とある日、交通事故で身体の一部を失ってしまったら、あなたはどう思いますか?普通であれば、絶望が襲ってくると思うのですが、看護師の伊藤真波さんはそんなハンディの中でもひとつずつ夢を叶え続けています。そんな彼女が奏でるバイオリンの旋律が感動的だと話題になっていますので、ここで紹介していきます。
交通事故で右腕を失った女性
彼女が悲劇に見舞われたのは20歳の時です。静岡県で看護学生として夢に向かっていたとき、好きで乗っていた中型バイクで交通事故に遭ってしまいました。右腕をひどく損傷し、医師は切断するべきという診断を下しますが、看護師になりたかった彼女は断固として切断を拒んだそうです。しかし、それは障害者に対しての偏見だと彼女は気がついたのです。そんな迷っている彼女の背中を押してくれたのは、母親でした。そのままでは命の危険さえあった彼女に、母親は必死で説得。そして、彼女は右腕の切断を決意したのです。point 310 | 1
右腕を失った後も夢を諦めなかった女性
彼女は右腕を切断した後も、看護師になることを諦めず、ついに22歳で、看護師資格取得。兵庫県立総合リハビリテーションで「看護師専用の義手」を作ってもらい、神戸百年記念病院で日本で初めて片腕の看護師となりました。今では、その義手を使って、肩甲骨を動かし、フックを開閉させることで点滴や注射など何でもこなすそうです。point 229 | 1
彼女が叶えた夢は看護師だけではなかった
看護師となってもリハビリを毎日続けていた伊藤さんは、一緒にリハビリ中だった車椅子バスケット選手の何度も起き上がる姿を見て感銘。「自分もこのままではいけない!」と思い、水泳を始めることを決意。その後の伊藤さんの躍進は凄まじく、翌年からパラリンピックの水泳選手として活躍していくのです。point 216 | 1
2008年の北京パラリンピックでは100m平泳ぎ4位、100mバタフライ8位、2010年のアジアパラリンピックでは100m平泳ぎ2位、2012年のロンドンパラリンピックでは、100m平泳ぎ8位と好成績を残します。
バイオリンの旋律が感動的だと話題に
また、彼女はさらに上を行くべく、片腕でも不可能はないことを証明するため、水泳だけでなくバイオリン演奏も始め、多くの人々に「諦めない心」の大切さを伝えています。残念ながら彼女はコンクールに出場することはできませんでしたが、日本全国を飛び回り「片腕のバイオリニスト」として有名になりました。point 216 | 1
私生活では母になる
そんな伊藤さんは2015年に結婚し、娘さんが誕生しました。現在は「片腕の母」としても家庭を支えています。ハンディがあっても何でもできる、ということを彼女から知ることができましたね。実に感動です。