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ロックミュージシャン吉川晃司と布袋寅泰はなぜ決別したか


吉川晃司と布袋寅泰の出会いは1986年にまで遡ります。当時「ボウイ」のギタリストとして売り出し中の布袋寅泰と、アイドルからロックミュージシャンへの脱皮を図ろうとしていた吉川晃司が意気投合し、アルバム「MODERN TIME」に布袋寅泰が参加したのがきっかけでした。その後も吉川晃司がボウイのアルバムに参加するなど、一時は兄弟のように二人は親交を深めていきました。


写真:ameba.jp

1988年、布袋寅泰はボウイを解散した後、世界進出を目指して単身渡英し、ファーストソロアルバム「GUITARHYTHM」を制作しますが、世界デビューには程遠く失意のまま帰国します。一方の吉川晃司は、ロック・ミュージシャンへの脱皮を目指しながらも、アイドルとしての世間の評価から抜け出すことができない状況でした。

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写真:ameba.jp

このような二人の状況の中、1988年12月に「COMPLEX」の結成が発表され、1989年4月に発表されたデビューシングル「BE MY BABY」は当然のようにチャートの1位を獲得し、ファーストアルバム「COMPLEX」を携えた全国ツアーは大盛況のうちに終わります。当時の日本で、いわゆるユニットとしての活動形態はありませんでした。後に、雑誌のインタビューでB’Zの松本孝弘がCOMPLEXがいなければB’Zもなかったと語ったほどです。point 289 | 1

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写真:amazonaws.com

順風満帆に見えたCOMPLEXの活動でしたが、二人の亀裂は、早くもセカンドアルバム「ROMANTIC 1990」の制作段階から現れました。とにかくロックをシンプルに創作したい吉川晃司と、サウンド、プロダクションともに緻密に作り込んでいく布袋寅泰とでは、意見が対立するのも致し方ないことです。「ROMANTIC 1990」は一触即発の空気の中で行われ、殴り合い寸前の状況も何度かあったようです。その後、1990年に発表された「ROMANTIC 1990」を携えた全国ツアーは同年7月まで開催されますが、11月に開催された東京ドーム公演で活動休止に入りました。また、2011年には東日本大震災チャリティーライブとして2日間だけ復活しています。point 382 | 1

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写真:cdninstagram.com

COMPLEXが短命に終わった理由の一つに、二人を仲裁する人物がいなかったことがあげられます。吉川晃司は、元々ソロアーティストですし、布袋寅泰にしてもボウイ時代には氷室京介との軋轢が何度も伝えられてきましたが、バンドメンバーの松井常松や高橋まこと、さらには所属事務所のマネージャーなどが上手く二人の間に入って調整していましたから、短命で解散とはならなかったのです。ところが、海外のロックバンドではよくあることですが、COMPLEXの二人はユニットを組んでいながら、所属事務所は別々のままでしたし、ユニットという形態上、ボウイ時代の布袋寅泰と氷室京介のように二人の間に入ってくるバンドメンバーも事務所関係者もいなかったのです。point 381 | 1

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写真:mzstatic.com

CONPLEX活動休止後の二人の活躍は周知のとおりですが、吉川晃司と布袋寅泰の関係も良好になってきています。期間限定という形であってもよいので、復活してほしいというファンが多いのもCOMPLEXの魅力です。

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