「精子バンク」ご存知ですか?
不妊に悩む夫婦や同性婚のカップル、選択的シングルマザーなどが精子バンクから精子を提供してもらい出産するケースが多いのですが
一定の条件をクリアすれば、誰でも提供できる精子バンク。
アメリカ・ロサンゼルスに住む一人の男性が5年間精子を寄付したその後についてまとめてみました!
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精子提供者のプロフィール
20年の時を超えて、13人の子供と面会を果たした今回の主人公は、アメリカ・ロサンゼルスに住む画家 “マイケル・ルビーノ(Michael Rubino)”さん 57歳。
マイケルは、自身が30歳になった1990年に精子提供をすることを決意。
当時、不妊で苦しむ夫婦を見たマイケルは、自分に何かできることはないか?と考えたといいます。
奥さんの了承を得てついに5年間にわたる精子提供が始まりました。
実は当時、マイケルさんから精子を譲り受けたいと願う女性がかなり多かったとのこと。
それもそのはず、彼は遺伝的な障害もなく、すらりとした体にブルーの目を持ち、高等教育まで受けた画家だったからです。
彼から精子を譲ってもらおうと、カリフォルニア・オハイオ・ニューヨーク州をはじめ、ハワイからも連絡が来たといいます。
彼は寄付した報酬として、1回につき当時の金額で50ドルを貰っていたとのこと。
1週間に2度、35歳になるまでの5年間提供し続けました。
これが原因かは分かりかねますが、精子提供を辞めた年に奥さんとは離婚したとのこと。
精子を提供してもらった女性の多くは、子供が18歳になるまでは個人的な面会は控えることを望み、時には契約書にサインを求める女性もいたのだとか。
ところが、2004年に事態は急展開を迎えます。
以前、マイケルから精子を提供してもらった “カレン・ストラスベルク”という女性から「私と、私の息子に会ってみませんか?」と連絡が来たのです。
こうして、精子提供後初めて子供と面会をすることになりました。
カレンは、息子にマイケルを父親として紹介しなかったものの、息子のジェイクとマイケルは会った瞬間なにか繋がるものを感じたといいます。
後のインタビューで、彼はその時のことを今でも鮮明に覚えていると語り、ジェイクもまた、マイケルと会った後、祖母に「最高の友達ができたよ!」と話したとのこと。
その後、カレンは生物学的父親がマイケルであることを息子に話したといいます。
マイケルが父親であることを知ったジェイクは、とても喜び週末には毎週マイケルと遊んだのだとか。
感動はここで終わりませんでした。
2012年、カレンとマイケルは、家族3人が一緒に住めるよう同居を開始。
19歳になったジェイクは、「自分でも、これが普通ではないことは分かっているが、これが僕の父と母なんだ」と笑って語ったといいます。
これを皮切りに、精子提供で生まれた子供たちから連絡が来るようになりました。
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精子提供で生まれた子供たち
一般的に、精子提供者の多くは匿名を望むなかで、マイケルは連絡先と本名を書き残しており、画家としても活動していたため探すのは簡単だったといいます。
驚くことに、生物学上マイケルを父とする子供たちがSNSを通して交流を続けているといいます。
19人の子供のうち、13人はマイケルが父親であることを誇りに思い現在も親密な関係を維持しているとのこと。
連絡を続けるなかで、彼らは一度みんなで会う事を提案し始めました。
13人中11人は、マイケルと同じブルーの目をしており、年齢も16歳~21歳と近かったこともあり、彼らの提案は現実へ。
こうして、アメリカ全土に住む13人の子供たちがマイケルに一目会おうと集まりました。
彼らは、お互いのどこか似た外見や雰囲気に驚きながらも、とても喜んだといいます。
一生、子供なしで生きてきた「生物学的な父」マイケルは、13人ひとりひとりを抱きしめ、言葉にならない感動を感じていました。
マイケルが精子提供をしてきた精子バンクの代表ウェンディ・クラマーは、
「みな、違う母親から生まれたものの、精子提供者の父親は彼らを“子孫グループ” “半兄弟グループ”と呼んでいる」と話し
続けて、「私たちの団体には、200人以上の子供を持つ生物学的父親もいる」と説明しました。
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