2013年に起きた「三鷹ストーカー殺人事件」は、「リベンジポルノ」関連法案の成立の引き金になったことでも知られています。被害者は鈴木沙彩さんという18歳の女子高生でした。沙彩さんの母親は画家、他にも、芸術家や脚本家などの親族を持つ、とても裕福な家庭で育ちました。その上とても美しかった沙彩さんは、小学校時代に芸能事務所にスカウトされ、映画やドラマに出演していました。成績も優秀とされ、海外留学も経験しており、その美貌から、「三鷹ストーカー事件」は、メディアにも大きく報道され、長く世間を騒がせることになりました。
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犯人の男はフィリピン人の母と日本人の父を持つハーフで、池永チャールストーマスという21歳の男でした。池永はフィリピンのマニラで生まれ、1歳の時に母と来日して以来、日本で暮らしていました。犯行当時はトラックの運転手をしていたそうです。池永が沙彩さんとSNSを通じて知り合ったのは犯行の2年程前のことでした。男は大阪在住、沙彩さんは東京在住で、遠距離恋愛という形で交際が始まりましたが、池永は自分が「南米ハーフで関西有名私大に通っている」というウソをついていました。 com
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ところが1年程経った頃、沙彩さんが海外留学することになり、別れ話が出るようになります。しかし池永は諦めず、復縁を迫り続け、やがてはストーカー行為に発展していきました。沙彩さんが海外留学から帰国した後も池永のストーカー行為は続き、嫌気がさした沙彩さんはついに携帯電話の着信を拒否して連絡を絶ちました。池永はこのことに怒りを覚え、殺害を計画します。運送会社のアルバイトを無断で休んでバスで東京まで出向きました。池永が東京に来ていることを知った沙彩さんは恐怖を感じ、ストーカー被害について高校の担任に相談しました。学校側はこのことを重く受け止め、警察に連絡をした上で、沙彩さんに三鷹警察署に相談するように指導しました。 com
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沙彩さんは学校の指導の通り、その足で三鷹署にストーカー行為について相談しに行きました。三鷹署は池永に電話をして、留守番電話に警察まで連絡するように入れ、沙彩さんはその後高校に登校します。学校が終わり、一人で誰もいない自宅に帰宅したのです。その時既に自宅には池永が隠れていたのです。帰宅した沙彩さんは隠れていた池永にナイフで襲いかかられました。家の外まで逃げ回る沙彩さんを、池永は何度も執拗に追いかけて襲い掛かり、合計11か所のキズを負わせて沙彩さんを殺害しました。くしくも、沙彩さんが三鷹署に電話をかけて、無事に帰宅したことを連絡した直後の出来事でした。この事件は「三鷹ストーカー殺人事件」として、大きく報道されましたが、事件はこれだけでは終わらなかったのです。 com
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池永は、米国のアダルト動画サイトに、沙彩さんを連想させるハンドルネームで、沙彩さんの性的な動画や画像を複数アップロードしていたのでした。更に池永は、逮捕されるまでの期間に、様々な掲示板や情報サイトに同じように沙彩さんの性的な動画や画像を掲載し続けていました。この殺人事件がテレビや新聞で大きく報道されると、池永の投稿がどんどん晒されてゆくことになり、沙彩さんの性的動画・画像が際限なく拡散されてゆきました。 jp
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当初はマスコミも性的動画や画像に関しては公表を控え、報道をしていませんでしたが、騒ぎが大きくなるにつれて一般紙でも大きく「リベンジポルノ」として報道するようになり、社会問題として認識されることとなりました。この問題は国会でも取りあげられて議論を重ねられ、これを機に2014年にリベンジポルノへの罰則を示す「リベンジポルノ被害防止法」が成立したのです。 net