171cmという身長に抜群のプロポーションを持つ藤原紀香は、大学在学時代にミス日本グランプリの栄誉に輝いています。
その抜群のスタイルに目を留めたのが、毎年新作水着の発表で、大勢の人が注目するキャンペーンガールを発表してきた、東レ株式会社です。
藤原紀香について
この東レ水着キャンペーンガール制度は1981年から始まったもので、山口智子や杉本彩、菊川怜などが選ばれており、このキャンペーンガールの選出が、その後の芸能界進出への足掛かり、いわば登竜門と捉えられるようになりました。
そんな東レ株式会社の水着キャンペーンガールに選ばれたのち、兵庫県西宮市出身ということもあって、関西のローカル番組のアシスタントとして出演し、芸能活動を始めました。
関西で芸能活動をしていた彼女を、本気で芸能活動をやるなら、東京に行くしかないと思わせたのが、阪神淡路大震災の経験です。
「いつ、何が起こるかわからない」という思いは、特に震災で被害が大きかった兵庫県に住んでいた彼女にとって、これまで思いもしなかった現実として強く認識されたのでしょう。
彼女のそれまでの人生観を変えるほど、大変な経験だったであろうことが推察されます。
そんな上京した彼女を一躍有名にしたのが、現在のソフトバンクモバイルの前身であるJ PHONEのコマーシャルです。
その抜群のプロポーションと美貌に多くの人々が注目し、一気にその名が注目され、全国的に認知されるようになったのです。
藤原紀香の活躍は幅広い!
それからは、女優として香港映画に出たり、国内のテレビドラマにも出演するなど、女優としても活躍の幅を広げてきました。
point 75 |
テレビドラマの出演作品が増えるにしたがって、主演を務める機会も増え、原田泰造と共演した「ツレがうつになりまして。
」では、すっぴんを披露するなど、体当たりの演技も辞さない女優として、確たる地位を築いていきました。
芸能活動以外にも幅広い方面に関心を持っており、国際活動及び人道支援への協力に積極的であることはよく知られています。
英語検定2級資格取得の実力を発揮し、海外で英語によるコミュニケーションをおこなったりと、その活動は広範囲にわたっています。point 348 | 1
point 0 |
2002年におこなわれたサッカー・ワールドカップでは、日韓合同開催だったこともあって、韓国の女優と日韓交流を行ったことが評価され、親善大使に起用されました。
まだ危険が残る戦後のアフガニスタンにも赴くなど、その勇気ある行動は、単にモデルやタレント、女優という芸能の仕事だけをするのではなく、もっと広く社会に、そして世界に目を向ける、藤原紀香という一人の人間像を見せています。point 236 | 1
藤原紀香の結婚
私生活では、ドラマで共演したのをきっかけに、お笑い芸人の陣内智則と結婚することを発表、挙式に際しては十二単を高額な料金で作成したことが話題になりました。
また、式は二人の出身地に近い神戸市にある生田神社にておこないましたが、当日の様子は完全にシャットアウトされるという厳戒態勢でした。
そのため、全国各地から縁結びの神様として知られる生田神社を訪れた人たちが、参拝できないという異常事態になったことも、記憶に新しいところです。
point 0 |
そんな度肝を抜く結婚式を挙げたものの、結婚生活は2年で破綻を迎えることになりました。
理由は、陣内智則よりも圧倒的に稼ぎのよい藤原紀香との間の収入の格差にあると言われ、格差婚という言葉が言われ始めたのもこのころだったと思われます。
陣内智則の浮気が発覚したことで、潔癖症だと言われる紀香は我慢がならず、離婚を選択し、大勢のマスコミが注目した結婚は失敗に終わることとなりました。point 236 | 1
その後は片岡愛之助との熱愛が発覚、周りからの猛反対を押し切って梨園に入った藤原紀香は、自分自身で着物を着られるという特技を生かし、あでやかな着物姿で夫をサポートする様子が目撃されています