舛添要一元都知事が辞職後もテレビで荒稼ぎをするようになっています。辞職してある程度の期間が過ぎたことで、自分への風当たりもかなり緩くなってきたという判断もあるのでしょう。
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元々タレントから政治家になったようなところがありますから、タレントとしてしゃべりは出来るということがあります。政治家として失敗をしたことで、それをネタにすることも出来るようなところもあるといってもいいでしょう。舛添要元知事の場合は政治に失敗をしたというよりは、あまりにもせこいというだけのものでしたから、ある程度の反省期間があったことで、世間から忘れられるところがあったということになりそうです。政治家の腕がどうこうということではなく、隠し方が下手過ぎたというだけで、法律を犯して犯罪をしていたというわけではなかったので、タレントとなってしまえば昔のしゃべりを使うことが出来るということになります。
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ただ、昔のように信用があるわけではありませんから、テレビに出るようになっても参考になる意見を求められるというよりは、都知事だった人が今はどういうことになっているのかということを尋ねられて、それに答えるだけということの存在になってきているということがあるようです。つまり、特に建設的な意見を聞きたいというわけではなく、過去のことを反省しているのかどうかというところが知りたいということになっているということです。
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ただ、舛添元都知事はタレントの腕はあります。自分を良く見せるという点においては折り紙付きといってもいいでしょう。何しろ東京都知事にまで上り詰めるぐらいの腕があったのです。一介の政治評論家が都知事になるまでの人気を獲得するには、相当なことを言う必要がありました。そして、それを実行してくれそうなところもあったわけです。つまり、期待を獲得することに関してはプロといってもいい腕があったのです。その期待が一気に失望に変わったのがせこいお金の使い方発言です。特に実績も無いのにファーストクラスでの海外出張や、温泉通いなどその行動には疑問を抱かざるを得ないものが数多くありました。こうしたことは、評論活動では出てきません。何しろ口で適当に評論していればいいわけですから、評論するのと実行するということでは大きな違いがあることだったのです。
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行政は実行することでしか結果を出すことは出きません。口で理想を言っても意味がないのです。それを勘違いしたまま評論家のまま政治家になってしまったのが失敗の原因と考えてもいいでしょう。今でもタレントとして活躍するようになってきていますが、口ではなんとでもいえるのです。ですが、口で言っていたことをするとなると難しいもので、なかなか出来ることではありません。そして、結果がともなわないのに、お金はふんだんに使っているわけですから、これで市民の反感を買わないわけはありません。評論家で好きなことを言っていられる時には市民は好意的に見てくれますが、いざ実行してそれが出来ないとなると一気に評価が逆転します。口だけではないかということになるわけです。
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舛添元都知事はタレントとしては優秀でした。そして、今でもその手腕は衰えてはいないようです。実際にテレビなどでいろいろと取り上げられて発言も出来るようにもなっています。あれだけ嫌われて辞職した人とは思えない活躍ぶりといってもいいでしょう。何しろ嫌われて都知事を辞職しているわけですから、人気商売のタレントとして復活するのは致命傷とも思えるようなことです。ですが、それすらもタレントのネタとして話をするようにして荒稼ぎをするようになっています。政治家としての才能はありませんが、タレントの才能は抜群といってもいいでしょう。