『母の日』
5月13日は『母の日』ですね。普段、照れくさくて感謝を伝える機会がない方も、この日はお母さんに『いつもありがとう』という言葉をすることができるのではないでしょうか。
しかし実は母の日の起源は、亡くなった母を追悼する集会だったと言われています。
母の日の起源・・
母の日はアメリカから日本に伝わった文化です。日本では現在赤いカーネーションが母の日のシンボルとされていますが、アメリカで母の日の文化が生まれた頃は、赤ではなく白いカーネーションが母の日のシンボルとされていました。
母の日の起源は諸説ありますが、アンナ・ジャービスという女性が母親のために行った追悼集会が起源であると言われています。アンナの母親であるアン・ジャービスは、アメリカの南北戦争の中、敵味方を問わず負傷兵の手助けを行った「マザーズデー・ウォーク・クラブ」を立ち上げた活動家でした。
アンナは教会に集った追悼集会の参加者に、母親が好きだった白いカーネーションを配ったそうです。
母の日が制定された当時は、母親が健在の者は赤いカーネーションを、亡くなっている者は白いカーネーションを胸に飾っていました。その後、現在のように母親にカーネーションを贈る文化が定着しました。
「母の日参り」
亡き母への想いをつづった手紙作品を一般募集する、第1回『母の日参り』手紙コンクールが開催されました。
今回の選考委員長をつとめた歌舞伎俳優の中村獅童さんによるトークショーも行われました。獅童さんと言えば、母親の小川陽子さんの葬儀の際に見せていました。葬儀の場で「中村獅童は小川陽子の最高傑作だったと言われるような役者になりたい」と声を震わせていたのも印象的でした。
“僕だけではなく、誰にとっても母親は永遠の存在なんだなって、改めて感じました。”
”歌舞伎役者として後ろ盾がいない息子を、いつもサポートし、世話をしてくれていたという、陽子さん。しかし、顔を合わせればいつも些細なことでいい合いになって、最後の食事の席でも、喧嘩別れしてしまったことが心残りだと振り返ります。
母は僕のために人生を捧げてくれた。亡くなってから分かるんですよね…生きている間に、もっと感謝を伝えればよかったと思います。
金賞 受賞作品 「白い目薬」
同発表会では、獅童さんによる金賞作品の朗読がありました。
今回、金賞を受賞したP.N.余白さんの作品を動画で紹介します。
終活 Cafe
タイトル「白い目薬」
ADVERTISEMENT 母さん、冥界(そこ)からオレが見えますか。
オレ、来年は遂に九十の大台。母さんの享年を遥かにこえます…(続きは動画で確認)
▼▼▼▼続きは動画で確認▼▼▼▼
まとめ
偉大で、かけがえのない存在の母親。今年の母親の日には大きな感謝の気持ちを伝えたいですね。