魔性の女として知られている喜多嶋舞さんは、1972年8月11日に神奈川県の茅ケ崎市で誕生しました。大人になってからの身長は164センチと平均的な女性の身長より若干高くなっています。母親は内藤洋子さん父親は元ザ・ランチャーズの音楽プロデューサーでした。2歳のころに両親に連れられてアメリカのカリフォルニア州に移住しました。肉料理をほとんど食べず、それ以降をベジタリアンとして生活をしています。
写真:asagei.com/
芸能人になったのは1986年ですので14歳のころになります。俳優の奥田暎二さんと共演したコンパクトカメラのテレビコマーシャルが初めての出演でした。その後父親がプロデューサーとなり音楽活動なども行いますが、オリコンで第34位を記録しただけで、それほど売れることはありませんでした。それよりも、大人になってからは女優としての頭角を現し始めます。
写真:qulioplus.jp/
大河ドラマや民放の番組にも登場し、世間に大きく名前が知られてきました。アメリカで育ったことから、独自のキャラクターとして注目を浴びるようになります。もともと歌手活動をしており、父親としては女性アイドルとして確立したかったようですが、女性アイドルとしては芽が出なかったため、1990年代半ばからはアイドル活動をやめました。その後女優として時代劇などに出演し、濡れ場のシーンでも見事役を演じ切りました。
写真:lohaslove.ti-da.net
当時は女優としても人気が出てきましたが、私生活も充実していました。喜多嶋舞さんが1988年にテレビで共演した大沢樹生さんと交際をすることになります。長年交際をしてから1996年に妊娠をしてしまい、そのまま結婚をすることになりました。いわゆるできちゃった結婚になります。もともと、交際はしていても、結婚をするつもりまではなかったので、半分は自分の意志がない状態で結婚をしたことになります。その後男児を出産し一児の母となりました。実はこのできちゃった結婚がのちに大騒動を巻き起こすことになるとは、だれが予想したでしょうか。もともとできちゃった結婚から始まった結婚ですので、本人の意思はそこまでなく、長続きしない可能性が高かったことは多くの人が予想していました。この予想は、見事に的中をします。2005年には、配偶者の大沢樹生さんと離婚をすることになります。
写真:i-article01.com/
その2年後には写真集の仕事で面識がある男性と再婚をしました。これにより、もともと喜多嶋舞さんに親権があった息子の親権は父親である大沢樹生さんに移動することになります。ところが、2013年にDNA鑑定を行ったところ、息子と大沢樹生さんとの間に血縁関係がないことが明らかになります。つまり、喜多嶋舞さんが、結婚をする前に別の男性と性行為を行い、妊娠したにもかかわらず、大沢さんには内緒にしており、そのまま結婚をしたわけです。もちろん、当時は大沢さんとも体の関係があったと予想されますので、喜多嶋舞さんはいったいどちらの子供が自分自身でもわからなかったでしょう。いずれにしても、その一軒以降は魔性の女ともいわれています。うそで塗り固められた喜多嶋舞さんのほんとうの顔が明らかになり、インターネットなどでたたかれることになりました。
写真:s2.dmcdn.net/
現在の喜多嶋舞さんはどのようになっているかといえば、2015年11月30日には騒動が大きくなったから芸能界を引退しています。アメリカに移住しているとも言われています。喜多嶋舞さんは芸能界を引退した理由を「私は女優だったばかりに息子や家族が世間で数寄の目で見られるようになったから」と述べていますが、それよりも本当の父親でない子供を産み、結婚したことが一番の原因です。少なくとも、この一件で、仕事が激減したことが理由になっているでしょう。