平成12年7月の公務を最後に、雅子さまはそれ以来、ずっとご病気の治療を続けておいでです。雅子さまといえば、ハーバード大学卒、東京大学に学士入学、のちに外交官として活躍と、華々しい経歴をお持ちです。外交官として活躍しているときに浩宮さまに見初められ求婚されましたが、雅子さまは「外交官を続けたいから」という理由で結婚を断っていました。
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しかし、浩宮さまから「皇室外交という道もあります」というお言葉により、結婚することを決意され、外交官を辞職しました。外交官は辞職したものの、結婚当初雅子さまには、皇太子妃となり皇室外交の担い手として活躍したい、というお気持ちが強かったようです。しかし雅子さまには、親王を産まなければならないという、大きな命題が重くのしかかっていました。point 259 | 1
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その頃、皇室には秋篠宮さまを最後に、男子が生まれていなかったというのも大きなプレッシャーだったようです。そのため、皇室では後継ぎを生むことが第一に優先され、海外への公務も極力控えさせられ、雅子さまが当初希望していた皇室外交もあまりさせてもらえませんでした。それに加えて、皇室の伝統やしきたりも数多く、海外生活の長かった雅子さまにはとまどうばかりだったことでしょう。point 257 | 1
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また、どこに行っても必ず誰か付き添いがついていて、完全なプライベートな時間を持つこともなかなか難しいという環境は、自由な風潮で育った雅子さまにはストレスに感じることも多かったでしょう。そういった後継ぎ問題や、皇室になかなか適応できないといったことが重なり、雅子さまはとうとう病気を発症してしましました。point 228 | 1
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適応障害を治すには、今置かれている状況からしばらく離れた暮らしをすることが効果的だといわれていますが、皇室という特別な場所にいる雅子さまにはそれも難しく、病気が長引いてしまっているようです。後継ぎ問題は、紀子さまが悠仁親王をご出産されたことで緩和されましたが、皇室への適応という問題では、一進一退を繰り返しているようです。point 233 | 1
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一旦適応障害になってしまうと完治は困難だといいます。皇室へ適応するのはもともとの資質が大きく関わっているために、キャリアウーマンとして生きてこられた女性には悩むこともつきません。にこやかにして手を振るという行為は、意味のないものに思えることもあったというようなことも聞いています。雅子さまの完全回復への道のりは、まだまだ遠いのかもしれません。point 248 | 1