさか美空ひばりさん本人だとは分からなかったようです。
謝罪に来た少年に対して、こんなに優しい言葉を掛けられる美空ひばりさんは、歌手としてだけでなく人間的にも素晴らしい人ですね。それ以降、二人は良好な関係を築いていたそうです。
【噂話その1】美空ひばりと水前寺清子は仲が悪かった?
美空ひばりさんが活躍していた昭和の時代は、歌手の世界も年功序列が厳しくて楽屋などで陰湿ないじめが行われるなど、嫌がらせなどが横行していました。さらに当時の歌手にとって紅白出場やトリを務めることは、最高のステータスであるだけでなく、翌年からの営業でのギャラが跳ね上がる一大事です。
1971年の紅白歌合戦は、タレントとしても人気絶頂、昭和の大歌手でもある水前寺清子さんが司会を務めていましたが、大トリの美空ひばりさんの曲紹介をなぜか拒否したそうです。後に謝罪会見を開き、「私も歌謡界の女王と呼ばれたいものですね」と、芸能界での強烈な美空ひばり礼賛を批判したそうです。実際に美空ひばりさんと水前寺清子さんの仲が悪かったかは、今となっては分かりませんが、昭和の歌謡界の熾烈なトップ争いを垣間見るエピソードです。
【噂話その2】美空ひばりの養子和也にまつわる黒い噂とは?
美空ひばりさんの息子として知られている加藤和也さんは、正確には養子になります。美空ひばりさんの弟で、和也さんの実父である哲也さんが亡くなった後に、養子として実子同然に可愛がられていました。しかし和也さんの祖母や、実父、叔父と相次いで亡くなった時には、そのやりきれない思いを美空ひばりさんにぶつけ、ケンカが絶えず、反発してグレたこともあったようです。和也さんは明大中野高校に進学したものの停学処分、結果的に高校を中退します。そして、16歳という若さでひばりプロダクションの副社長に就任し、翌年には社長に昇格しています。
こわもての風貌と昔ヤンチャだったエピソードで、黒い噂があるようです。
美空ひばりさんの遺産で食べている、と悪口を言う人もいるようですが、マネーの虎なので実業家としての手腕も発揮している和也さんは、社長業もしっかりとこなしているようです。
まとめ
昭和の大歌手として知らない人はいない程の美空ひばりさんは、12歳という若さでデビューした後、記録的に売り上げるなど映画や歌手として大活躍します。しかし活躍を妬む人も出てきたようで、噂によると同じく当時の人気歌手だった水前寺清子さんと何らかの確執があったと言われているようです。息子である和也さんも、母親である美空ひばりさんのあまりの影響力にグレていた時期も。絶大な影響力を持っている、美空ひばりさんを徹底解説します。